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安井元康氏  

2021-10-29 21:34:38 | 文化

 

>東洋経済オンライン  >「大学に行く意義」を問う子に親は何を言うべきか  人生の武器を得るための期間なら無駄じゃない  > 安井 元康 2021/10/27 19:00

>大学に行くことの意義について、うまく説明できるように知恵を授けてください。 >現在、高校生になる息子がいます。 >息子から「やりたいことが特にあるわけではないが、かといって大学に行くことの意義が良くわからないので、受験勉強はしたくない」と言われ、返答に窮しています。 >まだ1年生なので時間的な余裕はあるものの、確かに今どき良い大学、良い会社じゃあるまいし、私自身もパンチというか、気の利いた回答ができずに今に至っています。 >せめて大学ぐらい卒業したほうが何かと有利なので、理由はともかく、私としては大卒の資格は有してほしいのですが、「良くわからないけど行け」では説得できず、また自身も、この時代に大学になぜ行くべきなのか整理ができておらず、お知恵を拝借したく連絡いたしました。よろしくお願いいたします。 >会社員 S  

 

受験勉強が大学進学への強い足かせになっているようですね。入学試験は選抜の為の試験であって学問とは直接関係がありませんね。試験が無くて好きなことのできる大学があると良いですね。わが国も試験地獄のない国を見習うべきでしょうね。      

 

>大学は人生を歩む上での準備期間   >大学に行くことの一番の意義は、さまざまな勉強や経験を通じて自分自身の人生における選択肢を探し、同時に自身の将来の選択肢を広げるということでしょう。  

 

そうですね。大学では哲学を学ぶことになりますね。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.  哲学 (philosophia) 愛する (philos) + (sophia)’  すなわち学問愛ですね。  

 

>自分自身の可能性を探り、そして可能性を広げるための4年間であり、その後の人生を歩むうえでの準備期間ともいえます。  

 

そうですね。我々は考える人’ (the thinking man) になる必要がありますね。その後の人生に役立ちますね。   

 

> 大学を卒業するという事実そのものに価値はありませんし、テストで良い点数を取ったとか、そういったこともあまり意味をなしません。 >それがどんなに良い大学であっても、人生を切り開くうえでの武器にはならないのです。

 

そうですね。学問は世俗的な目的にはあまり役立ちませんね。     

 

> それよりもむしろ大事なのは、在学中の4年間をどう過ごすかで、それによって大学に行くという行為がその後の人生において価値にも、無駄にもなりうるのです。 

 

大学での哲学の勉強は人生初の難関ですね。自己の哲学を作ることは容易ではありませんからね。落伍者も出るでしょう。      

 

> それは資格取得でも同様で、いわゆる難関資格の取得がそのまま人生を切り開く武器にはなりません。  

 

そうですね。難関突破のつわものと言うだけでは社会に通用しませんね。そのような人は思考を停止している受け売り専門の人ですからね。       

 

>大卒者にせよ、資格保有者にせよ、簡単にいってしまえば「その他大勢」であり、労働市場においては飽和気味なのです。  

 

その他大勢は没個性の人間の群れですね。  

 

> そのような状態ですので、大学卒業という事実だけをもって、自己の差別化を図ることはできません。 >まして、その後の人生の成功を保証するものでも決してないのです。

 

そうですね。日本の社会の序列順位の争いには役立ちませんね。   

 

>ですから、何の目的意識もなくなんとなく大学へ行き、なんとなく卒業するのでは、かけたお金も時間も無駄になってしまうというものです。 

 

やりたいことを持って大学の門をくぐるべきですね。やりたいことが無ければ、大学に行っても仕方がない。やりたいことができた時に大学に行けばよい。一生が勉強ですからね。何も慌てて入学することはない。         

 

> だからといって、大学へ行くことがまったくもって無駄かというと、そんなことはありません。 >冒頭で申し上げたとおり、時間をどう使うかによっては価値にもなりうるのです。 > 在学中の4年間をさまざまな分野の勉強や研究に費やしたり、アルバイトやインターンなどに積極的に参加したりすることで、自分が何に興味を持ち、何に楽しさを感じるのかを知ることができれば、その後の人生において大きな武器となるはずです。

