人生ブンダバー

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『渡邉恒雄回顧録』(中公文庫)

2020-07-21 05:00:00 | 読書

もはや4か月前になるかしらん、「BS1スペシャル『独占告白 渡
辺恒雄~戦後政治はこうして作られた 昭和編』」という記事を
アップした(→こちら)。しばらくの間、それへのアクセス数が
多かった。

「昭和編」があるからには「平成編」があるのかしらんと思いき
や、今のところ、放送されていない。


それをきっかけに御厨貴監修・聞き手、伊藤隆+飯尾潤聞き手『渡
邉恒雄回顧録』(中公文庫、H19[2007]/1)をamazonで買った。
--これは、単行本では平成12(2000)年1月に発売されている。

渡邉氏の履歴(一部)
昭和14(1939)開成中学(現・開成高校)入学
昭和18(1942)東京高校(東大教育学部附属中等教育学校)入学
昭和20(1945)東京帝大文学部哲学科入学
昭和20/12 日本共産党入党申込み
昭和22/12 同党へ離党届
昭和25(1950)東京大学新聞研究所修了


目次
まえがき(渡邉恒雄)に曰く、
 この回顧録を自分で書けば、おのずからこれと異なったものになったであろう。
 自分では触れたくないこと、従って書くはずのなかったことが、三先生のイン
 タビューの魔術によって、いつの間にか活字になってしまった。

1.恋と哲学と共産党
2.新聞記者への道
3.保守合同と岸政権の裏側
4.六十年安保と池田政権の核心
5.ワシントン支局長時代と角福戦争の内幕
6.田中角栄とその時代
7.盟友中曽根康弘
8.平成の九宰相
終章 我が実践的ジャーナリズム論
解説(御厨貴)


私にはマネろといわれてもマネられないが、「当時の話」が(--
ご本人は意識していないだろう。)いささか講談調におもしろく、
具体的に話される。

どのページをめくっても、とくに戦時中の話など、いったん読み出
すと止まらない。

渡邉氏は、「地頭」がよく、一種の型破りの行動派であり、これま
た誰にでもマネができるわけではないだろう。

軍国主義下の東京高校(以下は私によるまとめ)
 旧制高校を夢見て、入ってびっくりした。東京高校の校長はF(本書では実
 名)という哲学者だった。しかし、その校長が「東京高校は陸軍幼年学校、
 士官学校である」と言って、まったくの軍国主義者なんだ。
 あのころはメチャメチャやっていた。軍国主義者や学校体制派の級長などを
 校庭の裏に引っ張り出して、ドスで脅かして、不良で、悪いことばっかりし
 ていた。

勤労動員中にきた召集令状
 勤労動員先は新潟県岩船郡。勤労動員中の学生に次々と召集令状がくるんで
 す。今でも覚えているが、東大の独文の友人に召集令状が来た時、震えなが
 ら握り飯を食って、赤紙を見せるんだ。それで僕は「おい、戦場にも詩があ
 るからな」と言ったんだ。ポエムの意味で。そうしたら彼はデス(死)の意
 味にとった。それで「えっ」と言って、持っていたお握りをポタっと落とし
 たんだ。

幹部候補生試験
 幹部候補生の試験を受けろという命令が来た。幹部候補生になったら、相当
 しごかれると聞いていたので、「軍の根幹は兵であります。私は将校になり
 たくありません」とか何とか言っていたが、結局、口頭試問を受けることに。

 「おお、お前は東京帝国大学哲学科か。そうか。それで軍人勅諭を暗記して
 おるか」

 「暗記しております」
 それで通ると思ったんだ。軍人勅諭なんて馬鹿らしいものは暗記していない
 し、読みもしていない。そうしたら「言ってみろ」と来た。言えないわな、
 全然。試験には落ちたと思うけど、そのうち戦争が終わっちゃった。



第3章以降は、渡邉氏から見た「戦後政治史」にもなっている。
「裏話」もここまで言っていいのかしらんというほど出てくる。
すべては「時効」なのかもしれない。

本書が出版されてから20年。渡邉氏はいまだ健在だ。



『渡邉恒雄回顧録』(中公文庫)★×5


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