私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

カウンセリング72

2007-04-11 16:55:41 | カウンセリング
今日から、カウンセリングは45分。
色々なことがありすぎて、何を中心に話せばいいのか考えてしまいましたが、不審者の訪問と、写真の貼り付けのことを話しました。
もし、旦那の犯行であるとするならば、この後も続くこと。
そして、それが続けば続くほど、いい状態ではなくなることを指摘されました。

もし、調停などで話し合ったところで、生活費を入れていることや、子どもと逢いたいのに逢わずに我慢している自分主張し、自分の非を認めることがないだろうと言われました。
旦那の外面のよさなどからすれば、第三者の前で、自分がしてきたことを認めない限りは、自分が悪かったとは言わないかもしれない。

関係再調整が目的ではなく、第三者に旦那の病理性を判断してもらう形で、カップルセラピーという方法を取るのが一番いいのではないかと言われました。
旦那が自分を正当化しているファンタジーから抜け出すことが必要ではないかといわれました。
そうしない限り、養われている事実、証拠にならない揺さぶりを打破するには、その方法が一番ではないかと言われました。

まだまだ、旦那と同じ部屋に存在する自分を想像することが出来ません。
けれど、今回のことを弁護士に相談したり、地元のカウンセラーとも話をして、カップルセラピーまたは旦那のセラピーに繋がることを考えてみたいと思います。



カウンセリングの後、防犯ビデオを見せてもらいました。
でも、不審な人物は映っていませんでした。
防犯カメラは完全に設置してあるのではなく、ゴミ出し用の鍵が必要である出入り口付近が死角になっており、そこから出入りした場合は映りません。
それと、貯水タンクを登って進入した際も映りません。

ただ、物取りなどの不審者が家人の様子を確かめるためにインターホンを鳴らしたのであれば、インターホンに出た時点で、続行することはないのではないかと思います。
そこが死角だと知っている者、防犯ビデオを見られることも考えての犯行じゃないかと思います。
ただ、そこが死角であることは住人である私には知りえないことでした。
そういうことを熟知したものであれば、可能です。
旦那は、前理事長を務めていたので、防犯ビデオを見たこともあり、それが可能です。

あくまでも、可能性の問題だけで証拠がない限りは、限りなく黒に近い白ということです。
これまでのことを話した私の妹は、そんなことするようには考えられないと言います。
身近な人間でさえ、私の想像を否定してしまうような旦那の評価です。
それを打ち破ることが出来るのか、ちょっと不安になってきました。

ただ、今までと違うのは、そんな私のことを見守ってくれる多くの友達がいます。
近くに住むパパ友達も、何かあったら電話でもメールでもして、男衆で守ってあげると言ってくれます。
一人じゃないと思えることは、どんなに心強くさせることなのでしょう。
だから、私は負けないし、巻き込まれない。
強い気持ちを持っていたいと思います。



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プチ・ミーティング

2007-04-11 01:01:11 | 日々つれづれ
今日は、友達とプチミーティング。
不審者の訪問や、母とのやり取りを聞いてもらった。
もう30年以上前から知っているから、もちろん母のことも良く知っていて、表向きの母とのギャップに驚いていた。

でも、私は、つい最近まで母の異常さには気がつけなかったし、反抗はするものの、やっぱり母が正しくて自分が悪いんだと思ってしまっていたから、結婚してからの私は、母そっくりだったように思う。
むしろ、母を良妻賢母の見本として、そうならなければと勤めてきたように思う。
時折旦那が
「お前のかあちゃん、きつい。
 お前よりもきつい。」
そう言っていたのに対して、
「母は正しいことを言っているだけじゃない。」
そう思っていた。
今じゃあ、旦那の言葉に共感できる。


昨夜、次女が
「お母さん、おばあちゃんのことどう思う?」と聞いてきた。

「今回は、ちょっとしんどかったねぇ~。
 ちょっとめんどくさかったよねぇ~」と言うと、

「うん」との答え。

「次女ちゃんは、おばあちゃんのこと、嫌だった?」って聞くと

「う~ん。
 まぁ、人それぞれ、考え方が違うからねぇ~。」

大人じゃないの・・・そう思った。


母は、言われたことに対してずっと根に持つ。
それが、咄嗟に言ってしまった言葉にしても・・・
ずっと、私はそうやって母を傷つけてきたんだと思っていた。
でも、そうじゃない。

子どもは、大人の姿を素直に映し出す。
でも、それは、本心ではなく、本当に咄嗟に相手の態度に対する反映なのだと思う。
そして、口から出た後は、完結する。
いつまでも、その怒りの感情を引きずることはなく、どんなことを言われてもされても、親を愛そうとする。

でも、大人になると怒りは蓄積する。
我慢しているから、蓄積するのか、人を愛することが打算的になるからなのか分からないけど・・・


友達と話しながら、親だから、歳を重ねているから、人間的に成長できているわけではない。
もっとスピリチュアルなもの、霊的な成長というのは、年齢ではない。
そんな風に思った。
そう相手を見つめると、大人の癖に、男の癖に・・・
そんな囚われや、目に見える物ではなく、もっと違う心で人を見ることが出来る。
母は、まだまだなんだなと思えば、腹が立ったり、怒りが噴出す必要もない。
そして、こうなって欲しい、こう変わって欲しいという期待で、相手を支配しようとは思わない。
ゆっくりと静かな気持ちで、母の成長を見守ることが出来る。

母親だから、私よりも大人の考え方で当然という囚われを完全に取り、一人の人間同士として向き合う。
母は、まだ自分を守ってもらいたい、認めて欲しい段階なんだな。
それでも、色んな気付きを経て成長しようとしているんだな。
そんな風に、大きな気持ちで母ではなく、人間として、魂の段階のようなものを捉えることが出来る。

引き戻されたり、一歩進んだりするさまを、ゆっくりとして気持ちで見つめる。
かつて私も同じように揺れ動き、感情が噴出し、苦しんだように、母もまた同じ経過を経て成長していることが目に見える。
出来ていない部分よりも、出来ている部分を見つめ、出来ていない部分には、そっと寄り添っていよう、そんなおおらかな気持ちになれるになりたいことを、友達と分かち合った。

こんな分かち合いの出来る友達が、また一人、また一人と増えている。
不思議なことに、ふと気がつくと回りに最初からいた。
気がつかぬまま暮らしていたのに、気がつけば分かち合いのできる友達だった。
見えないところで不思議な力が働いているのを感じる。

目に見えないものを感じることは、電波とか、危ないとかそんな風に解釈されがちだけど、回復にはこういうスピリチュアルな力が欠かせない、そんな風に思う。
それを信じていないうちは、進まないし目に見えないものがある。

斎藤先生が、WHOでもスピリチュアルは認められているんだよと話されたことがある。
医者の口から、スピリチュアルなんて言葉が出ると思っていなかったから驚いたし、その時にはなんとなくしか捕らえることしか出来ずにいた。
でも、色んな意味で導かれている目に見えないものを信じて進むこと、神様にお任せすること・・・
私は、それが自然に出来始めたとたん、変われはじめた。
知識とか、頭でわかっているのとは違う、自然に心から受け入れた時、すべてを手放し無になれるのかもしれない。

分かち合える仲間と話すこと。
大きな変化をもたらすきっかけともなる。
色んなことがあって心が乱れても、私はもう一人じゃない。
それが私に力を与えてくれる。



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