風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

鹿屋基地

2008-02-28 23:25:44 | 1996~97原付日本一周
キャンプ場を出発して448号線をひた走る。
昭和63年まで使われていたという、宇宙観測アンテナを通過。


1993年にも訪れた、海上自衛隊鹿屋航空基地資料館を再訪した。

鹿屋基地は旧日本海軍の航空基地だった所で、戦争末期の沖縄戦では特攻隊の基地として使われた。
ここから、発進した約3000名もの若い航空隊員が、戦闘機に重い爆弾を抱えて、アメリカ艦船に向けて突入していった。
現在は海上自衛隊が引き継いで使っている。

さて、基地資料館だが、建物の右側では青い服を着た隊員達が、リフトや足場を使って、屋外展示機であるP-2Jと新明和飛行艇の化粧直しをしていた。


建物に入り、受付で署名を済ませ、展示室へ。
室内は撮影禁止なので、画像はない。

展示の目玉は何と言っても、錦江湾と吹上浜で引き上げられた2機の残骸を使って復元された零戦だろう。
展示物も充実している。
零戦に積まれた20mm機銃と13mm機銃は、かなり状態が良いように見える。
精密な各種航空機の模型も素晴らしい出来。
無線機は当時の箱まで付いていて、今でも使用可能なのでは?と思えるほど保存状態が良かった。

特攻展示室に入ると、3000名の特攻隊員達の遺影が壁に貼られている。
とにかく皆若い。17~25歳位なのだ。
17歳と言ったら高校生じゃないか。

ガラスケースに隊員の遺書。
何とも胸を締め付けられる。


複雑な思いで展示室を出た。

見学は無料だが、寄付箱にお礼分の小銭を入れ外に出た。
屋外展示場には、自衛隊が使っていたヘリコプターやプロペラ機が十数機展示されている。
時計を見たら、2時間近くいたことに気付いた。
基地上空には、対潜哨戒機のP-3Cが飛んでいた。


基地を離れ、近くにアウトドア兼釣り具屋があったので立ち寄った。
ヘッドランプと防水スプレーが欲しかった。

それまで、夜の照明には、ミニマグライトを使っていたが、あまりに役不足だったのだ。
テントを貼る時はたいてい夜なので、両手を自由に使えるヘッドランプが必要になっていた。

商品棚を見ると、ヘッドランプにもいろいろあって、選択に困った。
金も無いので、ナショナルのいちばん安いやつを買った。
本当は防滴タイプが良いのだが、値段が高いのであきらめた。

この日は神川キャンプ場に泊まる事にした。

さらば宮崎

2008-02-26 23:03:31 | 1996~97原付日本一周
思い出多い宮崎を離れ、鹿児島に向かう。

フェニックスの生える海岸通りを走ると、冬が近いとは言え、南国気分だった。
鬼の洗濯岩と呼ばれる海岸の奇岩が見渡せた。


さらに鵜戸神宮に寄り、旅の無事を祈る。
と言っても、ここは本来子宝祈願で有名らしいんですけどね。


海岸沿いを走っていると、「人間魚雷回天訓練之地」の記念碑が建っているの見かけた。
こんな所で訓練をしていたのか。

『南国に たとえこの身ははつるとも 幾年ののちの春をおもえば』


さて、都井岬に到着。
二輪車は通行料に100円取られる。

ここには岬馬という、日本在来種の馬が生息している。
競馬のサラブレットとは違い、小型でずんぐりした体つき。


一応、管理されているらしいが、基本的に野生状態。

道にはいたるところ馬糞が散乱している。




都井岬を出発し、この日の宿泊地、柏原海岸キャンプ場に向かう。
いよいよ鹿児島県だ。
JR志布志駅に到着。
ここには1993年に一度訪れている。
以前に比べ、駅の周りが開けた感じがする。

忘れもしない、1993年、あの時は鹿児島の鹿屋から、宮崎への帰りで、大雨のため鉄道が運休してしまい、ここで途方に暮れてしまった。
何とかバスとタクシーを使って、かろうじて宮崎に帰ったのだった。


