私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

プチ・ミーティング

2007-04-11 01:01:11 | 日々つれづれ
今日は、友達とプチミーティング。
不審者の訪問や、母とのやり取りを聞いてもらった。
もう30年以上前から知っているから、もちろん母のことも良く知っていて、表向きの母とのギャップに驚いていた。

でも、私は、つい最近まで母の異常さには気がつけなかったし、反抗はするものの、やっぱり母が正しくて自分が悪いんだと思ってしまっていたから、結婚してからの私は、母そっくりだったように思う。
むしろ、母を良妻賢母の見本として、そうならなければと勤めてきたように思う。
時折旦那が
「お前のかあちゃん、きつい。
 お前よりもきつい。」
そう言っていたのに対して、
「母は正しいことを言っているだけじゃない。」
そう思っていた。
今じゃあ、旦那の言葉に共感できる。


昨夜、次女が
「お母さん、おばあちゃんのことどう思う?」と聞いてきた。

「今回は、ちょっとしんどかったねぇ~。
 ちょっとめんどくさかったよねぇ~」と言うと、

「うん」との答え。

「次女ちゃんは、おばあちゃんのこと、嫌だった?」って聞くと

「う~ん。
 まぁ、人それぞれ、考え方が違うからねぇ~。」

大人じゃないの・・・そう思った。


母は、言われたことに対してずっと根に持つ。
それが、咄嗟に言ってしまった言葉にしても・・・
ずっと、私はそうやって母を傷つけてきたんだと思っていた。
でも、そうじゃない。

子どもは、大人の姿を素直に映し出す。
でも、それは、本心ではなく、本当に咄嗟に相手の態度に対する反映なのだと思う。
そして、口から出た後は、完結する。
いつまでも、その怒りの感情を引きずることはなく、どんなことを言われてもされても、親を愛そうとする。

でも、大人になると怒りは蓄積する。
我慢しているから、蓄積するのか、人を愛することが打算的になるからなのか分からないけど・・・


友達と話しながら、親だから、歳を重ねているから、人間的に成長できているわけではない。
もっとスピリチュアルなもの、霊的な成長というのは、年齢ではない。
そんな風に思った。
そう相手を見つめると、大人の癖に、男の癖に・・・
そんな囚われや、目に見える物ではなく、もっと違う心で人を見ることが出来る。
母は、まだまだなんだなと思えば、腹が立ったり、怒りが噴出す必要もない。
そして、こうなって欲しい、こう変わって欲しいという期待で、相手を支配しようとは思わない。
ゆっくりと静かな気持ちで、母の成長を見守ることが出来る。

母親だから、私よりも大人の考え方で当然という囚われを完全に取り、一人の人間同士として向き合う。
母は、まだ自分を守ってもらいたい、認めて欲しい段階なんだな。
それでも、色んな気付きを経て成長しようとしているんだな。
そんな風に、大きな気持ちで母ではなく、人間として、魂の段階のようなものを捉えることが出来る。

引き戻されたり、一歩進んだりするさまを、ゆっくりとして気持ちで見つめる。
かつて私も同じように揺れ動き、感情が噴出し、苦しんだように、母もまた同じ経過を経て成長していることが目に見える。
出来ていない部分よりも、出来ている部分を見つめ、出来ていない部分には、そっと寄り添っていよう、そんなおおらかな気持ちになれるになりたいことを、友達と分かち合った。

こんな分かち合いの出来る友達が、また一人、また一人と増えている。
不思議なことに、ふと気がつくと回りに最初からいた。
気がつかぬまま暮らしていたのに、気がつけば分かち合いのできる友達だった。
見えないところで不思議な力が働いているのを感じる。

目に見えないものを感じることは、電波とか、危ないとかそんな風に解釈されがちだけど、回復にはこういうスピリチュアルな力が欠かせない、そんな風に思う。
それを信じていないうちは、進まないし目に見えないものがある。

