かやのなか

あれやこれやと考える

ウォーキングデッド(シーズン5途中まで)

2019-10-09 01:26:57 | 海外ドラマ
 家にテレビが無いので、普段ほとんどドラマを観ない。いや、そもそも子供の頃に「ドラマを観る習慣」というものを身に付けなかったせいか。
 実家の父も母も、日本のドラマ、いや芸能界とか芸能人とかいったものに興味がなく、嫌悪すらしているフシがあった。
 一方で、海外ドラマや洋画には異様に寛容で、WOWOWにもいち早く契約していた。あの時代にあの町でWOWOWを契約していたのは我が家だけだったのでは、と本気で思う。 おかげで、マニアックな映画も怪しい雰囲気の邦画も見放題だったわけだが、そのせいで、学校でやれ木村拓哉がどうのKinki Kidsがどうのと盛り上がる同級生の輪に入れず、最近何見たのと聞かれて「ミクロキッズ」と答えて会話が続かなくなるような幼少期を過ごすことになった。いや、この話はウォーキング・デッドと何も関係ないので割愛します。

 つまり、ウォーキング・デッドを観たわけだけど、これはhuluの無料期間を利用した。
 最初は、シーズン1の1話だけ観て終わりにしようと思っていたのだ。
 そのとき考えていた劇のアイディアで、「主人公がそこそこ長い期間病気か怪我か何かで意識を失って入院する。眠っている間に社会のルールのとある部分が変わっていて、ようやく目覚めた彼は徐々に周囲の違和感に気づき・・・」というのがあって、これを人に話したところ「その最初の部分ってウォーキング・デッドじゃないですか」と言われので、これは確認せねばとhuluに入ったのが運の尽きだった。ゾンビ取りがゾンビになった、とでも言えばいいのか。

 意外だったのは、”ゾンビもの”として今までになかったような奇抜なアイディアや突飛な設定があるわけではなく、あくまで由緒正しい血統書付きのゾンビものをやっているところだ。
 しかし、変わっているのは、その描き方がかなり丁寧なところだ。例えば登場人物たちがアップに映っている後ろで、名もなきゾンビが意味もなく草原を歩いているようなカットがたびたび挿入される。遠景なので、我々視聴者も、腐った皮膚ではなく、歩き方や佇まいのなんとなくの異様さで、それがゾンビだと認識できる。その感覚はまさにウォーキング・デッドの世界に住む登場人物たちの視点そのものだ。そういった、さりげないシーンの積み重ねによって、世界観が作られているところに面白さがある。
 登場人物の描き方も丁寧で、みんな最初はモブっぽく登場するが、この世界で生きながらえるためにとる様々な行動が、時間とともにそれぞれのキャラクター性を作り上げていく。みんな最初は普通の人なのだが、成長して個性が生まれてくるのだ。当たり前といえば当たり前なんだけど、長めの物語を作るときのお手本みたいだ。行動がキャラクターを作り上げることの強みは、当然のようにブレるところだ。そのブレが良い。リックはソンビになってなくても人を噛み殺していいのだ。

 ・・・と散々絶賛したが、もちろん不満もある。尺を埋めるためかと勘ぐりたくなるような、無駄に長いマンツーマンの会話シーンとか、突然イメージソングが流れるところとか(これもおそらく時間稼ぎ)一番はファンサービスが過剰やなと思える展開とか・・・要するにダリルを聖域化しすぎじゃないかとか。
 シーズン3に登場する総督は、子供の頃だったならダントツで嫌いになったヤツだが、この歳になると、シリーズ屈指の魅力的なキャラだと思った。友達にはなれそうにないが。


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