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イスラエル不招待  

2024-08-11 03:37:15 | 文化

>BBCニュース   >西側諸国の駐日大使、長崎の平和式典に出席せず イスラエル不招待が理由と   >BBC Newsによるストーリー・   1日・   

>長崎県長崎市に原爆が投下されて79年目の9日、長崎で平和祈念式典が行われた。   

>アメリカやイギリスを含む複数の西側諸国の大使らは、出席を見送った。   

>各大使館は、イスラエルがこの式典に招待されなかったためと説明している。   

>長崎市の鈴木史朗市長は8日、イスラエルを招待しなかったことについて、「政治的な理由で招待していないわけではなく、平穏かつ厳粛な雰囲気のもとで式典を円滑に実施したいという理由だ」と記者団に説明。   

>判断に変更はないと述べた。   

>アメリカ、イギリス、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、欧州連合(EU)の大使が7月中旬に長崎市に書簡を送り、イスラエルが式典から除外された場合、「ハイレベルの参加者を派遣することが難しくなる」と伝えていたことが、7日までに明らかになっていた。   

>194589日に長崎に投下された原爆では、爆発そのものとその後の放射線の影響のため、合わせて約74000人が死亡したと考えられている。   

>鈴木市長は会見で、式典を「平穏かつ厳粛な雰囲気のもと、円滑に」実施したいと説明。   

>そのうえで、「不測の事態の発生のリスク」などを考慮した結果、イスラエル大使に招待状を送らなかったと述べた。   

>一方で、各国大使らの決定を残念に思うと話した。   

>市長は、長崎市の説明が十分に理解されていないと感じていると述べ、「引き続き、必要に応じて機会を捉えて粘り強く説明し、理解を求めたいと考えている」とした。   

 

日本の文化には形式があって、内容が無い。形式は現実にあり見ればわかる。内容は非現実であるから見ることができない。考えであるから言語を介して理解しなくてはならない。  

日本人は細工物が得意である。細工に注意が行き届いていることが見ればわかる。   

だが、日本人には考えがない。思考を停止しているからから、内容が無い。それだから、余計に形式に拘ることになる。だから、日本人は形式主義である。何事においても形式へのこだわりを解くことが難しい。言って聞かせてもそのリーズン (理性・理由・適当) は理解不能である。だから日本人の態度はアンリーズナブル (理不尽) となる。      

 

>林芳正官房長官はこの件について、式典に誰を招待するかは長崎市が判断するものであり、「政府としてコメントする立場にない」と述べた。   

>上川陽子外相も、「式典は長崎市主催の行事」だと強調し、「政府としてコメントする立場にはない」と述べている。   

>東京のイギリス大使館の報道官はBBCに対し、ジュリア・ロングボトム駐日イギリス大使が、長崎市での式典に参加しないことを認めた。   

>ロングボトム大使は、イスラエルを招待しないことで、同じく招待されていないロシアやベラルーシと同列に扱い、不幸で誤解を招くことになると述べていた。    

 

そうですね。   

 

>アメリカのラーム・エマニュエル駐日大使も出席しなかった。   

>大使館は声明で、長崎市長はイスラエルを無視することで、この式典を政治的に利用したと指摘した。   

 

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

 

>同大使館の報道官はBBCに対し、エマニュエル大使は代わりに、東京の寺院で行われる平和式典に出席すると述べた。   

>イスラエルのギラッド・コーヘン駐日大使は、長崎市の決定は「世界に誤ったメッセージを送るものだ。   

 

そうですね。しかし、日本人には考えられない内容ですね。    

 

>長崎がもう何年も推進してきた核心的なメッセージから、目をそらさせる」とコメントした。   

>コーヘン大使は6日、広島で行われた平和式典に参加している。   

>鈴木市長によると、長崎市は今年6月にイスラエル大使館に対し、パレスチナ自治区ガザ地区での「即時停戦」を求める書簡を送っている。   

>イスラム組織ハマスが運営するガザ地区の保健省はイスラエルの大規模な軍事作戦により、これまでに4万人近くのパレスチナ人が殺されたと述べている。   

>軍事作戦の発端となった、昨年107日のハマスによるイスラエル襲撃では、1200人が殺害され、251人が人質としてガザ地区に連れ去られた。   

 

独断と専行の民族であっては和平の調停役にはなれないでしょうね。   

日本語の文法には時制 (tense) というものが無い。だから過去・現在・未来 (前世・現世・来世) の世界の有様を文の内容として表すことができない。つまり世界観 (world view) がない。意思 (will) を未来時制の内容として文章で表すこともできない。それで日本人には意思がない。だから加害者意識もない。それで罪の意識もない。だから深刻な反省には至らない。真面目人間に成れない。それで相手から信頼が得られない。’信無くば立たず’ である。この国がひっくり返った時にもわが国には深刻な反省に至る人はいなかった。深刻な反省に至らないので、失敗から貴重な知識を学び取ることができない。ただもう懲り懲りだと思うばかりである。貴重な時間がどんどん失われている。   

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて ) 

戦後の占領軍はWGIP (War Guilt Information Program: 戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画) という奇特な計画をつくった。しかし、日本人に罪悪感の植え付けることには見事に失敗しました。日本人に対する罪悪感の宣伝はカエルの面に小便の状態になったのです。占領軍も日本語文法に従った考え方は変えることができなかった。    

 

 

 

 

 

 

 



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