風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

石垣島に戻り・・・

2008-11-01 11:50:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
西表島はとりあえず巡ったので、石垣島に戻る。
ラジオでは、4月30日に沖縄は梅雨入りしたという。
こりゃいかん。早く沖縄を脱出せねば。

石垣に向かう船の中で、写真家の人と話す。
写真の世界に入って15年(1997年当時)。
八重山、奄美、西表などの生態を撮っているとのこと。

生態写真は何よりもまず、観察だと言っていた。
相手の動きのくせ、いつも通る道を探し、己は匂いを相手に感づかれないように離れた所から、カモフラージュしてじっと観察する。

写真に撮るというのは、観察して相手を熟知した上での最後の仕上げなのだそうだ。
その時は、熱感知センサー付きのカメラで撮るらしい。
昆虫、鹿、ヤマネコも撮ったという。

面白かったのは、人の全く入らない領域でのジャングルでの生活だから、パンツもはかずに、素っ裸で過ごすのが実に気持ち良いらしい。

「機会があったら、ぜひやってみるといい。」
とおっしゃってました(笑)。

さて、数日振りに米原(よねはら)キャンプ場に戻る。
しかし、ここに来ると決まって頭痛になる。

何かあるなここ。

巷では、ゴールデンウィークらしく、キャンプ場はけっこう混んでいた。
5月4日
市内に買い物に出かける。
石垣市立図書館で本を読む。
頭は痛かったが、テントに居るよりは少しはマシだ。

ふと外をみたら、ドシャ降りの雨。
どうせすぐ止むだろうと思い、すましてアサヒカメラなどを見ていた。

夕方、雨も止み、やましょうで食糧の買い込み。
ここは安いので助かる。
サザンゲートブリッジで、今では珍しいキャンバスの軍用三角テントを使っている、キビ刈り仲間のOG君と再会。
彼は、夜に730交差点で、知り合った数人のキャンプ仲間と、ストリートミュージックをしているのだとか。
彼は、お得意のハーモニカで演奏しているらしい。

自分は、もう少し八重山巡りをするとしよう。

KS君とNT君は、7日に出るらしい。
渡嘉敷、奄美、屋久島と行ってから、本土を走ると言っていた。

西表を巡る

2008-10-31 13:56:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
加藤さんとの出会いが、西表でいちばんの思い出となった。

その後は、「普通」に島内観光。
ジャングルの中を入るのも面白そうだが、今回はパスした。
なんだか、また来そうな気がしたから。

西表の有名な生態と言うと、西表ヤマネコとか、マングローブ、サキシマスオウなどの独特の樹木だろうか。

ヤマネコには出会わなかったが、看板はいくらでも見た(笑)。


サキシマスオウの特徴は、地面から板状に張り出した根だろう。
板根「ばんこん」と呼ぶらしい。


南風見(はえみだ)浜の近くにある、「忘レナ石の碑」も見逃せない場所だ。


戦時中に、波照間から西表と石垣に強制疎開させられた学童達が、風土病のマラリアにかかり、南風見浜からぼんやりと見える波照間の島影を見ながら、島に帰りたいと言って、望み果たせず死んでいった、という悲しい話が残る所だ。
後年、生き残った方々がその気持ちを忘れまいと、ここに碑を築いたと言う事だった。

その子供達の魂が、浜にいるヤドカリになって生まれ変わっているのだから、食べてはならないと言われる。

最初で最後

2008-08-15 21:41:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
加藤夫妻と夜遅くまで話がはずみ、この日は一泊させてもらう事になった。
キャンプ場のテントの中はそのままだが、まあ盗む価値のあるものは置いてないので、大丈夫だろう。

