私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

ハンドルネーム

2007-04-01 23:14:36 | 日々つれづれ
今日は、ネットで知り合った人たちとお花見をした。
人見知りは、あまりしないほう。
誰とでも、気軽に話せるほうだと思う。
でも、それ以上は近づけない。
とはいえ、3回目になるし、そのうち一家族は、最初の出会い以来、仲良くさせていただいている。
しがらみのないお付き合いは気楽でいい。
本名も知らない人も多い。
バーチャルの延長でもある。
苗字や名前で呼ばれるのではなく、ハンドルネーム。
私の場合は、仕事上でも、その名前を使っているので、違和感は少ない。

ふと、考えてみると、妻である私よりも、母である私よりも、ハンドルネームで成り立っている私である時間が一番多くを占めている気がする。
私個人で捉えた場合は、過去からの友人を除いては、ハンドルネームでも成り立つのではないかと思う。
むしろハンドルネームは、名前よりも知られているのではないかと思うくらい・・・。

結婚して、苗字が変わった時、とても不便に思った。
職場では、旧姓で結構名が通っていたから・・・
電話では、必ず、旧姓を告げた。
知っている人と話すのと、そうでない時には、相手の反応も違う。
結婚後の姓を名乗っても、私の顔を思い浮かべてもらえなかったから。

その後、仕事を辞め、今の仕事に就いた。
仕事上では、名前と平行して、ハンドルネームを用いている。
屋号と同じハンドルネームは、時に屋号として、時に呼び名として使われている。

私の今の姓は、旦那の妻であること、子ども達の母親であることを示すものでしかほかならない。
ラベルでしかないんだなと思う。
何故なら、私はこの姓で自分を表現していないから・・・
旦那の妻としての付き合いも、子ども達の母親としての付き合いも、うわべだけのものでしかない。

私は、旦那と結婚し、この姓を持った。
でも、私は、このラベルで自分を表現したことなんて一度もないような気がする。
どうしてなんだろう。
私は、結婚して、妻であり、母であることによって、自分を型にはめ、身動き出来なくしてしまっていたのかもしれない。
もしかしたら、旧姓の時も、父や母の子どもであり、妹の姉であることに縛られていたのかもしれない。

ハンドルネームは、そういうものから解放された、私一人が、私として存在できる唯一の場所だったのかもしれない。
そう、私は、旧姓の時は、ペンネームを使い、詩を書いていた。
誰にも縛られることがなく、何のしがらみも持つことのない、一個人、独立した一人としてではないと、私は自分の気持ちを表現することが出来なかったんだ・・・

私は、自分の名前で、自分自身を表現することが出来るようになるのかな?
それが出来た時、本当の意味で私が私の人生を歩くことが出来るのかな?




ポチッと押していただけると嬉しいです。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル