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老舗  

2022-10-28 23:00:56 | 文化

>スポニチアネックス   >「老舗」何と読む? 有働由美子が驚き「知らなかった。調べ直してみます」   > スポーツニッポン新聞社 2022/10/28 17:54  

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> フリーアナウンサー有働由美子(53)が28日、パーソナリティーを務めるニッポン放送「うどうのらじお」(金曜後330)に生出演し、漢字の読み方にまつわる事実に驚きを口にする場面があった。

> この日の番組のメールテーマは「誰も言わないけど…」。   

>誰も指摘しない事実についてのメールを募集したところ、スーパーのお茶を販売するコーナーで店員が「おいしい“ろうほ”のお茶ですよ」と、老舗の茶葉を紹介していたとのメールが寄せられた。

> 有働アナは「“ろうほ”ね…どうしよう。   

>店内販売だもんね。   

>どこかで教えないといけないパターンだね。   

>伝えないとね」とコメント。   

>アシスタントの熊谷実帆アナも「“しにせ”はさすがに大丈夫でしたけど…」と続いた。   

>ともに、「ろうほ」の読みは誤読との認識を示した。   

> しかしその後、番組に「辞書に“ろうほ”という読み方も出ていますよ」などと指摘のメールが複数来たという。    

>有働アナは「え?マジ?」と驚き、「ろうほのようかんって言ったら、いいわけ?ろうほのお茶、ろうほのようかん…」とポツリ。   

>「知らなかった。   

>調べ直してみます。   

>ろうほ、OKでした」と、この日の学びを口にしていた。   

 

我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の外国語記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)          

 

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稲田豊史氏 X 金間大介氏  

2022-10-28 15:03:20 | 文化

>東洋経済オンライン   >今の若者たちはなぜ「絶対に失敗したくない」のか 自己責任論が生んだ「ゼロリスク世代」の未来像   >> 稲田 豊史,金間 大介 2022/10/28 08:30  

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>『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』と『先生、どうか皆の前でほめないで下さい――いい子症候群の若者たち』。   

>2022年の「2大『若者論』本」との評価も高い2冊は、異なるテーマを扱いながらも、現代日本人の抱える問題に、別の側面から切り込んでいる。   

>2022103日に本屋B&Bが開催したトークイベントで、著者2人が大いに語り合った。   

>(本記事は同イベント「稲田豊史×金間大介『絶対に失敗したくない日本人のエンタメ消費論』」の内容を再構成しました)   

>思考停止の時代   

>稲田豊史(以下、稲田):金間さんの本を読んで、私の本と同じことを別の言い方で表現されていると思いました。   

>その1つが「失敗したくない」というキーワードです。   

>今の若者はみんな失敗したくない気持ちがすごく強いですよね。   

 

失敗すると悔しいですからね。   

 

>それで思い浮かぶのが若者のTwitter離れです。   

>今のTwitterって、罪に対して罰が大きすぎるんですよ。   

>金間大介(以下、金間):と言うと?   

>稲田:ちょっとした失言や誤認ツイートが、見知らぬ人たちからの集中砲火を浴びるじゃないですか。   

>大学生が軽い気持ちで発した理想論じみたつぶやきに対してすら、いい大人のインフルエンサーが引用リプで冷笑する。   

>ほんのちょっとした“失敗”なのに、大きなダメージを食らうわけです。   

>金間:失敗を怖がる理由は多岐にわたると思うのですが、例えば世界的な意識調査の中に「見知らぬ人を助けたことがあるか」という設問があって、その結果として、日本はYesと答えた割合が125カ国中125位なんです。   

>世界一、知らない人を助けない国ニッポンなんですよ。   

 

日本人は序列のきづなで繋がっていますからね。序列の中に居ない人は非国民・外人ですね。    

 

>「失敗したのは本人のせいだから助けることはない」という考え方が、この結果に含まれていると思います。   

 

日本人には意思がない。だから、失敗したのは恣意 (私意・我儘・身勝手) の行使と考えられるからでしょうね。   

 

>稲田:日本人は自己責任をとても重視するんですね。  

 

私意の自由は何処の国でも許されませんね。   

 

>それにしても非情な国民だ……。   

 

そうですね。我が国は義理と人情の国ですからね。   

 

>金間:就職活動のエントリーシートに書く「ガクチカ(学生時代に力を入れたこと)」にも、若者の失敗回避傾向を強く感じます。   

>失敗したくないから、ネット上に匿名でアップされている前年の内定者エピソードをコピペしちゃったりする。   

>他人の評価、他人の判断、他人の価値観に乗っかりやすい。   

 

そうですね。日本人には自己の批判精神がありませんからね。人の振り見て我がふり直せですね。        

 

>稲田:エンタメ作品も、みんなが観ているものから順番に観る。   

>観ている人が多いほうがハズレない、つまり失敗する確率が減るからです。   

>金間:私の本では、SNS上のインフルエンサーがなぜこんなに人気なのかについても触れています。   

>結論としては、インフルエンサーの勧める商品やサービスに追随していれば、何も考えないで済むからです。   

 

そうですね。日本人は思考を停止していますからね。他人の受け売りをする人がわが国の知識人ですね。        

 

>稲田:インプットからアウトプット、あるいはインプットからアクションまでの時間が短すぎることも、背景にあるように思いますね。   

 

意思決定の過程が省略されているので行動開始が早くなりますね。脊髄反射のようなものですね。      

 

