今日は、友達とプチミーティング。
不審者の訪問や、母とのやり取りを聞いてもらった。
もう30年以上前から知っているから、もちろん母のことも良く知っていて、表向きの母とのギャップに驚いていた。
でも、私は、つい最近まで母の異常さには気がつけなかったし、反抗はするものの、やっぱり母が正しくて自分が悪いんだと思ってしまっていたから、結婚してからの私は、母そっくりだったように思う。
むしろ、母を良妻賢母の見本として、そうならなければと勤めてきたように思う。
時折旦那が
「お前のかあちゃん、きつい。
お前よりもきつい。」
そう言っていたのに対して、
「母は正しいことを言っているだけじゃない。」
そう思っていた。
今じゃあ、旦那の言葉に共感できる。
昨夜、次女が
「お母さん、おばあちゃんのことどう思う?」と聞いてきた。
「今回は、ちょっとしんどかったねぇ~。
ちょっとめんどくさかったよねぇ~」と言うと、
「うん」との答え。
「次女ちゃんは、おばあちゃんのこと、嫌だった?」って聞くと
「う~ん。
まぁ、人それぞれ、考え方が違うからねぇ~。」
大人じゃないの・・・そう思った。
母は、言われたことに対してずっと根に持つ。
それが、咄嗟に言ってしまった言葉にしても・・・
ずっと、私はそうやって母を傷つけてきたんだと思っていた。
でも、そうじゃない。
子どもは、大人の姿を素直に映し出す。
でも、それは、本心ではなく、本当に咄嗟に相手の態度に対する反映なのだと思う。
そして、口から出た後は、完結する。
いつまでも、その怒りの感情を引きずることはなく、どんなことを言われてもされても、親を愛そうとする。
でも、大人になると怒りは蓄積する。
我慢しているから、蓄積するのか、人を愛することが打算的になるからなのか分からないけど・・・
友達と話しながら、親だから、歳を重ねているから、人間的に成長できているわけではない。
もっとスピリチュアルなもの、霊的な成長というのは、年齢ではない。
そんな風に思った。
そう相手を見つめると、大人の癖に、男の癖に・・・
そんな囚われや、目に見える物ではなく、もっと違う心で人を見ることが出来る。
母は、まだまだなんだなと思えば、腹が立ったり、怒りが噴出す必要もない。
そして、こうなって欲しい、こう変わって欲しいという期待で、相手を支配しようとは思わない。
ゆっくりと静かな気持ちで、母の成長を見守ることが出来る。
母親だから、私よりも大人の考え方で当然という囚われを完全に取り、一人の人間同士として向き合う。
母は、まだ自分を守ってもらいたい、認めて欲しい段階なんだな。
それでも、色んな気付きを経て成長しようとしているんだな。
そんな風に、大きな気持ちで母ではなく、人間として、魂の段階のようなものを捉えることが出来る。
引き戻されたり、一歩進んだりするさまを、ゆっくりとして気持ちで見つめる。
かつて私も同じように揺れ動き、感情が噴出し、苦しんだように、母もまた同じ経過を経て成長していることが目に見える。
出来ていない部分よりも、出来ている部分を見つめ、出来ていない部分には、そっと寄り添っていよう、そんなおおらかな気持ちになれるになりたいことを、友達と分かち合った。
こんな分かち合いの出来る友達が、また一人、また一人と増えている。
不思議なことに、ふと気がつくと回りに最初からいた。
気がつかぬまま暮らしていたのに、気がつけば分かち合いのできる友達だった。
見えないところで不思議な力が働いているのを感じる。
目に見えないものを感じることは、電波とか、危ないとかそんな風に解釈されがちだけど、回復にはこういうスピリチュアルな力が欠かせない、そんな風に思う。
それを信じていないうちは、進まないし目に見えないものがある。
斎藤先生が、WHOでもスピリチュアルは認められているんだよと話されたことがある。
医者の口から、スピリチュアルなんて言葉が出ると思っていなかったから驚いたし、その時にはなんとなくしか捕らえることしか出来ずにいた。
でも、色んな意味で導かれている目に見えないものを信じて進むこと、神様にお任せすること・・・
私は、それが自然に出来始めたとたん、変われはじめた。
知識とか、頭でわかっているのとは違う、自然に心から受け入れた時、すべてを手放し無になれるのかもしれない。
分かち合える仲間と話すこと。
大きな変化をもたらすきっかけともなる。
色んなことがあって心が乱れても、私はもう一人じゃない。
それが私に力を与えてくれる。
ポチッと押していただけると嬉しいです。
メンタルヘルスジャンル 恋愛・結婚(離婚)ジャンル
