goo blog サービス終了のお知らせ 

風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

偶然の再会

2008-07-03 22:24:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
1996年の7月に、北海道を回っていた時の事。美瑛の白金キャンプ場で大阪のキャンパーNさんと出会った。

そして、1997年になって、ここ米原で偶然再会。
彼は自分の名前を覚えていてくれて、ダンロップのテントとベンリイCD50を見て僕だと確信し声をかけてくれたのだそうだ。

ソーセージなど焼いて食べさせてくれ、1月にフィンランドに行った話しを聞かせてくれた。
マイナス30℃にもなると鼻毛が凍るという感じが分かったと言っていた。
消費税が22%で、治安は良く、夜も割合安心して出歩けるらしい。

ただ、食べ物が合わないと言っていた。
香草を何にでもたっぷり使うので、香りが強すぎて、美味しくなかったらしい。
持参したレトルト粥の方がはるかに美味しかったとか。
野菜の酢漬けにからしをつけたものや、トナカイ肉のステーキも味付けがひどく、食べられなかったらしい。
Nさんにとって、フィンランドの料理はいまいちだったようだ。

彼は、次回はオーストラリアに行くと言っていた。
大阪に来たらぜひ寄ってくれと言ってくれた。

さて、自分は、そろそろ八重山巡りをしたいな。
まずは西表に行こうと決めた。

不思議なきのこ

2008-07-01 21:21:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
のんびり米原キャンプ場生活。

波照間では、ろくにベンリイCD50に手入れをしなかった。
サビ取りに、チェーン張りに、チェーンオイルの補充に、クラッチの調整。

あとはずっとキャンプ仲間とだべっていた。
自分としては、ここに長居せずに残りの旅をしないとなあという思いがある。
しかし、みんなは「もっと長く居ろ~。」と言う。
居心地が良いので、時間とともにダラーっとしてくる自分がいて危ない危ない(笑)。

夕方、クマさんがどっかから採ってきたという、きのこのスープを作っていて、ひそかに待っていた。
晩飯は煮た米とたまご焼き。それに、クマさん特製の怪しいきのこのスープ。
スープの味は悪くない。

「で、クマさん。このきのこ、何?」
「あ、それね。マジックマッシュルームだよ。」
「牛の糞によく生えているよ。大丈夫、ちゃんと洗っているから(笑)。」



は?




マジックマッシュルーム?

牛のウンコォ~?


一緒にいたキャンパーに、少し詳しく説明を聞いてびっくり。


マジックマッシュルームとは
ウィキペディアにリンク


幻覚キノコの一種で、LSDのきのこ版らしい。
ものすごくハッピーな気分になったり、反対に沈没したり、色彩が鮮やかになったりするらしい。
ただし、一度に大量に食べると、幻覚が過ぎて、高いところも恐怖感がなくなり、飛び降りたりして、死ぬ事もあるとか。

ひえ~こんなもの食べちゃったの~?

クマさん曰く
「K君のはごく少しだから、大丈夫だよ(笑)」

1時間くらいしたら、脳がジワジワとシビれてきた。
体中の力が抜けていく感じだ。

クマさんに連れられて、砂浜に出た。
キャンプ場は砂浜の隣なので、歩いてすぐが砂浜なのである。

自分は黄色いもの、例えば落ち葉とか流木などが鮮やかに見えた。
海を見てみるとさざ波が虹色に見えた。
はじめは風で波が立っているのかなと思ったが、動きが変だ。
よく見てみると勝手にうねっている。
自分の意識で、その虹色の波を動かせるのだ。

ははー、これがマジックマッシュとやらの効果の一種ですか。
軽ーーい麻薬みたいなものだろう。

クマさんは僕のは量が少ないと言ったが、それでもけっこうフラフラする。
酒に酔ったのとは違うフラフラ感。
何人かそのスープを飲んだが、全く症状が出なかった人もいて、効果は人それぞれらしい。

その後もう一度別の友達とマジックマッシュルームを食べる機会があったが、この時は何も症状が表れなかった。

これは1997年当時の話です。
2002年から、マジックマッシュルームを、幻覚遊びなどで栽培・採取する事は法律で禁じられています。

再会

2008-06-25 22:09:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
絵を描くのが好きなクマさんは、4ヶ月の間に絵をたくさん描いてきた。
与那国島でペンキ屋のバイトをしていたらしい。
Z君も後から帰ってきた。

キビ刈り隊の隊長だったOさんは、残念ながら3日前にキャンプ場を出て行ったとの事だった。
ちょこっとでも会いたかったな・・

Z君クマさん自分の3人で再会の杯を交わした。
いつ飲んでも泡盛はキツイ。

クマさんの絵を見せてもらった。
頭にガーンと衝撃がきた。すごい。
「天才」だ。
この色使い、構図、抽象的表現力。
素の芸術ってこういうことなのだろう。感動だった。

そんなクマさんに会えて本当に嬉しかった。

祝杯の泡盛が効いてきた。フラフラする。

一人、23歳(1997年当時)の大阪の女の子キャンパーがいる。
明るくていい子だ。
キャッキャキャッキャ言っているが、シリアスな所もきちっとあって、好感の持てる子である。
風景写真を撮るのが好きで、尾瀬の山小屋のバイトに行った時も撮っていたようだ。

