人を好きになるって、どういう感情なのかなと、今さらながら考えています。
本当は、幸せなものであるはずなのに、私にとって好きになるということは、高揚感と同時に孤独感を与えるものでした。
一緒にいる時は、高揚感を感じ、別れの時間や一人の時間は、引き裂かれるような感情を持ってしまう。
その繰り返しでした。
逢うことを渇望し、それ以外のときは飢餓感でいっぱいでした。
アルコールや薬物依存と同じだったんです。
摂取すれば、一時の至福の時が得られ、素面の時は、辛くてたまらない。
目に見えるものだったら、自分で気が付きやすかったんだと思うけれど、人間関係というのは、目に見えないから、人を好きになるってずっと苦しいものだと思っていました。
そんなものなんだって思っていました。
でも、そうじゃなかったんだなと最近気がつきました。
それは、Kさんやカウンセラーとの関係の中で学んだものです。
人を好きになるということは、それだけで幸せで温かいものだったんだと感じています。
本当は、穏やかな静かな感情で、胸を引き裂かれるような感情ではなかったのではないかと思います。
そう思うと、今まで私がしていたのはなんだったんだろうかと考えます。
今までは、自分の気持ちを表現することが出来なくて、相手に合わせてばかりでした。
自分の気持ちを素直に、ありのままに表現するのが怖くて、心の奥底にためたままでした。
どうしたら好きになってもらえるだろう。
どうしたら嫌われないだろう。
そんなことにばかり囚われてしまって、いつも本当の自分を着飾ってばかりでした。
結局は、誰も愛することが出来ていなかったのではないかと思います。
Kさんとの関係は、今までの関係とは違うと思いたいけれど、結果、Kさんには家庭があるから、同じなのかもしれません。
今、色んな迷いがあるKさんにとって、私にすがり付いてしまいたいそんな気持ちだと思います。
それに答えたい気持ちも、受け止めたい気持ちもあります。
でも、それをしても立場が今までと逆になっただけで、何も変わりません。
Kさんのことを思うとき、心はとても温かくなります。
それだけで幸せな気持ちです。
これから先、二人で逢うことがないと想像しても、苦しい気持ちは生まれてきません。
それでもいい。
私にとっては、大切に思う気持ちでいっぱいです。
でも、この気持ちが、本当の愛なのかどうかもあやふやです。
ただ、この感情は、生まれてから一度も得たことがない、とても素敵な感情です。
こんなにも温かい気持ちが自分の中にあるとは思いませんでした。
こういう気持ちの記憶をしっかりと胸に抱いていようと思います。
カウンセラーにもまた、温かい感情をいただきました。
でも、やっぱり終わりのある関係です。
私は、この終わりのない、永遠に続いてもいい人との関係を築くことが出来るのか、とても不安です。
Kさんとカウンセラーとの間に、そういう温かい気持ちがあることに気がついた私は、自分がそこから這い上がれたのかもしれないと思っていました。
でも、実際は違っていました。
知り合ったばかりで、顔も見ぬ相手に対して、見捨てられ感を噴出してしまいました。
それは、今までに抱いていた恋愛の感情をもう一度思い起こさせました。
私は、這い上がれてはいなかったのです。
Kさんも、カウンセラーも、私だけを見てくれる人ではなくて、結末のある関係で、私にとっては不安を感じさせる要素の少ない関係だったことに気がつきました。
Kさんやカウンセラーと築いたような関係を、ちゃんと自分を愛してくれる対等な人と築いていかない限りは、私はこの見捨てられ感から脱することは出来ないのかなと思います。
きちんと私の気持ちを受け止め、育てていこうと思ってくれる人、待つことの出来る人と温かい信頼できる関係を持つことが出来た時、この見捨られるかもしれないという感情を手放すことが出来るのかなと思っています。
旦那がそれをすることが出来れば、良かったのかもしれません。
でも、旦那にはその役割は無理じゃないかと思っています。
少しずつ、男女を問わず、色んな関係を持つことを恐れずに少しずつ進んでいくことがスタートなのかもしれません。
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メンタルヘルスジャンル 恋愛・結婚(離婚)ジャンル