不審者の訪問や、母とのやり取りを聞いてもらった。
もう30年以上前から知っているから、もちろん母のことも良く知っていて、表向きの母とのギャップに驚いていた。
でも、私は、つい最近まで母の異常さには気がつけなかったし、反抗はするものの、やっぱり母が正しくて自分が悪いんだと思ってしまっていたから、結婚してからの私は、母そっくりだったように思う。
むしろ、母を良妻賢母の見本として、そうならなければと勤めてきたように思う。
時折旦那が
「お前のかあちゃん、きつい。
お前よりもきつい。」
そう言っていたのに対して、
「母は正しいことを言っているだけじゃない。」
そう思っていた。
今じゃあ、旦那の言葉に共感できる。
昨夜、次女が
「お母さん、おばあちゃんのことどう思う?」と聞いてきた。
「今回は、ちょっとしんどかったねぇ~。
ちょっとめんどくさかったよねぇ~」と言うと、
「うん」との答え。
「次女ちゃんは、おばあちゃんのこと、嫌だった?」って聞くと
「う~ん。
まぁ、人それぞれ、考え方が違うからねぇ~。」
大人じゃないの・・・そう思った。
母は、言われたことに対してずっと根に持つ。
それが、咄嗟に言ってしまった言葉にしても・・・
ずっと、私はそうやって母を傷つけてきたんだと思っていた。
でも、そうじゃない。
子どもは、大人の姿を素直に映し出す。
でも、それは、本心ではなく、本当に咄嗟に相手の態度に対する反映なのだと思う。
そして、口から出た後は、完結する。
いつまでも、その怒りの感情を引きずることはなく、どんなことを言われてもされても、親を愛そうとする。
でも、大人になると怒りは蓄積する。
我慢しているから、蓄積するのか、人を愛することが打算的になるからなのか分からないけど・・・
友達と話しながら、親だから、歳を重ねているから、人間的に成長できているわけではない。
もっとスピリチュアルなもの、霊的な成長というのは、年齢ではない。
そんな風に思った。
そう相手を見つめると、大人の癖に、男の癖に・・・
そんな囚われや、目に見える物ではなく、もっと違う心で人を見ることが出来る。
母は、まだまだなんだなと思えば、腹が立ったり、怒りが噴出す必要もない。
そして、こうなって欲しい、こう変わって欲しいという期待で、相手を支配しようとは思わない。
ゆっくりと静かな気持ちで、母の成長を見守ることが出来る。
母親だから、私よりも大人の考え方で当然という囚われを完全に取り、一人の人間同士として向き合う。
母は、まだ自分を守ってもらいたい、認めて欲しい段階なんだな。
それでも、色んな気付きを経て成長しようとしているんだな。
そんな風に、大きな気持ちで母ではなく、人間として、魂の段階のようなものを捉えることが出来る。
引き戻されたり、一歩進んだりするさまを、ゆっくりとして気持ちで見つめる。
かつて私も同じように揺れ動き、感情が噴出し、苦しんだように、母もまた同じ経過を経て成長していることが目に見える。
出来ていない部分よりも、出来ている部分を見つめ、出来ていない部分には、そっと寄り添っていよう、そんなおおらかな気持ちになれるになりたいことを、友達と分かち合った。
こんな分かち合いの出来る友達が、また一人、また一人と増えている。
不思議なことに、ふと気がつくと回りに最初からいた。
気がつかぬまま暮らしていたのに、気がつけば分かち合いのできる友達だった。
見えないところで不思議な力が働いているのを感じる。
目に見えないものを感じることは、電波とか、危ないとかそんな風に解釈されがちだけど、回復にはこういうスピリチュアルな力が欠かせない、そんな風に思う。
それを信じていないうちは、進まないし目に見えないものがある。
斎藤先生が、WHOでもスピリチュアルは認められているんだよと話されたことがある。
医者の口から、スピリチュアルなんて言葉が出ると思っていなかったから驚いたし、その時にはなんとなくしか捕らえることしか出来ずにいた。
でも、色んな意味で導かれている目に見えないものを信じて進むこと、神様にお任せすること・・・
私は、それが自然に出来始めたとたん、変われはじめた。
知識とか、頭でわかっているのとは違う、自然に心から受け入れた時、すべてを手放し無になれるのかもしれない。
分かち合える仲間と話すこと。
大きな変化をもたらすきっかけともなる。
色んなことがあって心が乱れても、私はもう一人じゃない。
それが私に力を与えてくれる。
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