「淤志弖流夜」。<オシテルヤ>と読みます。これは「難波」に懸かる枕詞なのです。
仁徳天皇は淡道島(あわじしま)に行幸に行くと云って大后を欺きます。本当は吉備の国まで行って黒日売に逢うのですが。
「此の度は、大后は私の心の底まで読む事が出来なくて、うまいぐあいにOKが取れた、。こんにに心地よいことは久しぶりだなあ。速く黒日売と逢いたいな」
と、心ここにありません。でも、この計略が大后には、決して、ばれないように用心はしていたのです。でも、独りになると、心はもう吉備に飛んでいます。その思いがすぐ歌になって口から飛び出してきます。その歌の最初の言葉が「おしてるや」です。そこら辺り一帯が太陽に照らされて光り輝いているようなところということから「難波」に懸かる枕詞となったのだそうです。
たから、当然、次には「難波<ナニハ>」がきます。万葉仮名ですから、大変、読みにくいのですが書いてみます。
“淤志弖流夜 那邇波能佐岐用 伊伝多知弖 和賀久邇美禮婆 阿波志摩 淤能碁呂志摩 阿遅摩佐能志摩 母美由・・・”
(おしてるや なにはのさきよ いでたちて わがくにみれば あはしま おのごろしま もみゆ・・・)
と歌を詠んでいます。
こんな仁徳の歌が飛び出してくるのを、何となく、皆さんにそれとなく知らせたくて、2,3日前から、私の下らない駄歌を書いておっただけなのです。失礼しました。
此の歌の解説については明日からまた少しづつと思っております。お付き合いください。
仁徳天皇は淡道島(あわじしま)に行幸に行くと云って大后を欺きます。本当は吉備の国まで行って黒日売に逢うのですが。
「此の度は、大后は私の心の底まで読む事が出来なくて、うまいぐあいにOKが取れた、。こんにに心地よいことは久しぶりだなあ。速く黒日売と逢いたいな」
と、心ここにありません。でも、この計略が大后には、決して、ばれないように用心はしていたのです。でも、独りになると、心はもう吉備に飛んでいます。その思いがすぐ歌になって口から飛び出してきます。その歌の最初の言葉が「おしてるや」です。そこら辺り一帯が太陽に照らされて光り輝いているようなところということから「難波」に懸かる枕詞となったのだそうです。
たから、当然、次には「難波<ナニハ>」がきます。万葉仮名ですから、大変、読みにくいのですが書いてみます。
“淤志弖流夜 那邇波能佐岐用 伊伝多知弖 和賀久邇美禮婆 阿波志摩 淤能碁呂志摩 阿遅摩佐能志摩 母美由・・・”
(おしてるや なにはのさきよ いでたちて わがくにみれば あはしま おのごろしま もみゆ・・・)
と歌を詠んでいます。
こんな仁徳の歌が飛び出してくるのを、何となく、皆さんにそれとなく知らせたくて、2,3日前から、私の下らない駄歌を書いておっただけなのです。失礼しました。
此の歌の解説については明日からまた少しづつと思っております。お付き合いください。