かやのなか

あれやこれやと考える

孤独の円盤/スタージョン

2015-12-26 01:28:45 | 
夜の気分に任せて、現在進行中で読んでいる本について書いてみます。

読んでいるのは、翻訳者小笠原豊樹から逆引きして引き当てた作家、シオドア・スタージョンの「一角獣・多角獣」、短編集です。
初っ端の「一角獣の泉」を読んで、最初普通の小説だと思ったら途中から語り口が不思議な迷路に迷いこみ、ラストで扉をむりやりこじ開けられた気分に。
なにこれ? わからないままに次の「熊人形」、「ビアンカの手」と進み、「孤独の円盤」で、ついに心が平静でいられなくなる。

わたしは中高生でブラッドベリにはまったクチなのですが、例えばブラッドベリであったら、物語の結末は、その筆力で美しい虹色の風景の中に霧散させてしまうことがあります。
しかしスタージョンの場合、どんな理不尽で悲惨な悲劇の結末も、180度ひっくり返して、「大丈夫!」と力強く言い切る。
変な言い方ですが、これを読むまで物語から「この作家の責任感はすごい」みたいな感じを受けとったたことはなかったです。
懐の深さ、本質的なやさしさ、とでも言ったらいいのか。

しかも、書かれてる悲劇はSFなんだかファンタジーなんだかコメディなんだか、徹頭徹尾夢みたいに進行していく。
なのに、情感に訴えてくるものは妙にリアルで、与えられる救済には、夢が完全にそぎ落とされて、現実的な重みだけがある。
それは安心感とか、いわゆる「話のオチ」みたいなちゃちなアレじゃない。


孤独の円盤は、もっと若い頃に読んだら、面白さが理解できなかったと思います。
なにこのデウスエクスマキナは、と、浅はかなしたり顔で読み終えたかも。
今だから、心臓をじかに撫でられたような衝撃を受けたのだと。

一角獣の泉にもラストに救済があります。
直球ストレートで心臓を射抜いてくる、救済が。

だから、ああ、ブラッドベリを一段突き抜けたところにいたんだなと。
そう言ってしまっても、(あとで調べたら)ブラッドベリ本人が影響を受けた作家として挙げていたらしいので、多分怒らないと思う。

単行本は、めぐりあい、を読んだところで、あと半分を残していますが読み終えるのがもったいなくて進まない。

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