>日刊スポーツ >山口真由氏が小泉進次郎氏に辛口評価「政策は面白いけれどビジョンみたいな国家観が…」 >日刊スポーツ新聞社によるストーリー・ >6時間・
>元財務官僚で信州大特任教授の山口真由氏は9日、テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」(月~金曜午前8時)に出演し、自民党総裁選(12日告示、27日投開票)への出馬を6日に表明した小泉進次郎元環境相(43)の置かれた立場についてコメントした。
>裏金事件で国民の信頼を失った自民党をめぐっては、国民の人気が高い進次郎氏を新総裁に選んで「選挙の顔」にした上で、次期衆院選を乗り切ろうとしているのではないかとの見方もある。
>一方で、経験不足が懸念される進次郎氏が仮に新総裁に選ばれたとしても、「短命」に終わるのではいかとの指摘もある。
無哲学・能天気では短命に終わるでしょうね。
>山口氏は「私は個人的に本格政権を望む。
>若い人がなろうと女性がなろうと、選挙の顔にしてすぐに辞めさせるみたいなのではなく、次の参院選まで勝って、長期的な政権で日本全体の(問題への)視野を持ってほしい」と、願望を口にした。
>その上で「小泉さんの政策は面白いなと思うけれど、その向こうにビジョンみたいな国家観が見えてこない」と辛口指摘。
そうですね。日本人には世界観 (world view) というものが無い。だから、自国に対する国家観も無い。勢い目先・手先の問題に注意が集中していますね。
>「例えば、ロナルド・レーガンは…」と、俳優出身から米大統領にのぼりつめたレーガン氏に触れ「ほかに賢い大統領はいっぱいいますが、レーガンには圧倒的な楽観主義があった。
>言葉の端々に、アメリカの可能性を信じていた(ことを感じた)。
彼はソ連を崩壊させましたね。
>(国家)ビジョンと人に伝えるコミュニケーション力、そこに自分が本当に信じているものが、乗っかっていた」と振り返り「小泉さんもああいう形になったなら、ある種の可能性も開けるのかなという気もする」と、レーガン氏と比較しながら指摘した。
民 (たみ) 信 (しん) 無 (な) くば立たず。(政治は民衆の信頼無くして成り立つものではない) 論語・顔淵
‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
変わり身 (転身) の早さが日本人の特技ですからね。
マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。
‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。
神は死んだ。もはや我々は上からの指導を必要としない。我々は、自分自身の指導者でなくてはならない。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.
英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。思春期の到来とともに言語能力の発達する頃を待ってこの教育は行われる。英文法の中の時制 (tense) を活用して非現実の内容を文に表現する訓練である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供から大人に変わる人間に哲学を獲得させようとする仕組みである。すると浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも英語の高等教育に力を入れることになる。
日本語は現実の内容だけを表す言語である。哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本式の判断だと、見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実ばかりの言葉 (日本語) を話す人が非現実の内容を語る学習をすると常に失敗する。嘘(きれいごと) ばかりを語っていては学習に力が入らない。だから思考停止になっている。それで日本人は相変わらず無哲学・能天気の民となっている。わが国の有権者はあらかた高等教育の真価を体得していない。だから高等教育の無償化は国民の総意が得られない。わが国は英米流の高等教育の導入に失敗し続けているので、何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する親はいない。
今の地球はアングロ・サクソンの支配体制の下にある。個人の哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。彼等の出世は高等教育の賜物である。
当の日本人の若者はいまもなお国内の序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。これは日本語文法に階称 (hierarchy) がある為である。’上と見るか・下と見るか’ の判断に囚われざるを得ない。 難関出身者が序列社会でどれほど優位に立つているかの話ばかりで持切りである。それで入試地獄が存在する。世界に関する注意力の不足で日本人は井の中の蛙になっている。国際社会で印欧語族の知識人を相手にして苦戦を強いられることになる。
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