斎藤先生が、WHOでもスピリチュアルは認められているんだよと話されたことがある。
医者の口から、スピリチュアルなんて言葉が出ると思っていなかったから驚いたし、その時にはなんとなくしか捕らえることしか出来ずにいた。
でも、色んな意味で導かれている目に見えないものを信じて進むこと、神様にお任せすること・・・
私は、それが自然に出来始めたとたん、変われはじめた。
知識とか、頭でわかっているのとは違う、自然に心から受け入れた時、すべてを手放し無になれるのかもしれない。

分かち合える仲間と話すこと。
大きな変化をもたらすきっかけともなる。
色んなことがあって心が乱れても、私はもう一人じゃない。
それが私に力を与えてくれる。



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嫌がらせ2

2007-04-10 22:47:41 | 日々つれづれ
どこまでが犯罪に係わるものになるのか知りたくて、警察のDV・ストーカー担当に電話した。
旦那の可能性もあることを話し、色々と話をした。

「奥さんの気持ちもわかるんですが、客観的に捉えると、きちんと家にお金を入れている男性が、そういう行動を取るとは思えないのですが・・・」
そう言われた。

「旦那は、外面が良くて、誰から見てもいい人だと思います。
 でも、それは、自分がいい評価されたいからで、だから誰にでもわかるような嫌がらせは絶対にしないと思います。
 表面上は、いい夫を装い、自分はちゃんと婚費も入れてやってるという体裁を保つと思います。」

「犯罪とはいえない、ぎりぎりのやり方ですし・・・
 そこまで計算して出来るとは思えないのですが・・・」

思わず、旦那の職業を言ってしまった。
だからこそ、公にして、もし旦那が仕事を失った時に、今の状態では私も仕事が出来ず、婚費が入らなくなったら困ること。
けれども、このままでは自分が参ってしまうし、生活も脅かされ、子どもにも係わることを話した。

「提案なんですが、男心をくすぐるというか、そういうやり方を使って、
『今、こういうことがあって困っているんだけど、どうしたらいい?』とご主人に相談を持ちかけてはいかがでしょうか?
 そうすると、もしご主人がされていたのであれば、止めると思うのですが・・・」電話口の警察官は言う。

結局、サイバー担当者とも話したが、投稿された写真については、自分自身が掲示板の管理者に対して、削除依頼を行うしかないと言われた。
そして、削除される前に、そのページの印刷をしておくことを薦められた。
それが残っていれば、証拠として成り立つらしい。

投稿は不審者の訪問の一日後の犯行。
その日は、旦那の車はなかった。
投稿時間は、決まって夜中か休日。

結局、今の状態では、ストーカー法にも引っかからないだろうということ。
取り合えず、明日、防犯カメラの映像を見せてもらうことにした。
そこに旦那の姿が確認できれば、まず間違いない。
本人が認めないにしろ、形のある証拠があれば、何か打つ手もあるかもしれない。

旦那自身が、自分の行動の過ちや異常さに気がつくことがなければ、旦那自体も変わるきっかけを掴むことが出来ないのではないかと思う。
旦那かもしれないとおびえ続けながら、何も出来ないでいるよりも、もしこれで旦那ではなく、他の人が見つかれば、それはそれでまた動くことが出来る。

「あなたが強くなるしかない。」
そんな風に警察官に言われた。
本当にそのとおりだ。
自分の想像の影におびえるよりも、きちんと片付けていこうと思う。




嫌がらせ

2007-04-10 16:39:15 | 日々つれづれ
2月頃、HPのブログのプロフィールの掲示板みたいなところに
「ブログで写真見たよ。きれいだね。バツイチ??○○(住所名)にすんでるの?暇なら逢えませんか?」
と書き込まれていた。
ブログは、年末に嫌がらせっぽいコメントが続いて、移転したばかり。
写真は、2年近く前の記事に掲載していたもので、ブログの内容はショップ情報が主なので、たまたま訪れた男性が、わざわざ過去記事までさかのぼって、見ることもないと思う。

ブログの内容には、旦那のことは触れていない。
旦那のことを書くことは禁止されていたから。
でも、不在だということも書いていない。
そして、ブログには住所を想定できるようなことも書いていない。

