黒い森で2週間目の滞在地バート-ヴィルトバートから谷を北に20分弱走ると、深い森に囲まれた人口約8500人のノイエンビュルクという町があるのですが、この町は小さいながらも大変古いようで、考古学的発掘では2500年前の遺物が数多く出土するそうです。そしてこの町の高台にノイエンビュルク城館が建っているのです。
実は城館付属の公園を経由して東に少し歩くと、固有の名前がなくて単に〈背後の城塞〉と呼ばれる14世紀の前半に建造された城の廃墟があります。
〈背後の城塞〉 1 & 2
〈背後の城塞〉 3 & 4
誰が建てたのか、よく分からないそうですが、胸壁 (建物で、屋上の周囲、ベランダなどに設けた欄干状の壁) や防御塔や堀を持つ大規模な城塞です。ここには16世紀にノイエンビュルク城館が出来て以後伯爵の副執行官や、後には公爵が住んでいたし、16世紀から18世紀にかけては穀倉としても使われていました。その後建物は採石場となり荒廃しました。
バーベキューエリア
現在このロマンチックな遺跡は、レンタル出来る人気のあるバーベキューエリアです。
〈背後の城塞〉とノイエンビュルク城館の間にある公園
向かいの山から見たノイエンビュルク城館
さて、ノイエンビュルク城館の建設は16世紀の中頃にヴュルテンベルク公爵クリストフの下で始まりました。城館は公爵家の親族の住居として使われることになっていたのです。しかしながら、高価な装飾、広いアパナージュ (長子以外の子供や弟に封土として与えた領土の一部) 、そしてたくさんの宮廷スタッフにもかかわらず、黒い森の僻地に建つノイエンビュルク城館にマグヌス公爵とウルリッヒ公爵を招聘することが出来ませんでした。
城館の門 1 & 2
城館の外面 1 & 2
つまり最初の計画通りに行かず、お城は公爵邸になることはなかったのです。不幸は続き、17世紀前半の三十年戦争の時にノイエンビュルクの城と町が略奪され、人々は追放され、畑は破壊されました。が、城の北棟は17世紀中頃から数年の間に再建され、残りの建物は改装されました。南翼はまだ元々のルネッサンス様式の機能的な3階建ての建物の形をしています。この時代はノイエンビュルク城館に役人が住んでおり市政局の所在地であったのに加えて、18世紀前半には林業事務所も移転して来ました。
中庭 1 & 2
中庭 3
そして1940年から城の部屋はアパートや画家のスタジオとして使用されていましたが、複数年にわたる広範囲の改修工事の後、今世紀の初めに州立博物館の分館が設立され、レストランがオープンしました。さらに文化史に関する特別展が毎年開催される他、沢山の美術展も開かれています。
さて、宿泊地であるバート-ヴィルトバートのダウンタウンにあるコリアンレストランの韓国料理を持ち帰り、夕食にしました。キムチと鶏肉が入ったマンドゥという餃子みたいな料理とツナの巻き寿司とビビンバです。
マンドゥ ・ ビビンバ
ツナの巻き寿司
マンドゥは思った通り悪くない味、ビビンバは石製の容器の中でもっと熱々にした方が断然旨い、と思いました。ツナの巻き寿司は野菜が少し入っているのは良いのですが、缶詰のツナである事とご飯が酢飯でないのが味を落としているようです。しかしながら、久しぶりの韓国料理をそれなりに楽しめました。
〔2022年12月〕
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます