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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

現代の学校教育 2/2

2020-01-28 13:50:40 | 教育

> 教団の教祖とか、一国の独裁者といったような特別な立場の人でなくても、普通のお母さんや普通の先生でも、子どもを思い通りに支配しようとする人は、子どもを洗脳しようとするのです。
>そして、自分の頭で考えることや、自分の感覚で感じることを許さず、お母さんや先生の言うことに従うことだけを求めるのです。

そうですね。考えは個人個人により違いますね。しかし、思考停止の状態では人々は没個性になりますね。

>そのような人は、子どもが自分の価値観とは異なることを言ったり、したりすると、子どもの言葉には耳を傾けずに、一方的に「反抗的だ」「悪い子だ」と非難、否定します。

そうですね。信心のようなものですね。折伏あるのみですね。

>そして、叱ったり、怒鳴ったり、時には叩いたりもします。

暴力沙汰ですね。家庭内で悲劇が繰り返されますね。                                                                                                                                                    

>また、自分にとって都合の良いことをした時にはすごく褒め、そうでない時には無視することもあります。

論功行賞ですね。

>そうやって、大人の都合の良いように支配しようとするのです。

それは懐柔策ですね。

>それを繰り返されていると、子どもはお母さんや先生の顔色を見て行動したり、お母さんや先生に褒めてもらうために積極的に行動するようになります。

空気の読める人間になるのですね。立派な日本人になるのですね。

> 洗脳の成功です。>そう見ていくと、残念なことに、日本の教育の現状は「教育」というより、「洗脳」に近いものです。

そうですね。

> 日本の教育現場では、「なぜ?」「どうして?」は受け入れてもらえません。

疑問には、答えを出す必要があります。それには考える必要が生じます。考える人の出現になります。教養ある人間の出現になります。

>それを言えば、反抗と受け取られてしまいます。

思考停止の状態への反抗ですね。無哲学・能天気の国への反抗ですね。

>そして常に「お上が決めた正解」を覚えるように求められるだけで、自分の頭で考えることは求められていません。

そうですね。現実には、唯一の正解が存在しますね。

>それでもそれを「洗脳」と感じる人が少ないのは、今のところ覚えさせようとしている内容が勉強に限られているからです。>でも、その方法は洗脳と同じ方法を使っています。>それは戦争中と同じ方法です。

そうですね。方法は皇民化教育と同じですね。 覚えさせようとしている内容はグローバル (全地球的) でもなければ、ユニバーサル (普遍的) でもない。

> 戦争中と今とでは「教える内容」は変わりましたが、「教え方」は変わっていないのです。

そうですね。暗記中心ですね。暗記内容を変えての序列競争ですね。

>だから自分の頭で考えることが困難な人が増えてきてしまっているのです。

そうですね。これでは進歩がありませんね。
 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り) 

>でも、方法が変わっていないのですから、為政者の判断次第では簡単にその内容を戦争中に戻すことも出来ます。>その時、「教える内容」に反対してもあまり意味がないのです。

そうですね。為政者の恣意により変えられますね。我々には、自主・独立の手段が必要ですね。

> 「何を教えるか」も大事ですが、それ以上に「どう教えるのか」ということがもっと重要な問題なのです。>でも、その議論は聞こえてきません。 

そうですね。
日本には、 ‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク) 
 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。'  (カレル・ヴァン・ウォルフレン)

>もっと根本的なところから議論を始めないと、同じ歴史が繰り返されるだけです。

そうですね。この道はいつか来た道 ああそうだよ、、、、 根本的な教育改革が必要です。

> (引用おわり)


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現代の学校教育 1/2

2020-01-28 13:27:27 | 社会

>匿名希望             17/01/30 PM01 【印刷用へ】  >現代の学校教育、そして学校教育を受けてきた親たちが抱える子育ての弊害について、歴史を踏まえた平易な言葉で発信されている方が増えてきています。 > 以下、(リンク)より紹介させて頂きます。> * * *
> 世に言う「洗脳」と、子どもの育ちに必要な「教育」の違いが分かりますか。

