「郷土の文学を楽しむ」第2回は、「人生と旅」と題して
松尾芭蕉と竹久夢二を取り上げました。
塚も動け我泣声は秋の風 芭蕉
芭蕉が加賀俳壇の有力者であった一笑という俳人に会いたいと
金沢を訪れたのですが、彼の訪問を待たずして一笑は前年の11月に
亡くなっていました。
「塚も動け」何と力もこもった言葉でしょうか。
俳友を失った芭蕉の慟哭が風に流れて聞こえてきそうです。
野田山墓地の大乗寺口の坂を上ると、
その中腹右側に、ある一基の墓を見つけることができます。
それは前田家の墓でもなく、室生犀星の墓でもなく、
鈴木大拙の墓でもありません。
ごく普通のお墓です。しかし、その墓の横に
「友の塚」という墓碑があります。
誰の名前でもない、ただそこに刻まれているのは「友」という字だけ。
友の死を悼む人がその気持ちを墓碑に刻んだのでしょう。
きっとこの人も芭蕉のように嘆き悲しんだに違いありません。
さぞかし無念だったことでしょう。
しかし、その気持ちは遠い昔の芭蕉の心につながっています。
今も昔も友のことを悼む気持ちに変わりはない。
このお墓はそのことを教えてくれています。
松尾芭蕉と竹久夢二を取り上げました。
塚も動け我泣声は秋の風 芭蕉
芭蕉が加賀俳壇の有力者であった一笑という俳人に会いたいと
金沢を訪れたのですが、彼の訪問を待たずして一笑は前年の11月に
亡くなっていました。
「塚も動け」何と力もこもった言葉でしょうか。
俳友を失った芭蕉の慟哭が風に流れて聞こえてきそうです。
野田山墓地の大乗寺口の坂を上ると、
その中腹右側に、ある一基の墓を見つけることができます。
それは前田家の墓でもなく、室生犀星の墓でもなく、
鈴木大拙の墓でもありません。
ごく普通のお墓です。しかし、その墓の横に
「友の塚」という墓碑があります。
誰の名前でもない、ただそこに刻まれているのは「友」という字だけ。
友の死を悼む人がその気持ちを墓碑に刻んだのでしょう。
きっとこの人も芭蕉のように嘆き悲しんだに違いありません。
さぞかし無念だったことでしょう。
しかし、その気持ちは遠い昔の芭蕉の心につながっています。
今も昔も友のことを悼む気持ちに変わりはない。
このお墓はそのことを教えてくれています。