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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

平井文夫氏  

2025-03-03 18:16:47 | 文化

FNNプライムオンライン   >特集   >平井文夫の言わねばならぬ リターンズ   >せっかく政権交代の機運が盛り上がっているのに、やはりこの人の一言がすべてをぶち壊す   >平井文夫   

>政権交代を望む人の方が多い!   

>週末に行われたFNN(フジニュースネットワーク)と産経新聞の合同世論調査によると、次の衆院選後の政権として「自民公明を中心とした政権の継続」を望む人が40%だったの対し、「いまの野党を中心とした政権交代」を望む人は49%と10ポイント近く上回った。

>朝日新聞は「継続」33、「交代」54で差は20ポイントもある。   

>FNN世論調査の結果   

>政党支持率を見ると与野党の差はまだあるのだが、朝日と読売新聞が聞いた比例投票先を見ると、立憲民主党と日本維新の会を足した数が自民党の数とほぼ同じである。   

>つまり各党とも「支持者」そのものの数はあまり変わっていないが、特定の政党を支持しない無党派層が政権交代を望んでいるということだ。   

>政権交代が現実に近づく中で、また「あの人」がトンデモないことをしてしまった。   

>「日本の民衆が火の中に連れ込まれる」と発言した呉江浩 駐日本中国大使   

>産経新聞によると20日、中国の呉江浩駐日大使が、台湾との関係をめぐり日本政府が中国の分断に加担すれば「日本の民衆が火の中に連れ込まれる」と発言したのだが、なぜかそこに同席していた鳩山由紀夫元首相が「基本的に同意する」と述べたというのだ。   

>これはイカン。   

>呉大使は20234月にも同様の「火の中」発言を日本記者クラブで行い、日本政府から抗議を受けているが、明らかに確信犯だ。   

>またやるだろう。   

>「火の中」発言を直接聞いたのに…   

>問題はそんな人の話を聞きに中国大使館までノコノコ出かけていき、「火の中」発言に同意してしまった鳩山氏である。   

>産経には呉大使の話を神妙に聞く鳩山氏と、2009年に一緒に連立を組んだ社民党の福島瑞穂党首の写真が載っていて、笑うしかなかった。   

>息子の方がしっかりしている   

>これについて鳩山氏の長男、紀一郎氏がSNSXで「父と対話した」と投稿していた。   

>紀一郎氏によると鳩山氏が「同意する」と述べたのは、中国大使の「日本政府は、一つの中国を理解尊重すべきだ」という発言に対するものだったが、その上で鳩山氏は「一部の日本の政治家による訪台が中国政府にとって挑発行為になる」と述べたという。   

>これに対して紀一郎氏は、日本の政治家の訪台について、中国大使が武力行使をほのめかすような脅迫的文言を使っていることに対し、明確な反対をしなかったことが批判を受けてしまうのはやむを得ないなどと反論したという。   

>お父さんより息子の方がよほどしっかりしているではないか。   

>オバマ米国大統領に「トラスト・ミー(僕を信じて)」と言いさらなる不信を買った   

>立憲民主党としては「そんな人はウチには関係ありません」と言いたいかもしれないが、今回のようなことがあると、やはり前身の民主党政権における鳩山由紀夫首相の「最低でも県外」「トラストミー」発言による日米安保の「一時的崩壊」を思い出す人は多いだろう。   

>あれはやはり安倍晋三元首相が言ったように「悪夢」であった。   

>次の衆院選で与党が過半数割れし、政権交代する可能性はあると思うのだが、なぜそのような大事な時期にニュースのネタになるようなことをやらかすのか。   

>立憲の人たちが少しかわいそうになった。   

>ところで、この中国大使発言に対しての日本政府の対応は「抗議した」だけで、呉大使を外務省に呼びつけたわけでもなく、はっきり言って「弱腰」なのだが、正論を述べた政治家が一人いた。   

>いろいろな意見の人がいてもいいのだが   

>民主から立憲を経由して今は無所属の松原仁衆院議員で、彼は「呉大使を国外追放にすべき」との質問主意書を提出した。   

>政府や自民党が弱腰の中で松原氏の主張は筋が通っている。   

 

そうですね。政府は優柔不断・意志薄弱ですね。   

 

>旧民主でもいろいろな意見の人がいるものだ。   

>小沢氏は「企業が悪という前提に立っている」と立憲の執行部を批判   

>話は変わるが、最近の政治資金規正法改正をめぐって、立憲の小沢一郎衆院議員が、立憲が掲げている企業団体献金の禁止案について「企業が悪だという前提に立っている」とした上で、「反対だ。何を馬鹿なことをやっているんだ」と執行部を批判し、「自由なところは自由にし、全部公表すれば良い。   

>いいか悪いかは国民が審判する」と述べた。   

>これも岸田文雄首相よりはるかに正論を言っていると思う。   

>つまり旧民主の人たちの中にも正しいことを言う人はたくさんいる。   

>もちろん間違ったことを言う人もいる。   

>それは自民も同じだ。   

 

そうですね。我が国は権威主義の国とは違いますね。   

 

>問題は意見が違っても最後に話し合いで解決できるかということだ。   

>政権交代は起きるのか?    

>これから先、政権交代が起きるかもしれない。   

>そこに立憲が入るかもしれない。   

>一つだけ言えることは、政権をともにする場合、いろいろな意見を持つのは構わない、ただそれが互いに相いれないなら一緒に政治はやらない方がいいと思う。   

>これまでそれで必ず破綻しているからだ。   

>政権内で意見が統一できず安保や経済がストップしてしまうのは国民にとって甚だ迷惑な話だ。   

 

そうですね。国民の絶えざる監視が必要ですね。      

 

>政権を狙う人たちはそこを肝に銘じるべきだと思う。   

 

そうですね。党員は目的地を同じにする必要がありますね。      

そうでなければ民の信頼は得られない。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)  

 

日本テレビの単独インタビューで「このままでは日本人は滅びる」と日本の将来に危機感をあらわにしていた、ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長。[2024年 10月] 10日の会見でも「日本人同士のなれ合いみたいなことは廃止すべき」と改めて警鐘を鳴らしました。 

日本人は‘なあなあ主義’ で話をする。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。 ‘以心伝心・阿吽の呼吸・つうかあの仲’といったところか。     

 

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。

孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)(引用終り)  

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っています。

、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。、、、、、日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)     

 

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)     

 

宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ている。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話である。

宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り)    

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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