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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

日本病

2020-01-17 21:21:54 | 文化
(略)
> 日本病を「11の定義」でまとめています。>簡単にご紹介します。
>その1:> 集団になると愚かになり、問題を無視して何も行動を起こさない。

指導者のいない集団は一方向に力を集中して発揮することはできないですね。

>その2:> 自分が攻撃されないよう、問題の核心や本質をあえて外して上辺のテーマだけを取り沙汰してそこに終始させ、本質の問題から目を逸らさせる。

個人が ‘あるべき姿’ の内容を持っていないから、本質を問題とする人はできないでしょう。

>その3:> 問題の核心をあえてつかず、本質を避けて価値ある挑戦から逃げようとする。

お茶を濁すのですね。ありふれた常套手段ですね。

>その4:> 自分以外の他者や組織に支配され、恐れから保身と現状維持を第一優先し、勇気ある一歩が踏み出せない。

日本人は意思がないから、優柔不断・意志薄弱になる。

>その5:> 楽しいこと、ハッピーなことだけはするが、心地がよくないことや、大切なことはしない。

気分の良くなることの ‘良いとこ取り’ ですね。
                                                                                   
>例えば、自分の弱さや克服すべき課題と向き合うことを徹底的に避けて、自分の真の成長や人生の飛躍となることから集団で逃げる症状。

日本人は無哲学・能天気ですから、真の成長も人生の飛躍も想定外になっているでしょうね。

>その6:> 真剣勝負で生きていないが故に、何事においても真剣に深く思考しない。

そうですね。考えの無い人は浅薄である。考えのある人は思慮のある人である。
現実の内容は頭の外にある。それは見ることができる。見ればわかる。考える必要はない。楽ちんである。
非現実 (考え) の内容は頭の中にある。それは見ることができない。それは、唯の話である。文法に照らし合わせた文章の理解が必要である。全ての考えは文章になる。文章にならないものは、考えではない。
非現実 (考え) の内容は、時制のある文章になる。日本語文法には時制というものがない。だから、日本人の考えは文章にならない。

>その7: > 友情や愛情と仲良しごっこを勘違いしており、個が自立出来ていない人が同じレベルの者同士でグループをつくり、群れたがる。

そうですね。‘烏合の衆’ ですね。

>その8: > 人間的には真面目で、よい人だが、基本それだけ。>飛躍できるチャンスが目の前にせっかく来ても、臆病で小心なために、それをつかめない。>もし〇〇だったらと、ネガティブ要素ばかりを考えて、やらない理由を探してしまう。

そうですね。やらない理由を考えることに専心していますね。もしやることにしたら、心身に負担がかかります。それではやる気が起こらない。

>その9:> 真面目で良い人ですが、精神の気高さ、高潔さや、侍精神が弱くなってしまったために、どんなときでも損得勘定を抜きにして人間として正しい行動をとることが難しくなり、組織や権力の陰に隠れて、寄らば大樹の陰になってしまうさま、またはその症状。

実社会における処世術のエキスパートですね。

>その10: > 内側の自分(等身大の自分)を無視して、自分の都合がいいようにプラス思考や引き寄せの法則などを解釈するので、臭いものにふたをしたままの自己暗示状態、または自己逃避にそういった法則を使っている。

空想・妄想の類に耽るですね。

>その11: >いい人だが、小心で信念と自信がなく、人生の飛躍につながるような魂の成長、改革や変革、覚醒に痛みが伴い、目先の仕事や多忙さ、何らかのものに逃げるのが得意。

無哲学・能天気の日本人には、信念に自信は持てませんね。

(略)
>この本を書かれた坂の上先生は、相当大きな覚悟で執筆されているというのが、ページを繰るごとに実感できます。>おそらく「日本病」にかかっている作家なりライターだったら「ここまではっきりとした言葉で、現代日本を指摘出来ないだろう」という箇所が多々見受けられるからです。>だからこそ、この本を読んでいて「痛い!」と思うことがあっても、現実問題と直視して頂きたい、そう思います。