>本来は情報を得たら、自分の感性に照らし合わせて判断を下すために一定の時間が必要です。   

>だけど、今は摂取すべき情報が多すぎて、熟考するだけの時間がない。   

>それゆえか、「映画はこの10本を観ておけば大丈夫」「アメリカ文学を語るなら、この3冊だけ読めばいい」というような〝ファスト教養〟的なふるまいも横行していますよね。   

 

世はまさにご唱和の時代ですね。昭和時代の前からわが国は唱和の時代でしたね。      

 

>金間:たしかに(笑)。   

>テレビCMは、観て興味を持っても、その後自分で比較検討して買うか買わないかの意思決定をしなくちゃならない。   

>インフルエンサーの場合は投稿を見てすぐ「買う」ボタンをポチッとすれば完了。   

>ファストどころじゃない、瞬間に決めてしまう。   

>思考停止消費です。   

 

筋の通った思考をすれば哲学が生まれる。思考を停止していれば空想・妄想が生まれる。哲学ができなければ英米流の高等教育は成果が上がらない。だが、空想・妄想の発達するわが国は漫画・アニメの大国になりました。   

 

>稲田:広告はもちろん、ニュースや「自分の好きなもの」でさえ、ネット上のアルゴリズムによって、個人別にカスタマイズされたサジェストが降ってくる。   

>本当に、何かを考えて選ぶ必要がない時代になりました。   

 

そうですね。日本の文化は形があって内容が無い。日本人の営みには作法があって教えがない。   

 

>欲しいのはdoじゃなくbe  

>金間:先ほど稲田さんは、倍速視聴する人たちはタイパ(タイムパフォーマンス)を重視しているとおっしゃいましたが、個人的には「パフォーマンス」という言葉にはちょっと違和感もあります。   

>いい子症候群の若者たちにはそぐわない積極的な意味が含まれるからです。   

>今の若者はワークライフバランスを重視すると言われますが、これも積極性を内包する言葉で、「積極的に時短して空いた時間を有意義に使う」というニュアンスがある。   

>それもいい子症候群が好むことではありません。   

>少し前、仕事終わりに若者を飲みに誘ったら「それって残業代出ますか?」と返されたという話が話題になりましたが、それは〝意識高い系〟であって、断るだけの主体性をいい子症候群の若者たちは持ち得ていません。   

>しかも、仮に空いた時間で若者たちが何をしているかというと……。   

>稲田:TikTokを見ていたりする(笑)。   

>金間:そう(笑)。   

>Instagramで延々とストーリー(動画)を見ているだけだったり。   

>稲田:でも、彼らにとってTikTokを見るのはムダな時間ではないと思います。   

>映画やドラマを観るのは能動的で積極的な行為、つまりdo   

>しかし、彼らが求めているのは心地いい状態や状況をダラダラと続けること、つまりbe   

>beの最たるものがTikTokじゃないですか。   

>金間:なるほど、そこに積極性はない。    

>稲田:なんとなくフリックしながら無目的に大量の動画を見続ける。   

>つまらなかったらどんどん「次」に行けばいい。   

>一瞬たりとも不快のない、心地いい状態が長時間続くのは、ある意味で「コスパがいい」とも言えます。   

>「推し」には責任がない   

>金間:学生へのアンケートで「あなたが何かに挑戦しようとしているとき、それをためらってしまう要因はなにか」と聞くと、「自分の能力ではできないから」が1位になります。   

>これが、いい子症候群を生む日本の根源的な原因ではないかと私は考えています。   

>つまり、自己肯定感の弱さです。   

>「十分練習したからうまくいくはずだ」と思うのは自信のある状態を指しますが、自己肯定感とは、根拠がなくても、自分なら大丈夫だと思える状態です。   

>日本人は、訓練をして自信をつけることはできますが、自己肯定感が低く、備えれば備えるほど「できない」と思うようになっていくのが不思議です。   

>稲田:「この作品が好き」などと声高に言えない若者が多いのも、自己肯定感が低いからかもしれません。   

>○○が好きだと言ったとたん、「へー、なら○○についてはお前が一番詳しいんだろう」と言われてしまうのが怖い。   

>下手に「好き」なんて言えない代わりに重宝されているのが「推し」という言葉です。   

>推しは、ただ謙虚に応援しているだけという姿勢の表明ですから、責任が伴わないんですよね。   

>これも積極的に踏み出すdoではなく、心地良い状況に浸るbeです。   

 

日本人には意思がない。意思の無い人間には責任もない。責任のかからない感じが安泰の感じを生みますね。       

 

>金間:リアルの世界でも「推し」は好んで使われますね。   

>会社や学校で、「私、あの先輩推しなんだ」とか。   

>こんな話があります。20代の後輩女性社員が自分を推していると聞いた先輩が、てっきり自分のことを好きなんだと思って告白したそうです。   

>ところがすぐに断られた。   

>「ごめんなさい。推しってそういうことじゃないんです」と……。   

>稲田:痛い(笑)。   

>先輩や上司をキャラ化して、離れたところからそっと見ている状態、つまりbeとしての推し行為が快適なのであって、べつに能動的に交際したいわけではないと。   

>交際しようとするアクションは完全にdoですからね。

 

日本人には意思がない。だから、受動ばかりで能動がない。もちろん、その受動に責任もない。   

 

>若者へどうアドバイスすればいい?   