波照間離れる

2008-06-23 21:44:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
1997年4月24日

・・・ついにこの日が来た。ウソではない。本決まりだ。
4ヶ月に及んだ波照間での生活も終わりである。

ここは本当にいろいろな思い出のつまった島だ。

きび刈りのこと。
Uさんと出会ったこと。
飛び魚漁のこと。
島の人たちのこと。
沖縄の音楽や文化のこと。

今は、僕の生きる道の本当の意味での分岐点なのだ。

しかし、反面、また走らなくてはいけないんだなという、かったるさがあるのも本当である。
日本一周の残りを走るのがおそろしく面倒くさい事のように思えてしまうのだ。

AM10:00頃目が覚めた。
さーて、片付けだ。
フルパッキングなんて4ヶ月振りだもんな。うまくまとめられるかな?
まっ、やるしかないな。と、のんびりまとめに入った。

うちわだの貝だの泡波だのと余計な物もあるからなかなかまとまらない。
知らぬ間に荷物が相当増えてしまったようだ。

それでもなんとかまとまり、バイクにくくりつけ、後は折りたたみバケツに放り込んだ。石垣島に渡ったら、余計な荷物は小包で送るつもりだ。

ゴミや忘れ物がないか確認し、居心地の良かったモンパの木の下テント場に別れを告げ、出発。
フルパッキングで走るのはこれも4ヶ月振り。
荷物が重いのでフラフラし、とても窮屈だ。

船の出港までには時間がある。
最南端の所へ行き、高那崎を見渡した。
結局星空観測タワーに行く事はなかった。

島一周道路を走りながら、4ヶ月に起きた様々な出来事を思い出す。
キビ刈りが終わった島は、とても静かで穏やかだ。

数日前に撮った誰もいなくなった寮。
トタン屋根で、雨が降ると話し声は聴こえなくなるし、あちこち雨漏りする粗末な家だったが、世話になった家だ。


集落に入り、名石売店で八重泉を買う。
キビ刈りでとてもお世話になったKMさんへのお礼だ。
売店の外にあるテーブルでKMさんにお礼の手紙を書き、KMさんの家に行く。
あいにく留守だったので、酒と手紙を置いていく。

名石売店で店番をやっていたよしみさんは、とても良い人だ。
キビ刈りの分散会の時、三線を持って歌ってくれたり、人生談義などもした。
よしみさんのパートナーのじゅんさんには、いろいろ痛いところを突かれたが、これも自分の人生の指南だと思って受け止めた。

学校の卒業記念の壁画を見る。
べスマとは、私の島と言う意味。






ターミナルに行き、OMさんの奥さんにあいさつした。

フェリーにバイクを入れた。
キビ刈り隊では僕が一番最後に島を出るので、見送りする人はだれもいない。
そこが最後に残った人間の寂しいところだ。

因みに、途中で辞めてしまった飛び魚漁だが、大漁過ぎて値が下がり、「大漁貧乏」状態だったそうな。

15:00
船が出港する。
ついに、ついに波照間を離れた。

この時も、色んな思いをめぐらせて島を見渡した。
悲しさは全くない。
すぐまた来るさ、と言った軽い感じだ。

船室に入ると、操舵室から三線の音が聴こえた。
そして歌が始まった。実に上手だった。
1時間くらいやっていただろうか。
船室でボーっとくつろいでいた。

石垣島に着いたら、まず米原キャンプ場だな。
誰か知っている人いるかな。
Z君NT君、くまさん、etc...
いないかな?

17:25頃石垣到着。
買い物も何もせず、まっしぐらに米原キャンプ場に向かう。

誰かいるかなーと思いながら、キャンプ場をウロウロしたら、いたいた。
髪がのびたNT君とくまさんが。

あいさつに手を上げる。
向こうさん、はじめはきょとんとして手を上げた。

そしたら、思い出したか、急に「オオオオー!」と声を上げてきた。
「おお!K君戻ってきたかぁ!」

1号棟の炊事場にテントを張ることにして、荷物を降ろす。
4ヶ月振りに互いに積もった話をしあった。

旅先の出会いとは言え、再会できると、古い親しい友人と会ったような気分だった。


波照間の方言

2008-05-31 14:30:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
沖縄と言ったら、その独特の方言が特徴だ。
自分が波照間まで来たのは偶然みたいなものだから、ろくにこの島の歴史や文化について調べていなかった。

いつだったかOMさんに波照間方言の単語をいくつか教えてもらったので、ここに記載しておく。
文字に表すときは基本的にカタカナらしい。
話によると、平安時代の発音が残っているとか。

自分→バー

あなた、おまえ→ダー

先輩、兄さん→シャマー

姉さん→アマー

自分の島→べスマ、ベッスマ

ありがとう→ニーハーユー、ニイハイヨー

あれまあ→アッサビヨー、アギジャビヨー

お父さん→イヤ

お母さん→アボー

おばあさん→パー

子供→ウタマ

青年→シャンタマ

キビ畑→アマスナー

パパイヤ→マンジョー

バナナ→バーサ

頭→アマスクル

顔→ムチン

足→パン

手→シ

鼻→パナ

耳→ミシュクルミ

目→ミ