私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

平和祈念日

2006-08-06 20:34:31 | 日々つれづれ

今日は、61回目の広島の平和祈念日です。
世界で唯一の被爆国でありながら、何も世界に発信が出来ていないようで悲しくなります。
もっと戦争や原爆の悲惨さを国を挙げて伝えるべきではないかと感じています。

PTSDは、ベトナム戦争後使われるようになった言葉です。
でも被爆者の心は、そんな言葉では表せないほど、深く傷付き、61年経った今でも、心の傷を抱えたままで過ごされている方も多いのではないでしょうか?
日本では、その心の傷についての調査はされていません。
被爆者手帳の配布も、申告制です。
被爆者でありながら、手帳を手にしていない人も多いのです。
また、年に一度の健康診断を無料で受けることは出来ますが、心のケアはされません。

投下直後の広島は、地獄絵巻のようだったと言われています。
全身やけどで、皮膚がただれおばけのように手を前に突き出し、地面は死体で覆い尽くされ、その上を歩いたといいます。
川には水を求め、亡くなった人々の死体でいっぱいで、それでも後から後から人々は川に飛び込みました。

私が就職して最初の上司は、被爆者でした。
お兄さん二人を原爆で亡くされていました。
命からがら、被爆して家に辿り着いて、水を求め息途絶えたと言われました。
体中の水分が抜け、布団はべちょべちょになり、その下の畳は腐ったと言われました。
夏の日、やけどでただれた皮膚には、無数のうじが湧き、部屋中に異臭が立ちこめ、それでも、たくさんの方が亡くなったので、焼くのも順番待ちだったそうです。

その方は、今でも被爆者手帳を手にされていません。
手帳を見るたびに、そのことを思い出してしまいそうで辛いので、申請できないのだと言われていました。
人々の心に、今もなお深い傷を残しているということを忘れてはいけないと思います。

ドラマでは死を美しく描いてありますが、その光景は、どんなホラー映画よりも恐怖に満ちていると思います。
そして、運良く生き残ったとしても、今度は原爆症という恐怖に怯えながら暮らしていきます。
エイズのキャリアの方々が発病の危険性をはらんでいるのと同じです。
目の前で、多くの方々が発病し、亡くなっていくのです。
死と隣り合わせに暮らし、今も後遺症で苦しんでいる現実を、もしかしたら私達は忘れ始めているのではないかと危惧しています。

今の平和は当たり前ではないということ、たくさんの犠牲があり、その上に成り立っているということ、同じことを繰り返すまいと努力する方々がおられることを忘れないでいたいなと思います。
そして、どんなに戦争が悲惨で、原爆が酷いものか、後世に伝えていかなければ、きっと同じ過ちを犯してしまうのではないかと思うのです。

広島や長崎の被爆者がどれだけ心の傷を受け、今も傷を抱えているか、調査し世界に発信したほうがいいのではないかと思います。
身体的被害については、調査されてきたかもしれませんが、心の問題については扱われていません。
そして、国はそうした事実を踏まえ、海外に向けて原爆の悲惨さを伝えていくべきではないかと思います。
今、そうした活動は市民団体のみになっているような気がします。
一個人の試みには、ほとんど支援されていないように思います。
すべてがボランティアや寄付で行われています。

被爆国としての、日本の役割を果たしていないような気がします。
戦争が起こって、自衛隊を派遣することよりも、戦争が起こる前に、戦争の悲惨さや恐さを子どもが小さい時に植えたほうがよいのではと思います。
純粋な子どもが原爆や戦争の恐怖に怯え、心に刻み込めば、もっともっと世界は変わるのではないかという気がしてなりません。

このままでは、日本は何のために原爆を受けたのか、戦争でたくさんの方を亡くしたのかわかりません。
その方々の命を無駄にしないためにも、体験者が絶えてしまう前に、何かをしなければならないのではないかと感じています。
そんな思いで、記事を書いてみました。
これを読んでくださった方々が、何かを感じ、今の平和の意味を考えてくださればと思います。

61年目の慰霊、広島で平和記念式典 (中国新聞) - goo ニュース
gooのニュースでは、平和記念式典とされていますが、写真では、広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式となっています。
広島では祈念を、一般的には記念を使うということですら、認識がずれているような気がします。
記念=思い出 祈念=平和を祈る。
戦争は、もう過去の思い出なのでしょうか?
マスコミさえも、こういう形でしか発信していないこと、疑問に思います。