>金間:失敗を徹底的に回避するこうしたゼロリスク志向、思考停止状態は今後どこまで続くのでしょう。   

>イノベーション研究者としては、日本が何も生み出せない国になってしまうのでは、と心配になります。   

 

そうですね。 我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。    

 

>稲田:物語エンタメの世界にも、ゼロリスクの快適さを求める気運が見受けられます。   

>普通、主人公は逆境を乗り越えて成長していくものですが、不快な登場人物に水を差してほしくないという声が、ライトノベルやアニメの分野で目立ちはじめている。   

>最初から最後まで主人公は最強で、1回も悩んだりしない。   

 

一強多弱の状態ですね。わが国の政界のようなものですね。       

 

>そういう快適さを求めている読者が結構多いと、あるラノベ編集者の方が言っていました。   

>金間:同じようなことを危惧される方々から、「今の若者とどう付き合えばいいのか」「仕事上のアドバイスをどう伝えればいいのか」と質問されるときは、こんなふうに答えています。   

>「若いとき、自分は~ということをしなくて後悔してる。   

>だから、お前は俺のようにはなるな。   

>今やれることをやりなさい、応援するから」。   

>かっこいい言い方ですが、いい子症候群にはあまり響きません。   

>逆に、刺さるのは次の言い方です。   

>「あのとき、自分は~ということをしなくて後悔した。   

>だから、今からやろうと思って、参考書を本屋で10冊買ってきたんだ。   

>さっそく始めてみたんだけど、これがおもしろくてさ」。   

>稲田:なるほど。   

>今、自分は実行しているよという現状報告ですか。   

>金間:そうです。   

>いい子症候群の若者たちは、現役選手のことはストレートに尊敬します。   

>「こんなキャリアがある人でも、失敗して、またやり直すんだな」というところにかっこよさを感じる。   

 

失敗は良い勉強になりますからね。なにしろストレスが強い。失敗することは経験豊かな指導者になる早道ですね。   

 

>そして、もっと聞かせてくださいという姿勢になります。   

>そうなったら、「ちょっと手伝ってくれないか」と言ってみてください。   

>「もちろんです。   

>何をやればいいですか」と返ってきます。   

>稲田:歳を取ると「いい年して奮闘してるなんて恥ずかしい」という感覚が生まれがちですが、その逆なんですね。   

>金間:大人ががんばって世界を変えようとすることで、それを見た若者たちも少しずつ変化していく。   

>やっぱり「若者は大人のコピー」なんですよね。   

 

 

 

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日沖健氏  

2022-10-28 00:56:13 | 文化

>東洋経済オンライン   >世襲は「人材の壮大な無駄遣い」である経済的理由 良い悪いの感情論を超え、日本経済にマイナス   > 日沖 2022/10/27 09:00  

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>104日、岸田文雄首相は公設秘書で長男の翔太郎氏を首相秘書官に起用しました。   

>その4日後、麻生太郎副総理が1978年に務めた日本青年会議所の会頭のポストに、麻生副総理の長男の将豊氏が就任することが決まりました。   

>これを受けてSNSでは、「政治が家業となって世襲が当たり前って、ちょっとおかしくない?」「世襲が蔓延る日本にはまったく希望が持てない」といった疑問・批判がわき起こっています。   

>ただ、日本には367万社の企業があり(20216月時点)、その多くが同族経営で、当たり前のように世襲が行われています。   

>世襲は、政治の世界にもビジネスの世界にも共通する日本社会の特徴といえます。   

 

そうですね。世襲はわが国・序列社会の仕来りですね。  

 

>近年、経営学の世界では、同族経営のメリットを前向きに評価する研究が増えています。   

>政府も、経営者の高齢化を踏まえて、事業承継補助金などで中小企業の世襲を強力に支援しています。   

>政府や経営学者は、同族経営・世襲を「良い」ことと考えています。   

 

そうですね。良い子の三世ですね。      

 

>同族経営・世襲は「良い」ことでしょうか、「悪い」ことでしょうか。   

>今回は、ビジネスにおける同族経営・世襲の良し悪しについて考えてみましょう。   

>世襲の良し悪しは判断が難しい   

>同族企業で働く社員は、同族経営のことをどう捉えているのでしょうか。   

>今回、同族企業で働く非同族の幹部社員22名にアンケートとヒアリングで調査しました。   

>最初にずばり「同族経営・世襲は良いことですか、悪いことですか」と聞きました。   

>結果は、以下の通り賛否が分かれました。   

>「良い」:7   

>「悪い」:6   

>「どちらでもない」:9   

>アンケートでは「できるだけ良い・悪いを判断してください」とお願いしましたが、それでも「どちらでもない」が最多でした。   

>「どちらでもない」理由として、次のようなコメントがありました。   

>「同族企業で親子3代の社長の下で42年間働いてきました。   

>私にとって企業と言えば同族企業です。   

>上場企業の仕入先やメインバンクを見て色々と感じることはありますが、それと比較して自社が良いとか悪いとか、考えたことがありません」(サービス)   

>「わが社は、創業者の理念を大切にして堅実経営を続け、発展してきました。   

>ただ、近年、マーケットの変化についていけない場面が多く、堅実経営の限界が顕著になっています。   

>良い面と悪い面が交錯し、どちらとも判断できません」(小売り)    

>では、「良い」「悪い」と回答した幹部社員は、どういうメリット・デメリットを認識しているのでしょうか。   

>最大のメリットはぶれない経営   

>まず、メリットから。   

>「良い」と回答した7人全員が、同族企業は「ぶれない経営」をしていると強調していました。   

>「ぶれない経営」をしている背景として、確固たる経営理念と所有構造があるようです。   

>「創業者が亡くなってもう20年以上経つのですが、創業者が唱えた『チャレンジ精神』『世のため人のために働け』という理念は、いまでも従業員にしっかり根付いています。   