宮崎県立芸術劇場の大オルガンの思い出 2

2008-02-25 22:17:49 | オルガン
休憩時間に、木製足場の最上段によじ登り、パチリ。
実はけっこう恐かった。


オルガンが完成に向かっていき、演奏台周りも整ってきました。
オルガンの音色を変えるレギスターの名前を書く作業を頼まれました。

治具を使い、60以上のネームを書きました。
カリグラフィとか好きなので、楽しい作業でした。


完成したラベルをレギスターのノブに貼っていく時は、文字がバラバラにならないよう慎重に。


作業が休みの日に、オルガンの天井に上がり、一人記念撮影。
これは、ホールの客席側に三脚を立てて設置したカメラを、赤外線リモコンで遠隔操作して撮影しました。


オルガン内部で記念撮影。
ペダル鍵盤の大きなパイプが、背後に立っています。


こうして約半年に及ぶ全ての作業が終わり、オルガニストの試奏を聴いた時は、力が抜ける感じがしました。
ああ、これでここでの作業が終わるんだな、みたいな。

宮崎は居心地が良くて、住んでもいいなあなんて思ったこともありましたっけ。

そして完成した姿です。


今もこのオルガンは、宮崎の聴衆の耳に響いています。
これからもずっと歌い続けてほしいと願うばかり。

宮崎県立芸術劇場の大オルガンの思い出 1

2008-02-23 23:30:51 | オルガン
ちょっと思い出話を。

1992~1993年の事でした。

宮崎県立芸術劇場のオルガンの製作に関る機会がありました。

当時の事を思い出すと、今でも胸が一杯になります。

この巨大なオルガンの製作に関れた事は、なかなか得られない幸運だったのかもしれません。


正直なところ、あまりに巨大過ぎて、圧倒されっぱなしでした。

当時、自分は力が無くて、大きな風箱を抱えたり、ひっくり返したりするだけでもヒーヒー言っていたのを思い出します。

オルガン曲を聴いたりするのは好きでしたが、構造や仕組みについてはあまり分かっていませんでした。
そのため、日々勉強でした。

工房で部品が出来上がり、いよいよ宮崎へ搬出となった日の夜は眠れなかった。

自分は第2陣で現場に向かいました。
すでに現場では組み立て作業が始まっていて、自分はとても緊張しました。

ここでも自分は現場の喧騒に圧倒されっぱなしでした。

ケースの組み立てが半ばまで進んだ時の写真です。


楽器と言うよりは、巨大な建築物を思わせます。
ローリングタワーを使って、舞台で組んだ部材をウィンチで引き上げて、オルガンのケースに接着していきました。



半月か1ヶ月後くらいだったでしょうか?
ケースがほぼ組上がりました。
カラーと白黒フィルムを使っていたのでこういう写真もあります。




おそるおそる天井に上がり、ガッチリ組まれたケースから、ホールを見渡すことができました。
かなりの高さがあったし、手すりなどないので、吸い込まれるような感じがして恐かった。

さらに数ヶ月が経ち、パイプが収められました。




木製の足場があります。
正面のパイプの整音に使用されました。
楔、ピン、スノコ、柱から梁に至るまで全て木でできています。
簡単に分解ができるすぐれ物でした。


朝、来ると必ず巨大なケースを見上げていたものです。

4000本以上にも及ぶパイプがこの中に入っています。
一本くらい抜き取っても分からないのでは?と思うでしょうが、そうは行きません。
どれを取っても大事な部品であり、パイプです。

大きな作業が終わると、後はひたすら整音という調整作業です。
自分は鍵盤押しをしました。

早朝まだ星が瞬いている頃にホールに入り、辺りが静かな時にこの作業は進められました。
何しろ音の質を決める大事な作業ですから、周りに雑音があると、聴き取りにくくなるからです。

この時も随分緊張して演奏台に座っていました。
音量の変化などを聴き分けながら、どうなったかを伝えなくてはなりません。
毎日緊張しっぱなしでした。

こういった積み重ねで、徐々に楽器らしくなっていくのを見ていました。

ポラロイド

2008-02-22 22:54:15 | 写真とカメラ
ポラロイドが、インスタントフィルムの生産を、今年の8月で終了するそうです。

デジタルの普及で需要が減少したためとの事です。
これも時代なのかなと思います。

最近カメラ屋に行って、インスタントフィルムの値段を見て、その高価さにため息が出たものです。
以前より何割か値上げしていたのですね。

撮ったその場ですぐ見れるインスタント写真は、ジワーッと像が浮かび上がってくる様子など、独特の面白さがありましたが、いかんせん値段が高かったので、気軽にパシパシ撮れる物ではありませんでした。

デジカメの普及で、フィルムの需要はますます落ち込むばかり。

写真を楽しむ人達には、フィルムの発色や粒状感を良しとしてフィルムで撮っている人はまだたくさんいます。
しかし、これも時の流れで、フィルムが過去の写真手段となる日が来てしまうのでしょうか。

できるなら、値段も据え置きで頑張ってほしいですが、需要が減ればコストが上がってしまうのは避けられません。

生産する側としては採算が合わなければ、手を引かざるをえないわけですが、写真表現の手段の一つとして、フィルム文化を存続させてほしいと願うばかりです。