分かりますけど、その説明は難しいですね。

>その一番大きな違いは、「洗脳」では疑うことが許されないのに対して、「教育」では疑うことを大切にしていることです。

そうですね。洗脳のモットーは、’ゆめゆめ疑うことなかれ’ ですね。疑うことの命題は、’我らは何処からやってきたのか’、’我らは何者であるか’、’我らは何処に向かうのか’ などが知られていますね。

>つまり、「そんなの当たり前だろ」「そんなの常識だよ」という態度を育てるのが「洗脳」で、「なぜ?」「どうして?」「不思議だね」を大切にするのが「教育」だということです。

そうですね。現実の内容は頭の外にある。それは見ることができる。見ればわかる。答えはただ一つ。だから、考える必要は無い。楽ちんである。
非現実 (考え) の内容は頭の中にある。それは見ることができない。ただの話である。全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。
考えを知るのにはその文章を文法に従って理解する必要があります。これは厄介な作業であります。だから、日本人は通常理解をしない。その代わりに忖度 (推察) を使います。 
忖度と理解は似て非なるものである。だから要注意である。忖度は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。両者に食い違いがあっても議論にならない。かくして忖度の主は孤立する。
忖度の主に現実直視になっていないことを指摘すると、’だって私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか’ と言って反発を示す。だから議論にならない。かくして日本人の無理解は続く。 

>それはまた、誰かが決めたことを覚え込ませ、信じ込ませるのが「洗脳」で、自分の頭で考え、自分の感覚で感じ、実際の体験や活動を通して自分の力で学ぶ力を育てるのが「教育」だということです。

そうですね。

> 「洗脳」では知識を覚え、それを信じればそこで終わりですが、「教育」では、知識は自分の頭で考えるためのきっかけや道具に過ぎないのです。

そうですね。

> 一度洗脳されるとそれがなかなか抜けないのは、洗脳されると「なぜ?」「どうして?」という感覚を失い、自分の考えていることを疑うことが出来なくなってしまうからです。>そのため、他の人にも自分が信じていることをそのまま押しつけようとします。

そうですね。自己の暗記力に絶大な信頼を寄せているからですね。

>また、洗脳された人間は、マニュアルや誰かの指示がないと動くことが出来ません。

そうですね。
  ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず'  山本五十六 (やまもと いそろく)                                                                                                                                                                            

> 自分の頭で考えることが出来ないからです。

日本人には理解は難しく忖度に頼りますから現実離れのした妄想・空想になります。戦時中は、’日本は必ず勝つ’ などと力説していました。

>でも、上の方から指示を与えられると、その内容の是非の判断をせずに、素直に従います。

まるでロボットのようなものですね。

> 極端な場合は、「敵を殺せ」とか「サリンを撒け」と言われたら、「分かりました」とそのまま行動に移すのです。>そして、罪悪感を感じません。

そうですね。日本人には意思がない。だから、受動があって能動がない。被害者意識ばかりで加害者意識が無い。だから、罪の意識もない。意思の無い人には責任もない。とかくこの世は無責任。この国がひっくり返った時にも責任者は出なかった。

> 自分の頭で考えず、自分の意識で判断しない人は罪悪感も感じないのです。 >それはロボットと同じです。 

人間性に欠けていますね。

>またそのような人は言われたことしかしないし、出来ません。> 自由に作ったり、描いたり、歌ったり、踊ったりというような、創造的で人間的な「趣味」を楽しむことも出来ません。

非現実 (考え) の内容を現実の内容に変換できれば、その人は創造力を発揮したことになります。
現実の内容を現実の中で再現できれば、その人は模倣力を使ったことになる。模倣力も有力な手段となります。
特亜三国 (日本・中国・韓国) の人々は、模倣力に優れていて、創造力の発揮が苦手であります。
模倣力の競争には参入者が多く、競争が過酷なものになりがちです。

> 人は洗脳化されると、人間性を失ってしまうからです。

人間性を失った競争を強いられますね。

>だから怖いのですが、だから、支配欲の強い人ほどこの方法を使いたがるのです。

そうですね。敗戦後シベリヤ送りで筋金入りの人間が大量につくられましたね。



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