>わが社が取引先から一目置かれているのは、創業者の理念を大切にして、ぶれない経営をしているからだと考えます」(エネルギー)   

>「わが社の株式はすべて同族が保有し、借入金もなく、経営基盤が安定しています。   

>そのため、経営者が目先の環境変化に一喜一憂せず、金融機関の意向を気にする必要もなく、長期的な視点で事業を展開しています」(部品)   

>また、同族企業の経営者は、経営に臨む姿勢や意欲が、サラリーマン社長よりも優れているという指摘がありました。   

>「私が以前働いていた証券会社では、業績が悪くなると幹部社員が我先と逃げ出しました。   

>今の会社では、経営者が陣頭指揮して難局に立ち向かいます。   

>資金繰りが厳しいとき、私財を提供したこともあるそうです。   

>やはり、自分の会社ということで、サラリーマン社長とは、会社に賭ける意気込みや責任感が段違いです」(サービス)   

>経営者に関して、一つ興味深い指摘がありました。   

>関西の機械メーカーN社の工場長Kさんは、「世襲だからこそ優秀な経営者を起用できる」と主張します。   

>2年前、前社長の長男が社長に就任しました。   

>新社長は京都大学出身で、卒業後は大手メーカーに勤務し、開発部門のエースだったそうです。   

>そういう超逸材が従業員数百名のわが社に来てくれるのは、世襲であればこそでしょう。   

>われわれ従業員は『これでわが社も安泰』と胸をなでおろしています」   

>公私混同と情実人事が横行   

>一方、同族経営のデメリット。   

>同族経営を「悪い」と回答した6人のうち5人が、無能な経営者の問題、とくに経営者の「公私混同」を厳しく糾弾していました。   

>「うちの社長は、会社の資産も資金も従業員も、すべて自分のものだと思い込んでいます。   

>家族旅行の費用を会社から出させたり、自宅の用事に休日でも従業員を駆り出したり。   

>私のような年配者は『そんなもんでしょ』という感じですが、若手は愛想を尽かしています」(食品)   

>「わが社の新社長は、まったく無能で、経験も浅く、まともな経営判断ができません。   

>創業家の維持と自分の収入確保が経営の目的になっていて、従業員の幸福やお客様の満足なんて眼中にありません。   

>どこかの国の指導者と同じです」(運輸)   

>こうした経営者の無能さと関連して「情実人事」が起こりやすいのも、同族経営の大きな問題点のようです。   

>「うちの社長は、自分の好き嫌いを優先し、情実人事を繰り返しています。   

>同族関係者が早く昇格するのは我慢できますが、無能なイエスマンで自分の周りを固めているのは、大問題です。   

>同族企業では社長の力が強すぎて、悪いことが正されず、ずっと悪いままです」(建設)   

>また、「やはり同族経営だと資金調達力やリスク耐久力がなく、思い切った投資ができません。   

>従来の事業を守り続ける発展性のない経営で、社内では閉塞感が充満しています」(サービス)という指摘もありました。   

>以上をまとめると、「同族経営・世襲には良い点も悪い点もある」「メリットを生かし、デメリットを抑えよう」という結論になります。

 

そうですね。社長個人の個性に依りますね。わが国を個性を重視する社会に変える必要がありますね。      

 

>しかし、私はこの当たり障りない結論に同意できません。   

>なぜなら、同族経営・世襲は、確実に「悪い」ことだからです。   

>同族経営・世襲とは、創業家出身者が能力に関係なく経営者という職務に就くということです。   

 

そうですね。日本人には個人主義が理解できていない。だから、個人の個性に着眼した判断がともすれば忘れがちになっている。       

 

>先述のN社の新社長のような逸材にとって中小企業経営者という職務は難易度が低いですし、無能な後継者にとっては難易度が高過ぎます。   

>同族経営・世襲では、経営者の能力と職務の難易度がマッチしないケースが頻発します。   

>理想は、N社の新社長は大手企業で得意な開発の仕事を続け、無能な後継者は相応の地位にとどまり、相応の能力を持つ他の誰かが後継者になることでしょう。   

>これが、最適な人的資源の配分、経済学でいうパレート最適です。   

>現在、数百万人の中小企業経営者が自分の能力にマッチしない経営者という仕事をしている可能性があります。   

>そのあおりを受けて、数百万人の従業員が自分の能力よりも低い仕事をしているともいえます。   

>これは、国家レベルでは、壮大な人材の無駄使いです。   

>政府はいま、少子化による労働力不足を受けて、転職を容易にして人的資源を最適配分するよう改革を急いでいます。   

>その一方で、事業承継支援で人材の無駄遣いを促しているのは、矛盾した政策と言わざるを得ません。   

>政治家・経営学者は世襲を「良い」こと、国民は「悪い」ことと考えています。   

>どちらが正しいのでしょうか。   

 

皇族・芸能人・政治家など人気に関係ある地位を得ている人は堂々と世襲に頼っていますね。これはわが国の伝統と文化に深く関係しているのでしょうね。    

 

>「良い点も悪い点もある」でお茶を濁すのではなく、しっかり議論を深めたいものです。   

 

そうですね。我が国の雇用形態をメンバーシップ型雇用からジョブ型雇用に切り替えれば無駄は大幅に減少するでしょうね。我々にはあっけらかんとした世界の中でドライに割り切る習慣が必要です。     

