風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

桜島

2008-03-02 18:01:29 | 1996~97原付日本一周
鹿屋から出発して、夕方神川キャンプ場に到着。
テントを張り終え、ガソリンコンロに燃料を入れていると、道をバイクキャンパーらしきものが通った。
そうしたら、このキャンプ場に入ってきた。
白と緑のヤマハ・セローだ。
「お、来たな」
ちょっとうれしい。

彼は21歳の大学生だった。
広島から来たという。
1週間の休みの間に南方面の岬巡りをするとのことだった。

夏には北海道にも行っていたらしいので、話が弾み、22:00頃まで話した。
楽しいひと時だった。

鹿屋で購入したヘッドランプはとても良かった。
これからも重宝するだろう。

翌日、早朝に大学生は出発して行った。
自分もこの後11:00頃に出発。

目指すは桜島。


やがて青空の下に桜島が見えてきた。


桜島ビジターセンターに着くと、山はさらにでっかく見えた。


桜島のどこかに、埋まったままの鳥居があると聞いた事があった。
それをぜひ見たいと思っていた。
14:00にはそこに到着。
黒神の埋没鳥居として有名らしい。
原五神社という。


このようになったのは、1914年1月12日の噴火によるものだった。
溶岩が流れ込んで埋まったという事ではないそうで、火山灰と軽石が降り積もって埋まったと言う事を知った。
そのため、掘れば鳥居は出てくるのだが、当時の村長が、記念とする為に掘るのを止めさせ、今のような姿で残ったとの事。

鹿屋基地

2008-02-28 23:25:44 | 1996~97原付日本一周
キャンプ場を出発して448号線をひた走る。
昭和63年まで使われていたという、宇宙観測アンテナを通過。


1993年にも訪れた、海上自衛隊鹿屋航空基地資料館を再訪した。

鹿屋基地は旧日本海軍の航空基地だった所で、戦争末期の沖縄戦では特攻隊の基地として使われた。
ここから、発進した約3000名もの若い航空隊員が、戦闘機に重い爆弾を抱えて、アメリカ艦船に向けて突入していった。
現在は海上自衛隊が引き継いで使っている。

さて、基地資料館だが、建物の右側では青い服を着た隊員達が、リフトや足場を使って、屋外展示機であるP-2Jと新明和飛行艇の化粧直しをしていた。


建物に入り、受付で署名を済ませ、展示室へ。
室内は撮影禁止なので、画像はない。

展示の目玉は何と言っても、錦江湾と吹上浜で引き上げられた2機の残骸を使って復元された零戦だろう。
展示物も充実している。
零戦に積まれた20mm機銃と13mm機銃は、かなり状態が良いように見える。
精密な各種航空機の模型も素晴らしい出来。
無線機は当時の箱まで付いていて、今でも使用可能なのでは?と思えるほど保存状態が良かった。

特攻展示室に入ると、3000名の特攻隊員達の遺影が壁に貼られている。
とにかく皆若い。17~25歳位なのだ。
17歳と言ったら高校生じゃないか。

ガラスケースに隊員の遺書。
何とも胸を締め付けられる。


複雑な思いで展示室を出た。

見学は無料だが、寄付箱にお礼分の小銭を入れ外に出た。
屋外展示場には、自衛隊が使っていたヘリコプターやプロペラ機が十数機展示されている。
時計を見たら、2時間近くいたことに気付いた。
基地上空には、対潜哨戒機のP-3Cが飛んでいた。


基地を離れ、近くにアウトドア兼釣り具屋があったので立ち寄った。
ヘッドランプと防水スプレーが欲しかった。

それまで、夜の照明には、ミニマグライトを使っていたが、あまりに役不足だったのだ。
テントを貼る時はたいてい夜なので、両手を自由に使えるヘッドランプが必要になっていた。

商品棚を見ると、ヘッドランプにもいろいろあって、選択に困った。
金も無いので、ナショナルのいちばん安いやつを買った。
本当は防滴タイプが良いのだが、値段が高いのであきらめた。

この日は神川キャンプ場に泊まる事にした。

さらば宮崎

2008-02-26 23:03:31 | 1996~97原付日本一周
思い出多い宮崎を離れ、鹿児島に向かう。

フェニックスの生える海岸通りを走ると、冬が近いとは言え、南国気分だった。
鬼の洗濯岩と呼ばれる海岸の奇岩が見渡せた。


さらに鵜戸神宮に寄り、旅の無事を祈る。
と言っても、ここは本来子宝祈願で有名らしいんですけどね。


海岸沿いを走っていると、「人間魚雷回天訓練之地」の記念碑が建っているの見かけた。
こんな所で訓練をしていたのか。

『南国に たとえこの身ははつるとも 幾年ののちの春をおもえば』


さて、都井岬に到着。
二輪車は通行料に100円取られる。

ここには岬馬という、日本在来種の馬が生息している。
競馬のサラブレットとは違い、小型でずんぐりした体つき。


一応、管理されているらしいが、基本的に野生状態。

道にはいたるところ馬糞が散乱している。




都井岬を出発し、この日の宿泊地、柏原海岸キャンプ場に向かう。
いよいよ鹿児島県だ。
JR志布志駅に到着。
ここには1993年に一度訪れている。
以前に比べ、駅の周りが開けた感じがする。