今日、偶然に、エッチ系の告白サイトに、このブログに掲載されている顔写真が張られているのを見つけた。
時々見ているサイトのリンクから飛んだサイト。
興味本位で、覗いてみた。
そしたら自分の写真があってびっくりした。
エッチサイトなんて、何万とあるだろうに、偶然見つけるのもすごいかも・・・

弁解がましいかもしれないけど、そんなサイトをいつも見てるわけではなく、自分で自分の写真を載せる人ってどんな気持ちだろうとか・・・
こういう風に自分のことを載せる事が出来る人って自分に自信があるんだろうなとか・・・
私は、自分は愛されるはずもないとか、今は、過食気味で太り始めていて、太っていると愛されないという図式が頭から消えないから、他の人がどんな身体で、どんな気持ちでいるのか知りたかった。
太っていても、歳を取っていても、恥ずかしげもなく、自分の姿をさらけ出していてすごいと思った。

顔は掲載してはいけない規則で、顔をわかりにくくしてあるけれど、身体の方はノーカットに近かった。
そんな中で、私だけが普通のプロフィール写真。
しかも、妻の貸し出し告白のページに、投稿題も、投稿者名も、コメントも書かれぬまま写真だけが貼り付けてあった。
サイズは、ブログの写真のまったくそのまま。
3月末の日付で投稿してあった。

このままスレッドが下がっていくのを待つしかないのかな。
見ている人も、いたずらだと判断したのか、レスはあまりついていない。
このままレスがつかなければ、下がっていくだろう。
それにしても、これはもう嫌がらせにしか過ぎないな・・・


晴れたり、雨が降ったり・・・

2007-04-04 23:20:52 | 日々つれづれ
今日は、一日変な天気でした。
クリニックの通院日だったので、9時半に長男を保育園に連れて行きました。
今日から、年長組。
担任の先生は、男性でした。
父親不在で育った長男は、男の人が大好きです。
母親と違って、乱暴な遊びや、身体を使って遊んでくれるから・・・
いつも、家族ぐるみで遊びに行くと、遊んでくれるパパから離れません。
なので、良かったなぁと思ったのでした。

家を出る時には、晴れていたのに、保育園から出ると変な空模様。
まぁ、いいかと傘を持たずに出発したら、ポツポツと降り始めました。
クリニックでは、今日からプライバシー保護のために受付番号で呼ばれることになり、順番がわかりやすくて良かったです。
待ち時間、マッサージチェアに座りました。
頭のてっぺんから、つま先までマッサージしてくれる、とてもいい機種。
とても気持ちがいいのです。
そして、その後は、紅茶を飲みながら待ちました。

予約制とはいえ、必ず待たなければいけないのですが、アロマが炊いてあったり、湯茶のサービスがあったり、ソファーや机つきの一人がけがあったり、いたれりつくせりの空間。
待ち時間も、そこまで苦になりません。

そんなに長くない診察時間ですが、先生が勝手に切り上げることはせずに話しを聞いてくださいます。
今日は、夜間の訪問者の話。
旦那の性格から、そういうことがあってもおかしくないだろうと言われました。
いわば、想定内の行動ってことなのでしょうか・・・。

「それにしても、飲んでいたか何かで、気が大きくなっていたのかなぁ・・・」と先生。
そう言えば、飲んだ時に、気が大きくなるというより弱気になっていた旦那。
翌日に、
「あなたは、これからさき、どうしたいですか?教えて下さい。」というメールが届いた。
そして、昨日は、長女の通う中学校を尋ねるメール。
何が目的なのか、返事をするのも嫌悪感。
旦那がカウンセリングをして見直せば、やり直すこともありと思っていたけが、
もうやり直せないかもしれないと思い始めたこと、離婚を考えた方がいいかもしれないと思うことを話しました。

「その気持ちを伝えることも手なんだけど、相手から必ず反応があるから、そのやり取りが嫌よねぇ・・・」
先生は、旦那の行動をお見通しです。
「でも、今、離婚を簡単に決めたりしないでね。
 これから、生活していくうえで、どうすればいいのか、考えてから決めてね。
 弁護士などの専門家と話すのもいいね。」
そう仰いました。