世襲制度は我が国の労働者が義理を果たす励みを楽しみにしている事に深く関係がありますね。義理とは、個人的な序列関係から生じる義務の事ですね。日本人は自己の属する序列に強い帰属意識を持っている。             

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。      

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、この種の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。    

 

 

 

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真鍋厚氏  

2022-10-26 01:31:59 | 文化

>東洋経済オンライン   >「日本人は無宗教」と信じる人が気づいてない真実 自然宗教、神道の国教化、心学…特有の3つの事情   > 真鍋 2022/10/25 07:30  

 ()   

>「宗教」「信仰」というキーワードが、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の問題をきっかけに改めて世間の興味を引いている。   

>しかし、それは多くの場合、特定の宗教を信じている信者としての立場というより、どちらかといえば「無宗教」という立場からではないかと思われる。   

>なぜなら、日本人の7割以上が信仰や信心を持っていないと公言しているからだ(統計数理研究所「国民性調査」2013年)。   

>2018年に行われた調査では、「何らかの宗教を信仰している」(冠婚葬祭時だけの宗教を除く)が36%、「信仰している宗教はない」が 62%という結果も出ている(NHK放送文化研究所「ISSP国際比較調査」2019年)。   

>確かに「日本人は無宗教である」というフレーズをよく耳にする。   

>アメリカの調査機関ピュー・リサーチ・センターの調査によれば、日本は人口に占める「無宗教」の割合が高い、世界でも有数の国とされる。   

>「無宗教」とは一体なんなのか   

>だが、この「無宗教」というカテゴリーが曲者で、実はここには「何らかの精神的な信仰を持つ者」が多数含まれている。   

>それは、既成の宗教などとは無関係な信仰であり、日本では民間信仰、民俗宗教などといった呼ばれ方をしてきたものだ。   

>21世紀に入ってから、「SBNR」(Spiritual But Not Religiousの略で、「無宗教型スピリチュアル層」のこと)という新語も登場し、拡大する「無宗教」層の実態把握の動きも進んでいる。   

>では、一体「無宗教」とは何なのか。   

>時に、特定の宗教にハマる人々を揶揄(やゆ)したり、幽霊は科学的ではないと批判したりする人々が「無宗教」を主張していたりする。   

>けれども、そんな人々であっても、人生の重大事において神社で願い事をしたり、占いを信じたり、験(げん)を担いだり、悪いことをしたらバチが当たると考えたりといった心性と同居していることが少なくない。   

>これは恐らく、わたしたちが「宗教」という定義を狭く捉えてしまっているせいだ。   

>そのため、安易に自分たちを「無宗教」というカテゴリーに分類して、「宗教」から何の影響も受けていないというような無自覚な意識を作り出してしまっている。   

 

そうですね。我々は教義の勉強をしませんからね。   

 

>また、そこには「自分たちのほうが迷信にとらわれずに自由な立場である」といった優越感が潜んでいる場合すらある。   

 

教義は迷信ですかね。 

 

>最悪なのは、それが特定の宗教を差別したり、逆に、無自覚さが災いして問題のある宗教に取り込まれたりするなど、トラブルの遠因になることである。

>なぜこんなにも複雑になっているのか。   

>ここには日本特有の事情がいくつか絡んでいることが推測される。   

>さしあたり主な論点を3つ提示できるだろう。   

>以下は、それぞれが独自に作用しているというより、部分的に相互にリンクしていたり、重複したりしている。   

>1)「自然宗教」=開祖も経典も教団もない自然発生的な宗教の重視   

>2)「神道の国教化」=明治以降、神道を非宗教化したことによる影響   

>3)「心学」=江戸時代に始まった儒教的な側面を持つ通俗道徳の流行   

>最初の議論の前提として、一般的に、宗教とは、「人知を超えた存在に対する信仰と、それに伴う儀礼や制度」と定義することができるだろう。   

>神や仏といった名指しできるものや、超自然的な力や秩序の存在などを根拠に、生のあり方を説く信念の体系といえる。   

>まず「無宗教」を解き明かすうえで、有力な手掛かりを提供してくれるのが、宗教学者の阿満利麿(あまとしまろ)が唱えた「創唱(そうしょう)宗教」「自然宗教」という区分けである(『日本人はなぜ無宗教なのか』ちくま新書)。   

>「創唱宗教」と「自然宗教」   

>「創唱宗教」とは、特定の人物が特定の教義を唱えて、それを信じる人がいる宗教のことで、教祖と経典、教団が三位一体で成り立っている宗教をいう。   

>キリスト教や仏教などの伝統宗教から新興宗教までがその範囲に入る。   

 

創唱宗教には哲学 (スコラ哲学、インド哲学) がありますね。哲学があれば、それを作る学者もいますね。この励みは学問に通じていますね。自然宗教には個人の業績が見られませんね。学問に通じることはないですね。           

 

>他方、「自然宗教」は、「いつ、だれによって始められたかもわからない、自然発生的な宗教のこと」で、教祖も経典も教団もない。   

>祖霊信仰やアニミズム(精霊信仰)などがそれで、身近な例として厠神(かわやがみ、便所の神)や道端にあるお稲荷さんの祠(ほこら)などがわかりやすい。   

>阿満は、「『無宗教』とはいうが実際は『自然宗教』の優越、それが日本人の宗教心の内容」だと指摘する。   

>その代表例に初詣とお盆を挙げる。   

>多数の人々が神社に初詣に出かけ、お盆の時期には故郷に帰る。   

>これこそが「日本人の多くが『自然宗教』の『信者』である証拠」だというのだ。   

 

