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どう生きるか

2018-04-22 23:37:48 | 教育


(略)
>■名門校版「君たちはどう生きるか」
>16の白熱授業の中で、名門校の教師たちが生徒たちに共通して問いかけていたものを煎じ詰めればこの一点。>「君たちはどう生きるか」である。>吉野源三郎によって同タイトルの名著が書かれたのは1937年。>多感な時期の青少年が立ち向かうべき問いは、戦前から変わっていない。

そうですね。日本人には縁の遠い哲学ですね。しかし、考えざるを得ない命題ですね。

>その問いに真剣に向き合うことなく、エリートビジネスマンのまね事のようなカタカナのスキルばかりを身に付けたところで、荒れ狂う時代の波の中で自分の足で立ち続けるかどうか、おぼつかない。

日本人もローマ字 (alphabet) に親しむ必要がありますね。ローマ字でなくては、国際的に通用しません。

>今、その名著が漫画になってリバイバルし、ブームになっているのもうなずける。

そうですね。日本人の忘れ物ですね。

>あまりに変化が激しく、無自覚のうちに時代の波にのみ込まれかねないこんな世の中だからこそ、自らの進むべき方向性を見失わないために、その問いが重要なのだ。

そうですね。目先の現実の内容のみに囚われて、非現実の内容に想いを致す余裕がありませんね。

>簡単に答えの出せる問いではない。>それでいい。>その問いを問いとして抱え続けることさえできれば、ひとは自由になれる。

そうですね。我々は、’考える人’ になる必要がありますね。

>自由とは、つねに「君は何を感じるんだ?」「君は何を考えているんだ?」「君はどこへ行きたいんだ?」「君はどうしたいんだ?」と尋ねられ続けることである。

自由とは、意思の自由のことでしょう。
日本人には、意思 (will) が無い。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思が無い。優柔不断・意志薄弱に見える。

>言うなれば自由とは、それ自体が無限の問いの集合体である。

自由 (freedom) があれば、何でもできますね。

>問いを問いとして抱え続ける力がなければ、自由には耐えられない。

日本人には、意思が無いのだから、自由意思もありませんね。
恣意 (私意・我がまま・身勝手) はありますが、こちらの方は文章内容にはなりません。ですから、意味もなく矛盾も考えられません。恣意 (self-will) は、どこの国でも認められていません。恣意の自由は、自由のはき違えです。ですから、意思の無い日本人には自由の価値がなく、’不自由を常と思えば不足なし’ となるでしょう。
しかし、恣意だけしかない日本人は、恣意を容認する傾向にあります。アメリカ人は、恣意を粉砕しますが、日本人は忖度 (推察) により恣意の内容をくみ取る。そして、現実対応をする。忖度は、もとより聞き手の勝手な解釈でありますから、発言者に責任は有りません。以心伝心として、忖度を高く評価する人もいますが、誤解などによる情報伝達の齟齬 (食い違い) が生じて混乱することも多いです。とかく、この世は無責任となります。忖度は、改めるべき日本人の習慣です。

>その問いかけ自体は名門校でなくともできる。

そうですね。あらゆる人に必要なことですね。

>社会を通じて大人たちが子どもたちにつねに問いかけなければいけない問いだ。

我々は、’考える人’ にならなくてはなりませんね。でも、日本語脳を考える目的として働かせることは、難しいことですね。
現実の内容は、頭の外にある。非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。両者は所在が異なるから、内容も同じにはなりません。
非現実の内容を文章にするには、時制というものが必要です。時制がありますと、非現実の三世界 (過去・現在・未来) を文章内容にすることができます。ですから、’今ある姿’ (things as they are) の見ならず、’あるべき姿’ (things as they should be) をも語ることが可能になります。時制は日本語にはありませんので、日本人は自己の考えを語ることはできません。ですが英語には有りますから、英米人は夢も希望も語ることが出来ます。

>みんなが『君たちはどう生きるか』の主人公コペル君にとっての「おじさん」にならなければいけない。

そうですね。我々は、’考える人’ になる必要がありますね。無哲学・能天気では過ごされませんね。実況放送・現状報告の内容のみを話す人間は、子どものような人ですね。

>そのためにはまず、大人たちこそがその問いから逃げてはいけない。>いやむしろその問いは、大人にこそ向けられているのである。

そうですね。まず隗より始めよ。大人が英米人と国際交流してみると良いですね。

>名門校の教育から、大人こそが忘れかけていた大事な何かを学べるのではないだろうか。

名門校の教育にも、非名門校の教育にも、哲学は必要ですね。そうすれば、英米人と対等に話ができるようになるでしょう。


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