そうですね。

> 痛みを感じるということは、「治る余地がある」ということなのですから。>少なくとも、「思い当たる節がある」から「痛い」と感じるのでしょう。>そういう方には是非、この本を読んで「日本病を治癒」して頂きたいと思います。

日本病を治癒させる方法論がないですね。精神論だけでは ‘竹やり戦法’ になってしまうのではないでしょうか。

> 病気だって、痛みがないうちは治すことも出来ません。>痛みが生じて初めて、治癒が可能になるからです。>「痛み」を感じることって、とても大切なことなのです

そうですね。だが、日本人には意思がない。だから、被害者意識はあっても加害者意識がない。罪の意識がない。深刻な反省に至らない。どんな過ちも、’過ちは繰り返しませぬから’ 程度の反省になる。何が間違いであったのかは、今もわからない。

>リンクから転用


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いい点 2/2

2020-01-17 09:04:02 | 社会

> [“いい点”を取るためだけの人生]
>「勉強して、いい大学を出て、いい会社に入れば幸せになれる」この日本で今なお信じられている、人生の幸福論の一つだ。

‘いい’ とは何か。それは、序列社会において高い順位を得ることでしょうね。

>お金と余裕とを沢山手に入れるために、お給料が少しでも高い会社に入り、そこで一生懸命働く。>それが人生の黄金ルートであり、揺るがない「幸せのカタチ」。

本当の極楽の姿ですかね。

> 昔から「いい点」をとることだけは得意だった私は、この価値観を信じるのに何の疑問も抱かなかった。

そうでしょうね。日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。’上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断がおろそかにすると、日常的な日本語会話もままならない。そのうえ、日本人の礼儀作法は序列作法になっているので、序列判断 (上下判断) が疎かであっては ‘礼儀正しい日本人’ にもなることもできません。
‘人を見損なってはいけない’ という想いが高じて強迫観念の域にまで達しているので、我々は気疲れのする日常生活をすることになります。我々は、絶えず ’頑張って’ とか、’お疲れ様’ とかお互いに声を掛け合って励まし合っています。

>そうやって親や先生の言うように一生懸命勉強して、結果として偏差値が60を超える、所謂「いい大学」にも入学することが出来た。>しかし、そうした過程を経ていざ大人になってみると、幸せなどどこにもなかった。

あなたの ‘あるべき姿’ は、どのような内容ですか。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. 
人生に関する考えは人生哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。政治に関する考えは政治哲学になる。などなど。

> 「みんな頑張っているから」と、「それが社会だ」と言われて日々馬車馬のように働かされ、しかし与えられるのはスズメの涙ほどの給料……。

日本人には意思がない。受動ばかりで能動がない。被害者意識ばかりで加害者意識がない。だから、恨み節ばかりになる。このような精神状態では未来社会の建設には役立たない。 

>もちろん残業代なんて無し。>時間的な余裕などどこ吹く風で、毎日が家と会社を往復するだけの日々。

求めよ、さらば与えられん。Ask, and it will be given to you. 

>休みの日でさえ、会社から仕事の連絡が来る。>しかし一度でも「辛い」「苦しい」と声を上げれば、たちまち周囲から「情けない」「みんな頑張っているんだから」と批難される。

横並びの序列競争ですね。わが国は、序列社会でできていますからね。我々は序列の枠にはめられて生きている。

>希望をもって進める場所も、逃げられる場所もなく、毎日ただ心をなくした木偶人形みたいに生きる毎日。

序列人間は、序列から外れてはその意味を失いますからね。

> 「いい点」を取り続けた私が手に入れられたのは、そんな人生だった。

そうでしょうね。それ以上でもなければ、それ以下でもない。それが正真正銘の序列人間の人生ですね。

>[最高のエリートも、脱落すれば異端者]
>同世代で、私よりも「いい点」をとっていた人でさえそうだ。>有名なところで言えば、電通に勤めていた高橋まつりさんがその筆頭に挙げられよう。>学歴も、容姿も、就職した会社もトップクラス。