そうですね。日本人の多くが日本教徒ですね。中には日本教徒キリスト派の人もいるでしょうね。       

 

>本人たちにその自覚がまったくなかったとしても、お盆の帰省の原点に祖霊信仰がある限り、「『自然宗教』の重要な行事」だと述べる。

>前述した通り、「自然宗教」は教祖も経典も教団もない宗教だが、これらは年中行事を繰り返すことで、生活に強弱を付け、心の平安を確保していた。   

>そのため、「とりたてて特別の教義、つまり『創唱宗教』を選択する必要はなかった」と結論づけている。   

>「ここに『創唱宗教』という意味での宗教には無関心で、『無宗教』を標榜してなんら疑わない理由がある」(以上、前掲書)という。   

>宗教がその国の慣習、文化に溶け込み、生活の中に定着すると、ことさら宗教ととらえ直す契機が失われるからである。   

>この無意識化こそがかえって強力な宗教として水面下で機能していることの表れであるともいえ、「宗教」と聞けば「創唱宗教」を思い浮かべがちになっている社会背景だと分析している。   

>このような「宗教」のカテゴリーに対する認識は、おおむね明治以降に出現している。   

>「神道の国教化」という難題   

>それが制度として先鋭化したのが、当時の国家による「神道の国教化」政策であった。   

>いわゆる岩倉使節団が欧米諸国訪問で、キリシタン弾圧を激しく批判され、信教の自由を承認せざるをえなくなった後、天皇の支配者としての正当性を築くための神道の国教化という難題にぶち当たった。   

>紆余曲折を経て、編み出された苦肉の策が、「神道非宗教説」である。   

>神道を国家の祭祀を担う神社神道と、布教・教化を担う教派神道に分けることで、前者を「非宗教」、後者を「宗教」と位置づけ直したのであった。   

>歴史学者の安丸良夫によると、これにより「皇祖・皇統や国家に功績あった人々、また祖先への崇敬」といった「国家的神々の受容と信教の自由とは矛盾しないのだとする」(『神々の明治維新 神仏分離と廃仏毀釈』岩波書店)ロジックが完成したのである。

 

序列社会における序列作法は信教の自由を妨げないということですね。そんなことはないでしょう。カミが違えばその意見も違う。一体どちらに従うのか。まさに日本教徒キリスト派の誕生ですね。     

 

>阿満の「創唱宗教」「自然宗教」の区分に従えば、神道はもともと「自然宗教」だが、様々な時代において仏教や儒教などの「創唱宗教」の教義を取り込んでいる。   

>さらに厳密にいえば、仏教には祖霊信仰という「自然宗教」が含まれてもいる。   

>明治維新後のおよそ80年もの間、神社神道は、安丸のいう「国家的神々」を崇拝する場として機能し、「宗教ではないが、礼拝の対象」となり、人々の慣習として少しずつ浸透していった。   

 

神社神道は序列作法を励行する習慣として浸透していますね。    

 

>概念的にも「宗教」の定義に値するのは、キリスト教や仏教など高度に体系化された教義を持つものとされていた事情もあった。   

>加えて、神仏分離と神社合祀などの政策により、「国家的神々」にそぐわない神仏や民間信仰などはことごとく一掃された。   

>そうすると、当然ながら「宗教」が意味するものは、実質的に「創唱宗教」だけとなる。   

 

そうですね。   

 

>わたしたちが「宗教」と捉えるものが、創始者の名前が明らかで組織化された教団があるものとみなしやすく、それ以外のものが意識に上りにくいのは、「自然宗教」の優越や、近代化に伴う「神社神道の非宗教化」などに、その歴史的な起源を求めることができるというわけである。   

>「石門心学」という根源的な思考   

>しかしながら、これだけでは「無宗教」にまとわりつくグラデーションを解明したことにはならない。   

>概念上の認識や、国家政策の名残に還元できない、根源的な思考がかなり前から人々の生活に存在していた点に目を向ける必要がある。   

>その糸口になるのが、江戸時代に急速に広まった民衆思想。   

>一介の商人に過ぎなかった石田梅岩(ばいがん)が創始した「石門(せきもん)心学」だ。   

>「自然のはからい」を重視する古来の文化や、儒教・仏教・神道が対立することなく併存可能とする「三教合一論」などに基づいて作り上げたものだが、評論家の山本七平は、「しかし彼の思想の骨格は、あくまでも当時の庶民のもの」だと強調する(『日本資本主義の精神 なぜ、一生懸命働くのか』PHP文庫)。   

>庶民のための生活哲学、道徳教といわれるゆえんである。   

>山本によると、梅岩は、「人間の性=本心は、呼吸のごとく宇宙の継続的秩序と一体化しており、その秩序によって人が生かされているのだから、これは『善』いわば一種の『絶対善』であると考え、それが人間の本心の基本であるから、その本心の秩序通りに各人が生きれば、それがそのまま社会の秩序となると考えた」(『勤勉の哲学 日本人を動かす原理』PHP文庫)という。   

>山本は、これを自然的秩序に順応するための一種のプラグマティズム(実用主義)だと述べる。   

>梅岩の思想が非常に面白いのは、前記の「三教」が上手く使い分けられており、「いわば神が中心で、規範としての儒があり、仏には儒との合一性を基本とした一種の心理療法的効果しか認めず、いわば『薬効』しか期待していなかった」(前掲書)ところにある。   

