口唇期の問題を先週に続いて話しました。
頬が、じんわりとした温もりを感じることを求めていること。
直接の皮膚と皮膚との接触。
それはまさしく、母乳を与える母と赤ちゃんとの関係だと思うこと。
卒論小説の中にも、それが描かれていること。
「だから、ホテルに行っても、エッチをしないんだねぇ~。」
なんてカウンセラーから指摘をされました。
私が男性を求めるのは、セックスではなく、キスやそういう感覚的なものだと思います。
「旦那は、女性をハンティングしてる人でしょ。
風俗に行ったりするくらいだから、ハンティングだよねぇ。
ハンティングしてる男性は、冷たいというか、エッチが終わると、さっさと別の行動に移ったりしてしまわない?」とカウンセラー。
「どうしてわかるん~。」と私。
ハンティングする人は、女性を征服することで、癒されるのだと言われました。
でも、本当に癒されているのではなく、そうだと思い込んでいる、アディクションで、実際には埋まらないのだと言われました。
まさにその通り。
ずっと、結婚生活の間、そのふれあいを求めても、求めても与えられることはありませんでした。
セックスが苦痛でたまりませんでした。
旦那にとってのセックスは、性的な快楽を得る行為でしかなく、私が求めるものとは180度異なっていました。
旦那にとってのセックスは、いかに自分のテクニックを見せ付けるか、それだけしかなかったように思います。
私が、旦那とやり直したくないと思っている大きなポイントでもあるかもしれません。
私は、どうしても、あの温もりを手に入れたい。
でも、それも、アディクションに過ぎないのかもしれませんが、その思いがあるうちは、旦那とのスキンシップは取れないと感じてしまいます。
結婚生活の中でもまた、私は、このまま、こんなセックスしか出来ないまま、一生を終えるのかという思いがありました。
私が求めるのは、快楽ではなく、安らぎに過ぎなかったからです。
誰かに抱かれたい思いは、快楽的なものによって溺れたいのではなく、むしろ、子どもが母の胸に安らぎを求めるものと同じだったのでしょう。
5歳になる長男は、時折、抱っこを求め、少し抱っこするだけで安心して遊び始めます。
10歳の次女も、寝る前や、悲しい出来事があった時には、抱きしめてといいます。
でも、私は、5歳を迎える前に、それを辞めてしまいました。
お姉ちゃんだからという言葉によって、求めることが出来なくなりました。
口に出せない想いを、飲み込んで、飲み込んで、飲み込み続けて、初めて、男の人の胸に抱かれた時に、その想いを止めることが出来なくなってしまったのでしょう。
そして、その欲求は止められなかった。
傍にいるのに与えてもらえない、そんな怒りが旦那に対してありました。
寂しくて、寂しくてたまらなかった。
目の前にいながら満たしてはもらえない想い。
どうせなら、目の前からいなくなって欲しかった。
「あなたといると、一人でいるよりも寂しい。」
私は口にしたことがありました。
ずっと、ずっと寂しかった。
でも、今は、寂しさを感じることは少なくなりました。
布団で眠っている長男の横に滑り込む時の幸せ。
子ども達を抱きしめる、それだけで温かい気持ちになれます。
渇望ではなくなったけれど、まだ抱きしめられることの幻想みたいなものは渦巻いています。
きっと、この感情は、ずっと共生していくしかないのでしょう。
でも、悲しい時、辛い時、そっと寄り添い合える関係でありたい、それは人間として当然の依存ではないかと思います。
旦那は、すべて一人で処理していくものだと思っています。
そうするしかなかったのでしょう。
でも、私は、そんなのは嫌なのです。
しかたなく与えられるのも、しかたなく寄り添われるのも嫌なのです。
お互いが、そっと寄り添い合えるような関係が欲しいのです。
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メンタルヘルスジャンル 恋愛・結婚(離婚)ジャンル
頬が、じんわりとした温もりを感じることを求めていること。
直接の皮膚と皮膚との接触。
それはまさしく、母乳を与える母と赤ちゃんとの関係だと思うこと。
卒論小説の中にも、それが描かれていること。
「だから、ホテルに行っても、エッチをしないんだねぇ~。」
なんてカウンセラーから指摘をされました。
私が男性を求めるのは、セックスではなく、キスやそういう感覚的なものだと思います。
「旦那は、女性をハンティングしてる人でしょ。
風俗に行ったりするくらいだから、ハンティングだよねぇ。
ハンティングしてる男性は、冷たいというか、エッチが終わると、さっさと別の行動に移ったりしてしまわない?」とカウンセラー。
「どうしてわかるん~。」と私。
ハンティングする人は、女性を征服することで、癒されるのだと言われました。
でも、本当に癒されているのではなく、そうだと思い込んでいる、アディクションで、実際には埋まらないのだと言われました。
まさにその通り。
ずっと、結婚生活の間、そのふれあいを求めても、求めても与えられることはありませんでした。
セックスが苦痛でたまりませんでした。
旦那にとってのセックスは、性的な快楽を得る行為でしかなく、私が求めるものとは180度異なっていました。
旦那にとってのセックスは、いかに自分のテクニックを見せ付けるか、それだけしかなかったように思います。
私が、旦那とやり直したくないと思っている大きなポイントでもあるかもしれません。
私は、どうしても、あの温もりを手に入れたい。
でも、それも、アディクションに過ぎないのかもしれませんが、その思いがあるうちは、旦那とのスキンシップは取れないと感じてしまいます。
結婚生活の中でもまた、私は、このまま、こんなセックスしか出来ないまま、一生を終えるのかという思いがありました。
私が求めるのは、快楽ではなく、安らぎに過ぎなかったからです。
誰かに抱かれたい思いは、快楽的なものによって溺れたいのではなく、むしろ、子どもが母の胸に安らぎを求めるものと同じだったのでしょう。
5歳になる長男は、時折、抱っこを求め、少し抱っこするだけで安心して遊び始めます。
10歳の次女も、寝る前や、悲しい出来事があった時には、抱きしめてといいます。
でも、私は、5歳を迎える前に、それを辞めてしまいました。
お姉ちゃんだからという言葉によって、求めることが出来なくなりました。
口に出せない想いを、飲み込んで、飲み込んで、飲み込み続けて、初めて、男の人の胸に抱かれた時に、その想いを止めることが出来なくなってしまったのでしょう。
そして、その欲求は止められなかった。
傍にいるのに与えてもらえない、そんな怒りが旦那に対してありました。
寂しくて、寂しくてたまらなかった。
目の前にいながら満たしてはもらえない想い。
どうせなら、目の前からいなくなって欲しかった。
「あなたといると、一人でいるよりも寂しい。」
私は口にしたことがありました。
ずっと、ずっと寂しかった。
でも、今は、寂しさを感じることは少なくなりました。
布団で眠っている長男の横に滑り込む時の幸せ。
子ども達を抱きしめる、それだけで温かい気持ちになれます。
渇望ではなくなったけれど、まだ抱きしめられることの幻想みたいなものは渦巻いています。
きっと、この感情は、ずっと共生していくしかないのでしょう。
でも、悲しい時、辛い時、そっと寄り添い合える関係でありたい、それは人間として当然の依存ではないかと思います。
旦那は、すべて一人で処理していくものだと思っています。
そうするしかなかったのでしょう。
でも、私は、そんなのは嫌なのです。
しかたなく与えられるのも、しかたなく寄り添われるのも嫌なのです。
お互いが、そっと寄り添い合えるような関係が欲しいのです。
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