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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

トランプ国賓訪日

2020-01-03 21:34:27 | 社会

>  今度のトランプ大統領の訪日の本当の目的は一体何だったのだろう。>  その事を、最後の最後で見事に教えてくれた。>  日本を離れる直前にトランプ大統領が訪れた場所はどこか。 >  それは、やがて空母に改修される自衛隊の護衛艦「かが」の艦上であり、米軍強襲揚陸艦「ワスプ」の艦上である。 >  いずれも安倍首相を従えている。

二人は仲良しである証拠ですね。

>  そして、そこでトランプ大統領は自衛隊や米兵の前でこう演説をぶった。 >  いまや日米同盟は最強であり、米国からのF35機の大量購入は、日米の安全保障をさらに強めるものだと。

本当にそうでしょうね。

>  安倍首相を脇に立たせてそう演説したトランプ大統領の姿を見て、これこそが今度のトランプ国賓訪日の隠された本当の目的だったと確信した。>  もはや日本は引き返す事が出来ないほど米軍に支配されようとしている。

そうですね。追従外交は安全な外交と考えられているのでしょうね。なにしろ自己判断に自信がなものですから。

>  日本の自衛隊は米軍の指揮下に置かれ、自衛隊は使いこなせん高額な装備をどんどんと米国に買わされ、そして末永く米国と中国の覇権争いの最先端に立たされることになる。

日本人には意思がない。だから、能動が無くて受動ばかりになる。物事は、’受け身の体験’ としてしか語ることができない。
意思は未来時制の文章内容である。ところが、日本語の文法には、時制というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制はなく、日本人には意思かない。

>  そして、誰一人、その深刻さに気づくことなく、日米同盟強化の方向に流されていく。

そうですね。それが自然の流れですね。
日本人には、自己の ‘あるべき姿’ (things as they should be) の内容がない。つまり、無哲学・能天気である。
だから、自己の哲学 (考え) の内容を基準にとって、現実の内容を批判することができない。つまり、批判精神 (critical thinking) がない。だから、時流に流される。 

>  いや、知っていても、もうどうにもならないと、あきらめているのだ。>  事態は深刻である。

そうですね。無為無策ですね。諦めが良い性格ですね。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思の無い日本人は仕方がない。だから無為無策でいる。

>  はたして国民はどこまでそのことに気づいているだろう。

国民は無哲学・能天気ですから気づいていないでしょうね。
我々日本人は日本語と英語を良く学び、その違いを深く理解すべきですね。そして、意思の表明法を獲得すべきですね。

>  誰かがその流れを変えなくてはいけない。

そうですね。’他力本願・神頼み’ では流れをかえることはできないでしょうね。意思獲得の具体的な方策を示すことのできる人物を見つけ出すことが必要ですね。

>  いまこそオリーブの木を成功させてこの国の政治の中に、憲法9条を国是とすべきだと訴える政党、政治家を輩出しなければいけないのである(了)

そうですね。対米自立には、まず個人の自立が必要ですね。意思の無い個人には、個人の自立もありませんね。意思の無い政治家には、対米自立を唱える力はありませんね。有能な政治家を輩出するには、意思の表明法を指導する教育者と教育機関が必要ですね。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調している。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」



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フランシスコ教皇

2020-01-03 00:23:17 | 文化

> 以下【フランシスコ教皇のスピーチ内容(意訳)】
> 人やコミュニティ、そして全社会が、表面上は発展していたとしても、内側では、疲弊し、本物の命や生きる力を失い、中身の空っぽな人形のようになっている。

