お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

ヘッセン城館

2023年04月02日 | 旅行

私の住むハノーファーから1時間少々東南東の方向に走ると、魔女が住むというハルツ山地の北にヘッセン城館があります。かつての東ドイツにある城です。

この城の前身である堀のある要塞の歴史については、ほとんど知られていません。ただ12世紀前半に、ある貴族が村と城の所有者として文書で最初に言及されていますが、約200年後にその貴族の子孫が途絶えた後、15世紀の初めまで城を含む村の所有者は絶えず変化し、時間の経過とともに荒廃して行ったのです。城はこの地域を通る交易路を守るために役立っていたようです。

 

まだ堀を備えている城館 (1650年頃、Wikipediaより)

そして16世紀の中頃にルネッサンス様式の城館に改築され、城は16世紀の終わりから17世紀の初めにその全盛期を迎えて、ある公爵の夏の離宮として機能しました。その後、城館の複合施設は農業領域として使用されました。三十年戦争中に受けた破壊の影響は軽微なものであったようです。三十年戦争が17世紀の中頃に集結した後、城には公爵家が住んでおらず、狩猟小屋として時折使用されるだけでした。その為、時間の経過とともに荒廃して来たので、修復が始まりました。そして18世紀末期から第二次世界大戦の終わりまで城館はある公爵家の住居でした。

 

城館 &

 

城館 &

しかしながら、第二次世界大戦後に城を含むこの地域がソ連の占領地域になった時から、城の荒廃が始まりました。さらに、ソ連にしても東ドイツにしても社会主義の国家であることから、城館の「荘厳な性格」を廃止するためにさまざまな作業が行われました。例えば、中心となる建物の西翼が取り壊されたり、正門がレンガで塞がれたり、公爵の紋章が剝がされたりしたのです。それでも完全な破壊をまぬがれたのは、市民が抗議の声を上げたからです。

 

城館 &

 

城館 &

ベルリンの壁が崩壊して東西ドイツが統合された後、現在自治体に属している城館の複合施設を将来にわたって利用する為に、継続的な改修措置が行われています。城とその中庭は、オープンエア音楽祭、そして展示会やイベントに使用されることがあります。

 

城館

行ってみると、車の往来があるアスファルトの道路脇にある、一部廃墟になっている城館であることが分かりました。天候のせいもありますが、寒々とした殺風景な印象の建物群です。案内板にある1650年頃の絵と比べると、特にそんな印象を受けます。私はサッと眺め回しただけで、その場を去りました。

 

食事が出来なかったレストラン

さて、摂氏0,5度で雪がちらつく2月の末、昼食を食べる所はないかと調べると、城の近くの村に、地方のテレビ局によって紹介されたことがあるという小さなレストランがあります。開店時間を見計らって行ってみると、本日土曜日の昼はもう予約で満杯だとのこと。それ程人気があるレストランなのか? それとも訪れた曜日が悪かったのか?

 

食事をしたレストラン &

地図を見ると、車で7、8分の所にもう一軒レストランがあります。ハイキングコースが縦横に走る森の入り口にぽつんと建っているのです。ハイキングの基地なのかな? 庭も広い、結構大きな建物です。愛想の良い女性スタッフ2人で営業していて、私が最初の客です。後でおじさんが一人来ました。

 

紅茶 ・ スープ

寒いので、飲み物は紅茶にしました。砂糖の他に蜂蜜も出してくれました。

前菜は森の茸クリームスープです。すりつぶした茸のスープは初めてです。寒い中熱々で旨い。

 

シュヴァイネシュニッツェル ・ サラダ

メインは、シュヴァイネシュニッツェル (薄い豚カツの様な料理) に、また茸ですが、シャンピニオンクリームソースがかかっています。ソースも肉の衣も少し塩辛いだけでなく、十分に油を切らずに皿に置いたようで、衣がびちゃびちゃです。はっきり言って美味しくありません。付け合わせのクロケットと少し甘めのクリームソースをかけた別皿のサラダは美味しかったのです。ちなみに、ドイツのレストランで野菜サラダに半熟卵が付くのは珍しいですね。もしかしたら旧東ドイツではそれが普通なのでしょうか。

 

〔2023年4月〕

 

コメント
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