私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

優しさに包まれて

2006-08-11 21:01:43 | 私のこと
こうやって自分を見直すことは、思いのほか苦しかった。
カウンセリングは、心が楽になるものだとばかり思っていたし、辛いものだとは考えても見なかった。
旦那に傷付けられて、旦那にすがりつく…そんな悪循環と同じ(笑
カウンセリングで、気持ちを宙吊りにされて、カウンセラーにすがりついた。
でも、少しずつ、そんな気持ちも薄れてきた。

心の中は、あちこち掘り起こしては、埋めていく繰り返しで、何がなんだかわからない状態だったけど、その中で、色んなものが見えてきた。
こうやって見直し始めたとたん、色んな出逢いに恵まれた。
ここで吐き出しても、非難する人も中傷する人もなく、優しさや共感を頂いてきた。
実際の人間関係も同じ。
皆、温かく見守ってくれている。
新しく知り合った人は、道しるべになってくれるような人ばかりだったし、なんて私は恵まれているんだろうとありがたい気持ちでいっぱいだ。

今まで、必死にあがきもがいていて、自分ばかりが一生懸命で、足りないものばかり探して埋め尽くそうとしていたことを知る。
足りないものがあってもいい。
そんな気持ちになったとたん、今まで足りなかったものが目の前にあることを知る。

名誉とか地位とか、収入とか、そんなこだわりを捨ててしまって、新しい価値観が自分の中に出来たのかなと思う。
そんなものより、もっと大切なものがある。
出逢いに感謝し、自分が自分らしくいられる空間に身をゆだねていることが出来ればそれでいい。
まだまだ辛くて苦しいこともあるけれど、何かとても温かい優しいものに包まれているような気持ちになる。


斎藤先生のブログより
「重石はあなたの感情で、その主な成分はさびしさ、それを重く感じさせているのは罪悪感です。
 さびしさについては、その感情を消そうとせず、ただ感じてみてください。それは意外にイキイキとした感情で始終揺れ動いて大きくなったり小さくなったりしています。しかしそれは危険なものではありません。そこからは涙やため息と一緒に詩や歌が生まれます。創作の源泉です。」





1年

2006-08-11 08:38:36 | 旦那への気持ち
旦那と生活しなくなって、昨日で1年だった。
でも、そんなことすら忘れていた。
1年前の8月10日、私は子ども達を連れ、実家へ20日まで帰省した。
お盆休みも取る予定がなく、それどころか土日すら家にいなかった旦那。
実家にいたほうがあちこち子ども達を連れて行ってやれた。

20日に戻ってくると、10日分の郵便物が溜まっていた。
宅急便の不在通知。
マンションの理事会の書類。
放置されたままだった。

出産後、実家に帰っていたときも、同じことがあった。
現金書留で、お祝いを送ってくれた伯父。
1ヶ月の間、一度もポストを覗かず、2度も伯父の元に返送された。
春に、帰省した時も、同じだった。
長期間いないのだからポストくらい覗いてと怒った。
しかも、旦那が引き受けた理事長の仕事。
自分の職場では休みを取らずに働いても、家族が住むマンションではいい加減なことをするのか?

大声で旦那がわめくたび、近所迷惑だからやめてと言った。
好きでこのマンションに住んでるのではないから関係ないと旦那は言った。
仕事と家の往復だけの旦那。
そりゃあ、関係ないだろう。
でも、近所付き合いしたりしている私や子どもはどうなる?

10日分の郵便物を見た時、今まで我慢していた思いが爆発した。
時間や約束を守らないルーズさも、
親にお金を貰ったり、子どものお年玉に手を付けたりしたことも、
女性問題も、
暴言を吐いたり、暴力を振るったりしたことも、
家庭を顧みないことも、
結局、変わるからの言葉を信じて、許してきた。
でも、こいつは変わらない。
信じてきた私が、バカだった。
初めて、そう思った。

さっさと鍵を取り付け、例え、チェーン錠を切っても入れないようにした。
留守中にも入ることが出来ないように、鍵屋に頼んでも開かないような、外からはどこに鍵があるかもわからないような電子錠。

途中何度も、心は揺れた。
寂しくて、辛くて、許そうと思った。
旦那に傷付けられた心の痛みを、旦那にすがりつくことで消そうとしていた。
駐車場の車で寝ている旦那が可哀想で、何度も家に入れようかと思った。
でも、カウンセリングを受けることで、感情が揺れることが少なくなった。

子どもが3人もいて、一人だと大変じゃないのとよく言われる。
全然、まったく、さっぱりだ。
だって今までも、いないほうが多かったのだもの。
一人でやってきたに等しかった。
それなのに、一人じゃあ何も出来ないと思って頼りたいばっかりだった。

何をしても罵倒されることもない。
顔色を見てビクビクすることもない。
嘘を重ねられて、悲しむこともない。
自分勝手さにイライラすることもない。

手放してしまえば、何のためにしがみついていたのかわからないほどだった。
もう、あんな思いは一日たりとも、一度たりともしたくない。


「金曜日から日曜日まで休もうと思う。長男の誕生日だし、みんなで食事でもどうですか?考えて見て下さい。」

「こちらにも予定がありますので、ごめんなさい。
今の精神状態で、あなたに逢うのは無理です。
あなたは全然変わっていないから。
もし、自分のことを見直したのであれば、
「カウンセリングは受けました。何故自分の知識だけで決め付けるのですか?何故会えないんですか?何故子供を取り込むのですか?」
こういうメールは送ること出来ないと思います。」

「カウンセリング受けたら治るのですか?子供達に会いたい気持ちはいけないんですか?貴方の考え方は独善的過ぎると思う。わたしは何?」

変わってないじゃん。
自分の予定に皆が合わせると考えていること。
一年経っても、皆の予定を聞くことすら出来ていない。
こんな状況に至っても、私の考えには従うことが出来ず、あくまでも自分が中心で自分の考えを曲げないこと。
私の考えを否定すること。

出来ることなら、メールも交わさず、一生逢いたくもない。
そろそろ、決める時なのかな。


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