 

そうですね。できることなら大学に進学した方が良いですね。大学に入って論文を書くことを練習すると良いですね。

全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

>就職活動で始めるのは遅い  > そういった行為を通じて、職業や生き方という面で自分にとってのリアルな選択肢を探すことは、非常に有益でしょう。 >就職活動の段階でこうしたことを始める人もいますが、それでは遅いのです。 

 

卒業後、とりあえず借りの仕事を見つけて、本業についてじっくりと考えてから再就職する手もありますね。何事も経験ですからね。      

 

>大学での勉強や生活と、その後の人生の選択肢を考える行為を切り離して考えてはいけないのです。 

 

大学の生活と卒後の生活は切り離して考えても良いのではないでしょうか。大学の生活はいわゆる教養のためですから、いかなる職業に就いても役立つ可能性がありますね。職場を渡り歩くと昇進が早くなります。      

 

> そう考えると、大学に通う時間は人生をスタートするうえでの準備期間ともいえます。 >当然、その後の人生の選択肢と密接につながっているべきなのです。  

 

高度な職業人となる為には、さらに大学院を出る必要がありますね。   

 

> 幅広い分野での勉強や経験を通じて、自分自身を知ることで、自分にとってのリアルな選択肢が考えられるようになります。  

 

そうですね。理屈の付け方などはどこにいっても変わりませんからね。総合雑誌の内容を理解するのと同じやり方です。       

 

>また、さまざまな分野での勉強や経験をすることで、選択肢そのものを広げることも可能でしょう。> 極論をいうと、大学に入る前に今後の人生においてやりたいことが明確であれば、大学に行かずにそのゴールに向かって早く走り出せば良いのです。  

 

そうですね。大学を頼りにするばかりが能ではありませんね。      

 

>反対に、まだ何をしたいかがわからないという場合は、大学に行って、その期間を人生において歩むべき方向性を探る旅とすれば良いのです。 

 

大学に入学する前に社会で働いてみるのも為になることでね。そして、やりたいことが見つかったら、その時に大学選びをして入学するやりかたもありますね。      

 

> Sさんのお子さんはまだ将来、歩みたい方向性が定まっていないということですから、それを探るために、さまざまな分野の勉強ができ、また、さまざまな経験ができる大学生としての身分を経て、徐々に明確化していくのが良いのではないでしょうか。

 

そうですね。若いうちに冒険をするのが良いですね。   

 

> 4年間でできるだけ多くの興味を持ち、できるだけ多くの経験を積むべきです。>始めたことが途中で嫌になったり、興味を失ったりしたら、いくらでもやり直しができます。 

 

そうですね。人生は長いですからね。私の友達には休学届を出して南米旅行をした人もいましたね。  

 

> 繰り返しますが、ただ単に大学に行けば人生切り開けるわけではありません。 >その期間に自分自身の可能性を探し、可能性に気がつけるような時間の過ごし方が大切なのです。 > そのための期間と位置づけて、自分探しの4年間として捉えると良いのではと思います。   

 

現実 (事実) は見ればわかる。現実の正解は一つしかない。非現実 (考え) の内容は見ることができない。だが文章になる。文章にならないものは考えではない。

矛盾を含まない文章は、全て正しい考えを表している。考えは、一人一人違っている。だから、正解は無数にある。体系的な考えは哲学になる。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.  そうでなければ我々は、つかみどころのない人間になる。   

大学などの高等教育機関で自己の論文作りに励めば学士・修士・博士などの称号が得られる。博士は普通 '哲学博士' (Doctor of Philosophy: Ph. D.) と呼ばれる。

私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。       

政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。  

我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない。などなど。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)

TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。

孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)(引用終り)   

我が国には人手不足の話はあるが、頭脳不足の話はない。わが国は、無哲学・能天気の国である。だから、国民は歌詠みになる。 

 

>Sさんがそのような考え方で、うまくお子さんの将来の可能性を引き出す手助けをされるであろうことを、応援しております。  

 

私も応援致します。

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

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