> 教団の教祖とか、一国の独裁者といったような特別な立場の人でなくても、普通のお母さんや普通の先生でも、子どもを思い通りに支配しようとする人は、子どもを洗脳しようとするのです。
>そして、自分の頭で考えることや、自分の感覚で感じることを許さず、お母さんや先生の言うことに従うことだけを求めるのです。
そうですね。考えは個人個人により違いますね。しかし、思考停止の状態では人々は没個性になりますね。
>そのような人は、子どもが自分の価値観とは異なることを言ったり、したりすると、子どもの言葉には耳を傾けずに、一方的に「反抗的だ」「悪い子だ」と非難、否定します。
そうですね。信心のようなものですね。折伏あるのみですね。
>そして、叱ったり、怒鳴ったり、時には叩いたりもします。
暴力沙汰ですね。家庭内で悲劇が繰り返されますね。
>また、自分にとって都合の良いことをした時にはすごく褒め、そうでない時には無視することもあります。
論功行賞ですね。
>そうやって、大人の都合の良いように支配しようとするのです。
それは懐柔策ですね。
>それを繰り返されていると、子どもはお母さんや先生の顔色を見て行動したり、お母さんや先生に褒めてもらうために積極的に行動するようになります。
空気の読める人間になるのですね。立派な日本人になるのですね。
> 洗脳の成功です。>そう見ていくと、残念なことに、日本の教育の現状は「教育」というより、「洗脳」に近いものです。
そうですね。
> 日本の教育現場では、「なぜ?」「どうして?」は受け入れてもらえません。
疑問には、答えを出す必要があります。それには考える必要が生じます。考える人の出現になります。教養ある人間の出現になります。
>それを言えば、反抗と受け取られてしまいます。
思考停止の状態への反抗ですね。無哲学・能天気の国への反抗ですね。
>そして常に「お上が決めた正解」を覚えるように求められるだけで、自分の頭で考えることは求められていません。
そうですね。現実には、唯一の正解が存在しますね。
>それでもそれを「洗脳」と感じる人が少ないのは、今のところ覚えさせようとしている内容が勉強に限られているからです。>でも、その方法は洗脳と同じ方法を使っています。>それは戦争中と同じ方法です。
そうですね。方法は皇民化教育と同じですね。 覚えさせようとしている内容はグローバル (全地球的) でもなければ、ユニバーサル (普遍的) でもない。
> 戦争中と今とでは「教える内容」は変わりましたが、「教え方」は変わっていないのです。
そうですね。暗記中心ですね。暗記内容を変えての序列競争ですね。
>だから自分の頭で考えることが困難な人が増えてきてしまっているのです。
そうですね。これでは進歩がありませんね。
<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
>でも、方法が変わっていないのですから、為政者の判断次第では簡単にその内容を戦争中に戻すことも出来ます。>その時、「教える内容」に反対してもあまり意味がないのです。
そうですね。為政者の恣意により変えられますね。我々には、自主・独立の手段が必要ですね。
> 「何を教えるか」も大事ですが、それ以上に「どう教えるのか」ということがもっと重要な問題なのです。>でも、その議論は聞こえてきません。
そうですね。
日本には、 ‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)
'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)
>もっと根本的なところから議論を始めないと、同じ歴史が繰り返されるだけです。
そうですね。この道はいつか来た道 ああそうだよ、、、、 根本的な教育改革が必要です。
> (引用おわり)
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