>要するに、それらは信仰の対象などではなく、「役に立つものが真理」という実用性が重視されていた。   

>梅岩は、キリスト教的な唯一絶対神は信じてはいないが、各人が自然的秩序を体現する「内なる仏性」(「人間性」とも言い換えられる)を持っており、儒教的な「天」という非人格的な宇宙の秩序を信じていた。   

>「すなわち宇宙の秩序と内心の秩序と社会の秩序は一致しているし、また一致させねばならない、という発想」(『日本資本主義の精神 なぜ、一生懸命働くのか』)であった。   

>その根本から大きく外れていなければ、「三教」も、他の宗教や外来思想も「薬=方法論」として取り入れたというわけである。   

>ここに山本は、「七五三は神社で、結婚は教会で、葬式はお寺で、でいっこうに差し支えない」といった日本的価値観の源流をみる。

 

日本人には意思がない。だから、受動はあっても能動がない。 被害者意識はあっても、加害者意識はない。 恨みはあっても罪の意識に苛まれることはない。 かたき討ちは流行るが、罪滅ぼしの運動は流行らない。   

我が国のキリスト教徒はあくまでも日本教徒である。だから、彼らは日本教徒のキリスト派になる。彼らはキリスト教的儀式をするが、それが贖罪の目的であるとは理解していない。だから、彼等の勢力も伸び悩んでいる。 カルトであれば逆に良く伸びる。   

日本人は思考を停止している。だから、無哲学で能天気の状態になっている。頭の中に非現実 (考え) の内容がない。だからことさら現実に固執することになる。相手の理由を理解しない守旧派になっていて改革運動が進まない。ただ目の前の内容 (現実) だけを信じている。形式 (現実) があって内容 (非現実) がない。この状態で割り切ることができれば、日本人の生活は円滑に進む。生まれた時は宮参り、結婚式はキリスト教、葬儀の時は仏式で済ませばよい。これがただ今の日本人の脳足りん生活である。         

英米流の高等教育の目的は個人の考え (非現実) の内容を生み出すためにある。修道院での生活のようなものである。その考えの内容は文になり、論文として公表される。日本語は ‘写生画の言葉’ ともいわれ、非現実の内容を示さない。だから、わが国の高等教育の成果は伸びが悪い。わが国の英米流高等教育は使用言語を英語に改める必要がある。 

 

>前出の安丸も山本の説に近く、梅岩を「極度に唯心論的」と論じている(『日本の近代化と民衆思想』平凡社ライブラリー)。   

>梅岩がキツネやタヌキが人を化かすといった呪術を否定したエピソードを紹介し、これを「『心』の無限性・絶対性」を信じる「唯心論」の裏返しと考えた。   

>取り上げた論点はほんの一部に過ぎないが、このような多面性を踏まえると、「日本人は無宗教である」という紋切り型の論評は、留保が必要といえそうだ。   

>信仰や信心は身近なところにある   

>もちろん「宗教」概念をめぐる問題もあるが、歴史的経緯を一瞥しても、簡単に判断を下せるものではないことが理解できるだろう。   

>特に明治以降、宗教由来のある価値観が、ある時期を境に非宗教的な装いを施され、知らないうちに生活の中に根を下ろしていった例、あるいは「神」や「天」という文言が消えただけで、内実はそれらの秩序を暗黙のうちに序列化して、社会関係を拘束している例は枚挙に暇がない。   

>重要なのは、多かれ少なかれ信仰や信心は身近なところにあり、わたしたちが思っている以上にわたしたちの深層で作用しているということだ。   

>筆者は、たまたま宗教2世であったために自分が何を信じているのか自問する必要に迫られることが多かった。   

>今もその過程にあるといえるが、すべてを把握することの困難さを感じてもいる。   

>日常生活でそのような機会は滅多に訪れるものではない。   

>けれども、わたしたちを突き動かしているもの、価値判断の拠り所としているものが、どこからやって来たものかを知ろうとすることは、自分たちの社会に底流する「何か」について再発見を促す好機になるだろう。   

 

我が国においては人もアニマルもごく自然に動いていますね。    

 

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飯田智紀氏  

2022-10-24 06:08:50 | 文化

>2020.9. 3   >アジアで最も大人が学ばない日本で「学歴よりも学習歴」を。   >ベネッセが目指す学びとは   >質の高い教育をみんなに   >働きがいも経済成長も   >産業と技術革新の基盤をつくろう   

>「アジアの中で日本は、最も大人が学んでいない※1」という調査結果があります。  

 

そうですね。日本人は思考を停止していますからね。    

 

>この実態を個人の問題ではなく、社会課題と捉え解決に取り組むのが、ベネッセコーポレーションの社会人事業です。   

 

皆が一律に思考を停止しているのですから社会課題となりますね。    

 

>その目指すところは、働きながら学ぶことは人生の選択肢を広げ、豊かにすると感じてもらうこと。   

>そして、一人ひとりがより自分らしいキャリア・生き方を実現できる社会づくりに貢献することです。   

>新しい学びのあり方に挑戦する活動をご紹介します。 [飯田智紀

>働き方や社会構造が変わるいま、「大人が学ばない国・日本」をどう変える?   