忘れもしない、1993年、あの時は鹿児島の鹿屋から、宮崎への帰りで、大雨のため鉄道が運休してしまい、ここで途方に暮れてしまった。
何とかバスとタクシーを使って、かろうじて宮崎に帰ったのだった。


宮崎へ

2008-02-19 00:14:04 | 1996~97原付日本一周
思い出の地、宮崎市内に入った。
1993年以来で1996年当時、3年振りの訪問だった。

見慣れた町並みが懐かしい。
駅前はかなり整備も進んだ。
懐かしくて、懐かしくて胸がいっぱいだった。

思い出す限りのありったけの場所を回った。
約半年の滞在中に住んでいた、タイヤ屋さんの2階の家。
広島通りにある、ゼロ戦のカウリングが目印の模型屋「とやま」。


滞在中に遊びに来てくれた友人が泊まった旅館。

若草通り、ボンベルタ橘、寿屋、サンリブ、ジョイフル、
もう一件の模型屋「ホビーショップ宮崎」etc...

ほとんど変わっていなかったが、無くなった店もあった。
何度か通った銭湯は、駐車場になっていた。
当時潰れかけていたコンビニは、案の定潰れていた。

自分が滞在中、よく現像に出していた店も、携帯電話の店に姿を変えていた。
セルラーショップがやたら目に付く。
携帯電話なんざこっちには無縁だね。
(しかし、この数年後、自分も携帯電話を持つようになるとは・・・)

市内にあった南海部品は健在で、店に入ってみた。
パンクで使い果たしていた、ゴムのパッチを買った。

最後に、絶対外せない場所。

宮崎県立芸術劇場

今のところ、人生の中で最も強烈な体験だった思い出の場所。
本当は中に入ってホールの大オルガンを拝みたかったのだが・・・
芝生の広場で、どうしようか非常に悩んだ。


「こんな薄汚い格好では、門前払いがオチかな・・・」

結局あきらめた。
本当に残念だったが。

宮崎芸術劇場の大オルガンには、とても思い入れがある。
これについては、また次回書きましょう。

さて、宮崎市内で宿が取れたらもっとゆっくりと見れたのにな。残念だが仕方無い。
大淀川の河原にテントを張っても良かったが、銭湯が潰れてしまっていた為、風呂にありつきたいので、さらに前へ進む事にした。

青島まで行くのが良いところだろう。
飛び込みは嫌がられるのだが、青島のユースホステルに泊まる事にした。

ともかく風呂にありつき、部屋で地図を眺める。
次の行路は都井岬に鹿屋・・・はむりかなー。
ああ、金がほしい。

どっちにしろあと少しで鹿児島だ、そして沖縄への可能性が見えてくる。

新田原基地

2008-02-12 21:21:20 | 1996~97原付日本一周
キャンプ場からジェットエンジンの轟音を遠くから聞いていた。
自衛隊の戦闘基地がある新田原(にゅうたばる)に近いからだろう。

せっかくだから基地を見に行ってみようと思った。

その前に西都原の古墳群を見にいく。
ここは1992年にも一度訪れている。

古墳とか好きなんですよね~。

古墳と言っても、教科書に出てくるような前方後円墳とかではなく、こんもりと小山があるという感じ。

ここからは有名な埴輪がいくつも出土している。
たしか、「踊る人」もここじゃなかったけな?
いいなあ埴輪。

西都原を出発し、いよいよ新田原基地へ。
看板によると翌日はオープンハウスらしい!
見たいけどなあ・・・
時間も金もないし残念だなあ。

そんな事を思っていると、F-15が上空をかすめ飛ぶ。
今日はいい天気。
青空にシャープな機体がシルエットになって美しい。


明日の展示飛行に備えての訓練でもしているのだろうか、見事な編隊飛行やちょっとした曲技飛行もやっている。

しっかし、ものすごい轟音だ。
うるさいを飛び越して、腹に音波が響く感じ。
耳栓をして見ていた。
飛行機ファンが少しはいるのかな?と思ったが、金網越しに眺めているのは自分だけ。

バイクのエンジンを止め、荷を降ろし、カメラを構えて待っていたら、15分ほどでF-15が2機着陸してきた。

やがてさらに4機が着陸。
駐機場に向かう為、タキシングを始めた。

目の前、本当に目の前をF-15がキーンという金属音を響かせながらゆっくりと走って行く。
それをちょっと興奮気味にカメラのファインダーごしに見ながら、シャッターを切る。

そうしたら。

向こうがこっちを見て手を上げた。


後を振り返って見たが誰もいない。
まぎれもなく自分に向かって合図してくれたのだ。
嬉しさは最高潮に達した。

手を上げてあいさつしてくれたのは1人だけでなく3人もである。
うれしくてうれしくて、どう表現して良いか分からない。

今度はF-4ファントムⅡが上空をパスして行った。


もう自分の心はお祭り状態だった。

明日のオープンハウスは見れないが、今日だけでも充分堪能できた。