そうですね。

>(中略)
>●「何のために生きるのか」ではなく、「誰のために生きるのか」
> 自分たちに聞いてみよう。>「私にとって、最悪な貧困とは何か?」

それは、友達がいない事でしょう。

>「最もいい貧困とは何か?」

上にも下にも人間のつながりがある事。

>もし、私たちが正直であるならば、わかるはずだ。>最悪な貧困とは孤独であり、愛されていないという感覚であると。

そうですね。生まれた時から、愛は誰しも欲しいものですね。愛が無ければ死を免れないことも多い。  

>この精神的貧困に立ち向かうのは、私たちに求められる責務である。

そうですね。たいていの日本人は終生 ‘絆’ を持っていますね。

>そして、そこに、若い人が果たすべき役割がある。>私たちの選択肢、優先順位についての考え方を変えていく必要があるからだ。>それはつまり、私たちにとって最も大切なことは、何を持っているか、何を得られるか、ではなく、誰と(人生を)共有できるかということなのだということに気づくことだ。

そうですね。日本人は序列人間ですから、序列の仲間 (うちの者) と人生を最後まで共有していますね。

>「何のために生きるのか」ではなく、「誰のために生きるのか」にフォーカスすべきなのだ。

そうかんがえると、天皇を頂点とした人間序列 (御国) の為に命を捧げることになりますね。序列国家が無ければ、その絆も存在しません。

>自分に問いなさい。「私は何のために生きるのか」ではなく、「誰のために生きるのか」「私は誰と人生を共有するのか」を。

人間序列のため生きる。日本人にはこれしかない。

>モノも重要だが、人(との関係性)は欠かせない。

我々の社会は、義理 (序列) と人情 (恣意) の世界ですね。

>人なしでは私たちは人間らしさを失い、顔を失い、名前を失う。

そうですね。日本は人間序列の国です。人々は面目を失ったり、序列順位を下げることを絶えず恐れています。これは恥の問題です。

>私たちは単なる物体と化してしまう。>私たちは物体ではない。>人なのだ。

そうですね。残念ながら、我々日本人は精神主義に陥る傾向がありますね。物質よりも精神 (恣意) を優先する傾向がありますね。

>シラ書*は言う。 >「信頼できる友人は堅固なシェルター(避難所)である。 >見つけた人は宝を見つけたようなものである」。 >だから「私は誰のために生きるのか」を問い続けなければならないのだ。(中略)> *カトリック教会において旧約聖書にあたる書物

日本人は、御国の為に生きるでしょうね。これは生まれた時から定められていますね。他にシェルターを見つけることはできないでしょう。

(略)

>●教皇が「世界一他人に冷たい国」で鳴らした警鐘
> 翻って、日本は「国は貧しい人々の面倒を見るべき」と考える人、ボランティアや寄付をする人、人助けをする人の比率が、他国に比べて極端に少ない「世界一、他人に冷たい国」である)。

‘冷たい国’ とは残念な見方ですね。日本人には意思がない。意思の無いボランティア (志願者) は成り立ちにくいですね。日本人活動は、序列による協力が基本になっていますからね。個人の意思を基礎とした行動には移りにくいですね。

> 集団主義のくびきからの逃避願望が強く、一人がかっこいい、他人のことなど構っていられないという極端な個人主義の傾向が強まる中、人とのつながり、人への思いやり、優しさの価値を説くことなどダサい、ととらえる向きもあるように感じる。

そうですね。序列人間は堅苦しいぐる生活を強いられていますからね。早く自由になりたいですね。

>そうした空気感の下で、日本の孤独大国化は一気に進んでいる。

そうですね。何しろ日本人は無哲学・能天気ですからね。対外的な自己主張は難しいですね。

>世界の多くの国々で孤独は「現代の伝染病」として、喫緊の、そして最も重篤な社会問題として取りざたされ、政府や企業など社会が一体になって、対策に乗り出している。

そうですね。グローバル (全地球) な、ユニバーサル (普遍的) な考えに基づいていますね。

>しかし、日本では「孤独はかっこいい」「人は一人で耐えるもの」「孤独は自己責任」といった論調が非常に根強く、結果的に、引きこもりや高齢者の孤立、社会的に孤立者による犯罪、孤独死など、「孤独」に起因する多くの社会事象の解決に手が付けられていない状況だ。

日本人は、個人主義 (individualism) を学びたいとあがいていますね。それに成功しないと、’あるべき姿’ の発想も順調には進まないでしょうね。

(略)


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