>日本は、勤務先以外での学習や自己研鑽活動を「何もしない」がAPAC14の国・地域(主要都市)平均の約3.5倍。   

>※パーソル総合研究所「APAC就業実態・成長意識調査(2019年)」のデータをもとにグラフ化

>ベネッセコーポレーションは2015年、世界最大級の動画学習プラットフォーム<Udemy(ユーデミー)※2>の日本における事業パートナーとなり、社会人教育への取り組みを本格化しています。   

>アジアの中で日本は「大人が学んでいない国」という結果を前にして(上図)、ベネッセの<Udemy>事業責任者・飯田智紀はこう語ります。   

>「要因は一つではなく複合的だと思います。   

>新卒一括採用・年功序列・終身雇用制度などの『日本型雇用慣行』と、長時間労働などの働き方が大きく影響しているのではないでしょうか。   

 

新卒一括採用は、個人差を認めないわが国の習慣から来ていますね。   

年功序列は、序列に基づく礼儀作法の延長線上にありますね。   

終身雇用制度は、序列制度の保持の為に守られていますね。   

 

>また、これまで企業が提供してきた人材研修は、新卒時と一部の階層別研修のみのことが多く、『学び続ける文化』が社会全体で醸成されていない側面もあります。   

 

そうですね。わが国の研修制度は形骸化していますね。    

 

>複数の要因が複雑に絡み合っているからこそ、『大人が学ばない』ことを社会課題として捉え直し、より包括的かつ持続可能なアプローチで解決していくことが大切です。」   

 

複数の要因は全て日本語の文法特性から発しているのでしょうね。ですから、これは日本人の問題ですね。       

 

>大事なのは、社会変化のスピードに対応した学びを続けていくこと   

>Udemy>の講座より。   

>コーチング、ファイナンス、AI、プログラミングなど実践に役立つテーマが多種多様にある。   

>この社会課題を解決するために、ベネッセの社会人事業ではまず、<Udemy>などのサービスを通じた、学び続けるための「学びのインフラ」整備に取り組んでいます。   

>「日本は最終『学歴』を重視する傾向が強いため、『学習歴』も同等もしくはそれ以上に評価されることが重要です。   

 

最終学歴の価値は偏差値により判定されていますね。これは日本人社会の人間序列の形成の為ですね。学習歴の評価は特にありませんね。国民は評価の軸が多数あることを望んではいませんね。国民は常に単純明快を望んでいますね。           

 

>社会変化のスピードに対応した実践的・実用的な学びで自己研鑽し、課題解決を繰り返していくことがその評価にもつながると考えています。」(飯田)   

 

偏差値は社会変化のスピードとは関係ありませんね。あったら日本人は困ります。     

 

>飯田と同じチームで事業を担当する杉原有輝は、<Udemy>ユーザーにインタビューを重ね、学習歴を積むことで人生が大きく変わった事例を目の当たりにしたと言います。   

 

個人の体験と社会の仕来りは違いますからね。国民は常に仕来りの方に着眼しています。ですから、日本人は変わらないのです。         

 

>「あるユーザーの方は、地元の北海道でお仕事をされていましたが、キャリアアップをしたいと思っても学べる環境がなく一歩が踏み出せずにいました。   

>そんなとき<Udemy>のiOSアプリ開発の講座を受講され、仕事で成果を出したことをきっかけに、東京のIT企業に就職されました。   

>その後も自己研鑽を続け今はブロックチェーンエンジニアとして活躍されています。   

>わずか3年あまりの出来事です。   

>始めの一歩を踏み出せるか否かでその後の人生が大きく変わることを、私たちも教わりました。」   

 

自己研鑽をするのは日本人が外国留学をするようなものでしょうね。留学した個人は思考を停止している人々の中で浮き上がります。この企ては日本人の大勢には影響を及ぼさないでしようね。日本人は思考を停止していますからね。    

 

>自ら100以上の講座を受けたという杉原は、「私も、プライベートで学びに割ける時間はないと思っていました。   

>でも、意外と隙間時間があることに気づいたのです。   

>出勤準備しながら英語を聴く、昼休みを活用する。   

>今はリモートワークも増えているので、浮いた通勤時間を学習に充てることもできます。   

>いろいろ受講して思うのは、完璧を目指さなくてもよいのではないかと。   

>修了するよりも学ぶこと自体が大事で、少しずつ自分の成長を確認できます。   

>それが次へと進む力になると実感しています。」  

 

それは日本人離れしていますね。日本人は実感ではなくて、見栄と外聞の方を注視していますからね。これは、日本文化には形があって内容が無いからでしょうね。      

 

>社会の意識を変えるには、まず自分たちが「学ぶ大人」になる!   

>2019年からは企業向けの<Udemy for BusinessUFB)>がスタートし、DX(デジタルトランスフォーメーション)人材の育成や、スキルアップによる生産性向上を目指しての導入が増えています。   

>Udemy>を提供するベネッセコーポレーションでも自ら実践し、コロナ禍で急きょオンラインになった20204月の新人研修に、そのノウハウを活用しました。   

>まずは「学びのインフラ」を提供することで、広く社会を巻き込んでいきたいという飯田は、「ベネッセ社員が率先して『学び続ける大人』になり、『学び続ける文化』の発信地になれたらと思います。   

 

思考停止学び続ける文化は二律背反ですね。両者がわが国に共存し続けるのは何か社会に誤解があるからでしょうね。       

 

>学習歴とその成果のポートフォリオが社内・社外でキャリアを切り拓いていく。   

>そんな社会になることを目指して、日々事業の開発に取り組んでいます。」   

 

そうですね。矛盾なく事が運ぶとよいですね。   

 

>学ぶことの意味を問い直す新たな挑戦は、さらに続きます。   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

>情報協力 >飯田智紀   

>飯田 智紀(いいだ とものり)   >2015年に中途入社し中期経営計画策定などに携わった後、<Udemy>事業を中心とした大学・社会人向けの新規事業開発責任者   

 

 

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