翌朝、11:00くらいまで加藤さんの所にいて、テレビなど見ていた。
加藤さんともっとたくさん話したいなと思ったが、前にも進みたい。

今回はこれまでと割り切って、また訪ねる事にしようと決めた。
テントに戻り、洗濯物を片付けた。
星の砂の浜の風は、全てを乾かしてくれた。

テントに戻って暑い中を、ボーっと過ごした。
加藤さんや、そこの猫達の存在がずっと心に残っていて、また会いたいなあと思った。
再び加藤さん宅へ向かう。
「こんちはー。」
言ってみたものの、自分の悪い癖で、つい遠慮してしまって、次の言葉が出なかった。
「あのー。写真、一緒に写ってくれませんか?」
と言うのが精一杯。
「え~?なーんかめんどくせえなあ。」と照れながら答えた。
そんな事を言っても、ちゃんと一緒に写ってくれた。


本当はもっとたくさんの話を聞きたかった。
でもどうしても言えなかった。

「昨夜の晩飯どうもありがとうございました。それではまた、前へ進みます。」と言ってしまった。
「あれだろ、またこっちへ流れてくるんだろ。そうしたらまた来ればいいサ。」
なんと嬉しい言葉だろう。

しかし、加藤さんとはこれっきりで最後だった。
数年後の風の便りで、加藤さんは病気で亡くなってしまったと聞いた。
これを聞いた時は本当に寂しかった。

さて、星の砂キャンプ場を出て、上原のフェリー乗り場からちょと離れたところをブラッとしていたら、米原で会った徒歩旅の女の子キャンパーが向こうからテクテクと歩いて来た。
僕が気付いて手を上げたら、向こうがビックリして手を上げて答えた。
バイクを止め、5日振りの再会を喜ぶ。


この子の名前も住所も知らなかったので、会えて良かった。
女の子なのに、キャンプ場でのあだ名が「おっさん」だったからなあ・・・。


2人で1時間くらい話していただろうか。
自分も徒歩の旅をやってみたいと話したら、
「歩きはしんどいヮ~。」と、本当にしんどそうに答えた。

荷物を背負わせてもらった。
ズシッとしたが、重心を上にしてあるので、とても背負いやすかった。
さすが徒歩旅。重量配分がしっかりしている。

フェリーに乗る時間が近づいてきたので、別れた。
この子はその後結婚し一児の母。
今も交友は続いている。

西表島の人を訪ねる

2008-07-13 13:38:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
波照間島で知り合ったジュンさんが教えてくれた、西表に住むジュンさんのスピリチュアルフレンドの加藤さんを訪ねた。
自然農法で米を作っている人だ。

自分が訪問した4月は割合暇な時期のようで、別の仕事をしていた。
17:00頃訪ねると、部屋の方から元気な明るい声が返ってきた。
「あー!どうぞぉー!」

「失礼します。」

玄関に、猫が5~6匹山のようになってかたまって眠っている。
「いやー、もっといるんだけどねー。」

「え!?この他にまだいるんですか?」

「そうよぉ。」

部屋に入り、雑談する。
ジュンさんとの関係を聞いてびっくり。3回しか会ったことがないと言う。
加藤さん曰く、人とのつながりは会う回数ではない。
たとえ1回きりでも、互いがその時楽しかったらそれで良いと思う、と言うことだ。

加藤さんは西表に25年(1997年当時)住んでいる。
17~19歳の時に歩いて旅をして、あちこち行っていたようだ。
この人も旅人だったんだと知ると、気さくな飾らない話し振りもあって、歳の差とか関係なく、とても親しみがわいてきた。

米作りをしているとジュンさんから聞いていたので、「農業なんですか?」と聞くと、即座に否定した。
「いや、僕は農業は嫌いなんだ。工業とかと同じで、ただ無味乾燥に物を生産して、病弱な品質の悪い物を売る事はしたくないんだ。」
「僕は百姓で、作る事が楽しいんだ。」

ははー。ジュンさんがこの人を教えてくれた理由が分かったような気がする。
加藤さんは、とにかく水稲を育てるのが楽しくて、楽しくて仕方ないらしい。

そのとき、奥さんも帰ってきた。
姉さん女房で、東京の人だった。波照間大好き人間だ。

ピタンガという果実を出してくれた。
赤い色で、一見野イチゴのような形をしている。
酸っぱくて、いかにもビタミンCがいっぱいと言った感じの、美味しい果実だ。


奥さんも加わって、3人で雑談を楽しむ。
二人のお話を聞いていると、どうもこの家には様々な人種、様々な性格・年齢の人が訪れるらしい。
来るものは拒まず、まさに「人を呼び寄せる家」なのだ。

