風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

長崎に入る

2009-10-08 09:32:00 | 1996~97原付日本一周後半編
1997年5月28日

長崎へ入った。
僕の中から建築設計の方面へ進む意欲がかなり薄れてきたせいか、建築そのものの見方も以前より熱が入らなくなった。
金の無い旅のせいなのか?

写真も1枚1枚大事に撮らなくてはいけない。
フィルムを買う金さえないのだ。
でも金が無いからと言って心まで貧しくなる事は全く無い。


グラバー園へ。
小・中・高校の修学旅行生がわんさかといた。
軍服を着て、馬鹿デカいウエストバックをかかえ、ボロボロのハンチング帽をかぶった僕の姿は、彼らには異様に映っているかもしれない。

グラバー邸、リンガー邸、オルト邸と見た。






さっと流す程度だ。
ここから長崎市街や長崎港が一面に見渡せて、すばらしい景勝地だった。

戦艦「武蔵」はここで生まれた。
港はとても狭く、進水した時に巨大な船体が一気に滑り出した為に、湾の水位が一時的に急増して、一部の家屋が床上浸水したというのもありうるなと思った。

次に大浦天主堂。


現在も使われている教会のため、建物内部の撮影は禁止。
木造のリブヴォールトと、ゴシックの尖塔祭壇が美しかった。
大きさは横浜山手教会くらいだろうか。
記念にキーホルダーを買い、原爆の平和記念公園へ向かう。

市内には路面電車が走っていた。
そうそう、オランダ坂も行ったが、とんでもない急勾配で、20%の傾斜率だった。
1速でエンジンをうならせながら、石畳の坂をゴツゴツと上った。

長崎は丘の街だと思った。
いたるところ坂だらけ。

記念公園にもやはり学生団体がいた。


僕の見た平和記念像の印象は、ふやけた美しくない造形物だなあという事だった。
何かの式典だったらしく、この像の前で、中学生らしき集団はリコーダーでパッヘルべるの「カノン」、そして合唱曲数曲。をやっている。いや、やらされていると言ったほうが良いのか?

ここにいると、自分は平和は願っているが、はたして心の底から平和とは何かを理解しているのか?と言われれば自信が無い。
原爆で被爆した人達の気持ちを想像はできても全てをリアリティをもって理解できるのかは難しい。

しかし、これだけは言える。
核兵器はとにかく使ってほしくない。
開発も生産もしてほしくない。

さて、次は浦上天主堂へ。


二つの塔が建つ大きな聖堂だった。


この時は、ここの信者さんの葬儀があるらしく、さらっとしか巡ることができなかった。
聖堂の中は、青い光で満たされていた。
ここにはオルガンがあるはずだが、エントランスの上なので全く見えなかった。

外には、原爆で吹き飛ばされた建物の一部が残されていた。


キリスト教国のアメリカが、同じ信者のパイロットが操縦するB-29で、同志キリストの信者のいる長崎に原爆を落とすというのが、何とも無情に感じられた。

せっかく長崎に来たから、ちゃんぽんを食べた。
あとはひたすら走った。