本当は、幸せなものであるはずなのに、私にとって好きになるということは、高揚感と同時に孤独感を与えるものでした。
一緒にいる時は、高揚感を感じ、別れの時間や一人の時間は、引き裂かれるような感情を持ってしまう。
その繰り返しでした。
逢うことを渇望し、それ以外のときは飢餓感でいっぱいでした。
アルコールや薬物依存と同じだったんです。
摂取すれば、一時の至福の時が得られ、素面の時は、辛くてたまらない。
目に見えるものだったら、自分で気が付きやすかったんだと思うけれど、人間関係というのは、目に見えないから、人を好きになるってずっと苦しいものだと思っていました。
そんなものなんだって思っていました。
でも、そうじゃなかったんだなと最近気がつきました。
それは、Kさんやカウンセラーとの関係の中で学んだものです。
人を好きになるということは、それだけで幸せで温かいものだったんだと感じています。
本当は、穏やかな静かな感情で、胸を引き裂かれるような感情ではなかったのではないかと思います。
そう思うと、今まで私がしていたのはなんだったんだろうかと考えます。
今までは、自分の気持ちを表現することが出来なくて、相手に合わせてばかりでした。
自分の気持ちを素直に、ありのままに表現するのが怖くて、心の奥底にためたままでした。
どうしたら好きになってもらえるだろう。
どうしたら嫌われないだろう。
そんなことにばかり囚われてしまって、いつも本当の自分を着飾ってばかりでした。
結局は、誰も愛することが出来ていなかったのではないかと思います。
Kさんとの関係は、今までの関係とは違うと思いたいけれど、結果、Kさんには家庭があるから、同じなのかもしれません。
今、色んな迷いがあるKさんにとって、私にすがり付いてしまいたいそんな気持ちだと思います。
それに答えたい気持ちも、受け止めたい気持ちもあります。
でも、それをしても立場が今までと逆になっただけで、何も変わりません。
Kさんのことを思うとき、心はとても温かくなります。
それだけで幸せな気持ちです。
これから先、二人で逢うことがないと想像しても、苦しい気持ちは生まれてきません。
それでもいい。
私にとっては、大切に思う気持ちでいっぱいです。
でも、この気持ちが、本当の愛なのかどうかもあやふやです。
ただ、この感情は、生まれてから一度も得たことがない、とても素敵な感情です。
こんなにも温かい気持ちが自分の中にあるとは思いませんでした。
こういう気持ちの記憶をしっかりと胸に抱いていようと思います。
カウンセラーにもまた、温かい感情をいただきました。
でも、やっぱり終わりのある関係です。
私は、この終わりのない、永遠に続いてもいい人との関係を築くことが出来るのか、とても不安です。
Kさんとカウンセラーとの間に、そういう温かい気持ちがあることに気がついた私は、自分がそこから這い上がれたのかもしれないと思っていました。
でも、実際は違っていました。
知り合ったばかりで、顔も見ぬ相手に対して、見捨てられ感を噴出してしまいました。
それは、今までに抱いていた恋愛の感情をもう一度思い起こさせました。
私は、這い上がれてはいなかったのです。
Kさんも、カウンセラーも、私だけを見てくれる人ではなくて、結末のある関係で、私にとっては不安を感じさせる要素の少ない関係だったことに気がつきました。
Kさんやカウンセラーと築いたような関係を、ちゃんと自分を愛してくれる対等な人と築いていかない限りは、私はこの見捨てられ感から脱することは出来ないのかなと思います。
きちんと私の気持ちを受け止め、育てていこうと思ってくれる人、待つことの出来る人と温かい信頼できる関係を持つことが出来た時、この見捨られるかもしれないという感情を手放すことが出来るのかなと思っています。
旦那がそれをすることが出来れば、良かったのかもしれません。
でも、旦那にはその役割は無理じゃないかと思っています。
少しずつ、男女を問わず、色んな関係を持つことを恐れずに少しずつ進んでいくことがスタートなのかもしれません。
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