> 2.教育に関する決定権者たちの暗黙の方針
> しかし、文科省をはじめとする教育の決定権者たちが、ここ10年余り次々に打ち出してきた教育改革とは、つまるところ「教育分野への市場原理の導入」であり、子供たちをお互いより一層競争させることにその主眼があった。
競争をさせれば、序列判定は容易になりますね。そのために教育しているのでしょう。
> 「この過酷な競争社会で、せめて自分の子は競争に勝ち抜いて欲しい」という親の思いはみな同じであろう。
こどもは競走馬のようなものですね。
>しかし、経済力がある家庭では、子供を塾とかに通わせることによって、経済力のない家庭の子と比較してより高い学力を身につけさせることができる。>つまり確率的に、おカネのある家庭ほど自分の子を「勝ち組」に入れることができるのだ。
そうですね。親の貧乏は、その子供に感染しますね。
>しかも教育の決定権者たちは、この現状に何の手も打とうとはしない。
日本人には意思がない。教育の決定権者にも意思決定ができない。意思の無いところに方法 (仕方) は無い。仕方がないから、無為無策でいる。
>いや、それどころか、現政権は今年度から、金持ちが孫に教育資金を贈ると孫ひとり当たり1500万円までは贈与税がかからない、という政策をはじめた。 >これは、金持ちの子どもほど「より良い教育環境」が与えられる、言い換えると子どもたちの間に教育格差が一層広がることは止むをえない、と教育の決定権者自身が認めたことを意味する。
そういうことになりますかね。
> しかし私はこういう、親の経済力の差で子供の間に「勝ち組」と「負け組」を作ることについては、全く反対である。
そうですね。親の貧乏は、その子供に感染しますね。
>塾についても、欧米先進国では見られない業種でもあり、その存在自体が世界に向けて恥ずかしい限りであり、一刻も早くこれを禁止あるいは規制すべき、と考える。
受験戦争は、’仁義なき戦い’ ですね。学問 (非現実の内容) ではなく、処世術 (現実の内容) ですね。
> そもそも塾とか予備校とかいう業種は、東大を頂点とする大学ピラミッド、つまり大学間格差が厳然として存在していることを前提として、それぞれの塾がピラミッドの頂点たる東大に何人の学生を合格させたかを競うことで成立している、いわば「教育分野での死の商人」である。
世俗の序列がはっきりしていますね。わが国においては、序列の存在そのものに意義があると考えられています。これは、むなしいことです。
>したがって塾自体が政府の補完勢力となって、東大を頂点とする大学間の格差を一層助長させ、本来公平かつ自由闊達になされるべき大学間の、本当の意味での「競争」を著しく阻害している。
日本語圏内の激しい争いですね。グローバル (全地球的) な、ユニバーサル (万人共通) な競争を阻害していますね。
> しかし聞くところでは、今の文科大臣は有力な予備校や塾から政治献金を得ている、という。>何をか言わんや。
それは、やめなくてはなりませんね。
> よしんば大臣に代表される「教育政策の決定権者」たちが、今の市場原理的な弱肉強食の教育環境を「是」としているにしても、決定権者の代表である大臣は、せめて国民に、「教育に関する国家目標」を明確に語って欲しい。
そうですね。それにしても、無哲学・能天気の国民であっては国家目標の明確化は無理ですね。
>国家としての教育理念を全く語らないまま、なし崩し的に今の弱肉強食的な「選択と集中」政策を遂行しつづけているのは、主権者たる国民を愚弄している。
そうですね。成り行き任せは、国民を愚弄していますね。意思の無い国においては、万事が成り行き任せになります。
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