‘トップ・トップ’ で日本人は踊っていますね。

>そんな「人生の黄金ルート」を順風満帆に歩んでいたはずの彼女は、しかし、労働の恐怖に押しつぶされて自らの手でその命を絶ってしまった。> 驚いたのは、そんな彼女に対して >「根性がない」 > 「これだからゆとり世代は」 > 「もっと働いている人もいる。 >この程度で音をあげるなんて情けない」と非難する声がかけられた事だ。 >正直、聞く耳を疑った。

馬車馬の人生は日本人の理想となっていますね。

>自ら死を望んでしまうほど追い詰められた人間にかけられた、心無い言葉、容赦ない死人への鞭打ち。>「思わず笑いが出てしまうほどの恐怖」とは、こういうもののことを言うのだと思った。

わが国のような無哲学・能天気の社会では、人生哲学にも意味はありませんね。

>勉強でも、就活でも、「いい点」を取ろうと誰よりもまじめに頑張ってきた彼女は、しかし、一度そこから脱落したことで「死後なお責められる異端者」となってしまったのだ。

無哲学・能天気の恐ろしさですね。序列万能の世界ですね。

>こうした実情を目の当たりにする中で、私は思う。>この国の人々は、「労働の家畜」にされることに慣れきってしまったのだ、と。

家畜にも社畜にも意思がない。’求めよさらば与えられん’ と教えても、日本人には自己の ‘あるべき姿’ の内容を求める意思がない。

(略)


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いい点 1/2

2020-01-17 02:58:01 | 社会

>330477 「いい点」を取って、命令に従順に従う人生でいいのだろうか。①/2  >松本幸二 ( 60代 事務 )   17/10/17 PM08 【印刷用へ】 >いい学校・いい会社・いい生活と云う幸福論は、元々幻想だった。

そうですね。’いい’ の意味合いが問題ですね。’いい’ は、序列の上位のことでしょうね。

>その実態は、「与えられた環境で、与えられた義務を黙ってこなす力」を身に付けさせる教育だったいう事だ。

そうですね。肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。責任は意思のない義務ですね。
徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)

>其処から脱出する為には、自分達の生きる場は自分達で作っていく意思を持つ事だ。>其処から可能性が開かれる。

そうですね。意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way.  

> 関連する記事を紹介する。> 夜行月報 > 【仕事と人生】「会社の奴隷」を抜けだしたければ、「学歴」より先に「やりたいこと」を手に入れろ >リンク >(引用開始)  >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
> 今、労働はかつてない速度で私たちを殺しにかかってきている。>様々な分野で技術が発達し、モノが増え、経済的に豊かになったのにも関わらず、私たちの仕事は一向に楽になる気配を見せない。

そうですね。’はたらけど はたらけど なおわが暮らし 楽にならざり 、、、、、’ ですね。

> 外国で日本の「過労死」が報じられたり、『ちょっと今から仕事やめてくる 』や『「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ) 』といった労働に関する書籍が注目を集めることからも、人々がどれだけ労働に疲弊しているかが分かる。

皆が過当競争で人生に疲れていますね。’頑張って’ とか ‘お疲れ様’ と言って互いに励まし合っていますね。

>それでも、人々は日々うなだれながら街を歩き、毎朝青白い顔をして「会社に行かなきゃ……」と駅までの道を這いずるように進むのだ。> しかし、そんな彼らに「辛いなら仕事辞めたら?」と助言すると、「そんなことできるわけないじゃないか!」と声を大にして反論される。>この矛盾じみた彼らの行動も、しかしよく考えれば当然のものだということが分かる。

全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。矛盾を含まない文章は、すべて正しい考えを表している。考えの内容は人により違っている。だから、正解は一つではない。幾らでもある。
矛盾を含む文章も、その矛盾を取り除けば正しい考えになる。そのためには対話・議論が役に立つ。だから、対話・議論を盛んにしよう。

>なぜなら、私たちは「そう」思うように、この日本で「労働のため家畜」として育てられてきたのだから。

そうですね。社畜・家畜には意思がない。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。ところが、日本人には意思がない。仕方がないから、日本人は無為無策でいる。
意思は未来時制の文章内容である。だが、日本語の文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。
' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず'  山本五十六 (やまもと いそろく)  


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