旦那の行為が、ストーカーに該当するのかしないのかよくわかりません。
私の妄想だと言われればそれまでなのです。
HPの掲示板などの書き込みにしろ、今回の訪問にしろ、私の推測に他ならず、証拠や直接の裏づけになるものは何もありません。

旦那がHPを見ているという証拠はあるものの、IPアドレスの保存がされているわけでもなく、今回のことにしても、指紋を取ったわけではないので、それが旦那だとは実証されません。

離婚した際の慰謝料、養育費を考えるよりも、今現在の婚姻費用の分担がされているほうが生活も安定するだろうということらしいです。
慰謝料を少しでも増やすために、旦那と付き合っていた人と旦那の携帯にあった写真が同一なのかどうか、逢いに行くのも手なのかなぁと考えてみたりしています。
本当は、そこまでしたくない。
縁があって一緒になったのだから、いがみ合って別れる方法は嫌だなと感じています。

今年に入って、ようやく心の中に、一筋の光のようなものが見え始めたと感じていたのに、まだまだみたいです。
以前、近所で行われている再開発現場と自分の心が似ていると書いたことがあるのですが、そちらもまだまだ工事が続いています。
ただ、少しだけ新しい道路が見え始めています。
私の心と道路。
まだまだ埋めたり掘ったりの繰り返しです。






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ハンドルネーム

2007-04-01 23:14:36 | 日々つれづれ
今日は、ネットで知り合った人たちとお花見をした。
人見知りは、あまりしないほう。
誰とでも、気軽に話せるほうだと思う。
でも、それ以上は近づけない。
とはいえ、3回目になるし、そのうち一家族は、最初の出会い以来、仲良くさせていただいている。
しがらみのないお付き合いは気楽でいい。
本名も知らない人も多い。
バーチャルの延長でもある。
苗字や名前で呼ばれるのではなく、ハンドルネーム。
私の場合は、仕事上でも、その名前を使っているので、違和感は少ない。

ふと、考えてみると、妻である私よりも、母である私よりも、ハンドルネームで成り立っている私である時間が一番多くを占めている気がする。
私個人で捉えた場合は、過去からの友人を除いては、ハンドルネームでも成り立つのではないかと思う。
むしろハンドルネームは、名前よりも知られているのではないかと思うくらい・・・。

結婚して、苗字が変わった時、とても不便に思った。
職場では、旧姓で結構名が通っていたから・・・
電話では、必ず、旧姓を告げた。
知っている人と話すのと、そうでない時には、相手の反応も違う。
結婚後の姓を名乗っても、私の顔を思い浮かべてもらえなかったから。

その後、仕事を辞め、今の仕事に就いた。
仕事上では、名前と平行して、ハンドルネームを用いている。
屋号と同じハンドルネームは、時に屋号として、時に呼び名として使われている。

私の今の姓は、旦那の妻であること、子ども達の母親であることを示すものでしかほかならない。
ラベルでしかないんだなと思う。
何故なら、私はこの姓で自分を表現していないから・・・
旦那の妻としての付き合いも、子ども達の母親としての付き合いも、うわべだけのものでしかない。

私は、旦那と結婚し、この姓を持った。
でも、私は、このラベルで自分を表現したことなんて一度もないような気がする。
どうしてなんだろう。
私は、結婚して、妻であり、母であることによって、自分を型にはめ、身動き出来なくしてしまっていたのかもしれない。
もしかしたら、旧姓の時も、父や母の子どもであり、妹の姉であることに縛られていたのかもしれない。

ハンドルネームは、そういうものから解放された、私一人が、私として存在できる唯一の場所だったのかもしれない。
そう、私は、旧姓の時は、ペンネームを使い、詩を書いていた。
誰にも縛られることがなく、何のしがらみも持つことのない、一個人、独立した一人としてではないと、私は自分の気持ちを表現することが出来なかったんだ・・・

私は、自分の名前で、自分自身を表現することが出来るようになるのかな?
それが出来た時、本当の意味で私が私の人生を歩くことが出来るのかな?




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