僕のように口コミや、伝手をたどって来る者も多い。
だからと言って、ここは民宿でもユースホステルでもない。

「変な所でしょ?」
とご夫婦揃って言いつつも、そう言うのをとても楽しんでおられるようだった。
猫達も人懐っこくてスリスリして寄ってきてくれる。

すっかり陽も落ち、夕食をごちそうになり、さらに話を聞く。
加藤さんは旅人だったから、タテの関係ではなく、ヨコの輪と言うものをとても大切に考えているようだった。
そうしてできた友達や知り合いを、とても誇りにしているし、大切にしている。

これって、人間が人間らしく付き合う原点なんじゃないかなと思った。

会った回数ではない、互いが打ち解け合い、楽しいと言う事。充実していると言う事。
それを「うらやましい。」と突き放して指をくわえて見るのではなく、そこに入っていけばいいんだ。
彼らは「絶対」良い人達だから。

一つの場所にこだわる必要はないんだ。
視野を広げて、たくさんものを見るがいい。
必ずそこには会うべき人がいるから。

加藤さんの話を聞いていると、楽しくてワクワクする。
まだまだ興味は尽きないが、夜も更けたので、お開きになり、一泊させてもらった。

西表島へ

2008-07-07 23:18:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
1996年4月28日~30

朝7:00頃起きて、早速パッキングの準備にかかる。
なにしろ荷物が多い。
早いところ、余計な物は家に送らなければ。
フィンランドの話を聞かせてくれた、大阪のNさんが起きてきて、話しかけてきた。
Nさんは5月1日に帰るとの事だった。

準備は整った。
8:00出発。
8:40頃離島桟橋着。
西表の大原行きの船に乗る。
フェリーかりゆしという名前だ。
一見すると、自衛隊か軍の上陸用舟艇みたいだ。


船一杯、ギチギチに荷物を積んで、バイクはギリギリ載ったという感じだった。
覆うものがないので、天気が悪かったら、まともに波をかぶってしまうだろう。

天気が良くてなによりだった。
のんびりと100分船の上で過ごす。

11:10大原港着。
さあ、やっと西表に着いた。
港にある東屋の下で少し休んでから、南風見田(はえみだ)へ。
大原から7~8km位のところだった。
浜にテントを張る人はほとんどなく、浜に沿って生えている林の中にひっそりとテントが散らばっていた。

とりあえず下見だけして、この日は星の砂の取れる浜へ向かった。
20km位走ったところで、雲行きがあやしくなり、とうとう雨が降ってきた。
ちょうど由布島のあるあたりで、屋根のある美原のバス停で雨宿り。


しかし雨は激しくなる一方だった。
このままここにいるわけにもいかないので、雨装備をし、バス停を出ようとしたその時だった。

手押しでバイクを切り返そうとした。
荷物が重くて少しバイクがふらついた。
はじめ、後輪が土手の縁に落ちて、あわてて前ブレーキをかけたが効かず、そのまま土手にズルズルと落ちてしまった。
土手の高さは2メートルはあったろうか。

ア!アレアレ・・・アレレレ・・・・。

左足が挟まって抜けなかったが、痛くはなかった。ちょうど溝に入ってバイクに当たらなかったようだ。

さて困った。

バイクを起こそうとしたが重くてだめだった。
その時に、NTTの人が2人通りがかって、「大丈夫か?」と助けに来てくれた。
3人で土手から上げ、ようやく落ち着いた。
助けてくれたNTTの人にお礼を言い、気を取り直して星の砂に向かおうと思ったのだが、とにかく雨の降りが激しい。

土手の一件でドッと疲れたので、南風見田浜に引き返す事にした。

そうしたら、いつの間にか雨は上がり、シットリと濡れた雨具も乾いてしまった。
青空も見えてきた。
これが南のジャングル島、西表の天気なのかな?と思った。

とりあえず、浜の入り口付近にテントを張ることにした。