(2005年11月23日 名演小劇場1 ヴィスタ SRD)
酷い別れかたをした一組のカップルが辿ってきた5つのエピソードを、別れから出会いまでを逆の時系列で描いたフランソワ・オゾン監督・脚本の実験的な作品。
とはいえ、同じ手を用いた作品はギャスパー・ノエの「アレックス」、サスペンスではクリストファー・ノーランの「メメント」があったので、手法としては新味はないですが・・・。
たいてい、こういう手法を使うとなると伏線があちこちに張り巡らされて、最後に(最初に?)決定的な原因(この作品では離婚へ至った原因)が明らかになるものですが、この作品には、それがない。あったとしても、カタルシスをもって描こうとしない。
その代わり、場面場面の最後に効果的な音楽を付けてその時点での人生最高の瞬間を見せつける。
だから、原因を探りたくてたまらない観客にとってはヤキモキさせられることになる。
各エピソードが終わってこっちが見たいのは、その後なんだよ~っていう気持ちで。
でも、そのヤキモキってのは、通常、異性もしくは同性と付き合っていて感じるちょっとした違和感だったりズレだったりするのではないでしょうか。
あいつ何で最近冷たいのだろう?とか、やけに気分が良さそうだけど、何かあったのだろうか?とか。
オゾンの作品らしく、男女中立の立場で描いているので、観ている人は時間の経過につれて冷静に見ていられるようになる。また、現在から過去までの彼女と彼の変化は相当なものだと気付かされる。男の方は段々といとおしくなるし、彼女がウブで可愛くなっていくのも面白い。そして何と言っても、2人の間を流れる空気の変化が上手く捉えられていると思った。
で、結論は、と言えば、
まあ、かくも人間の行動、特に男女の間というのは分からないものです。それだから人間って面白いんだけどね。
酷い別れかたをした一組のカップルが辿ってきた5つのエピソードを、別れから出会いまでを逆の時系列で描いたフランソワ・オゾン監督・脚本の実験的な作品。
とはいえ、同じ手を用いた作品はギャスパー・ノエの「アレックス」、サスペンスではクリストファー・ノーランの「メメント」があったので、手法としては新味はないですが・・・。
たいてい、こういう手法を使うとなると伏線があちこちに張り巡らされて、最後に(最初に?)決定的な原因(この作品では離婚へ至った原因)が明らかになるものですが、この作品には、それがない。あったとしても、カタルシスをもって描こうとしない。
その代わり、場面場面の最後に効果的な音楽を付けてその時点での人生最高の瞬間を見せつける。
だから、原因を探りたくてたまらない観客にとってはヤキモキさせられることになる。
各エピソードが終わってこっちが見たいのは、その後なんだよ~っていう気持ちで。
でも、そのヤキモキってのは、通常、異性もしくは同性と付き合っていて感じるちょっとした違和感だったりズレだったりするのではないでしょうか。
あいつ何で最近冷たいのだろう?とか、やけに気分が良さそうだけど、何かあったのだろうか?とか。
オゾンの作品らしく、男女中立の立場で描いているので、観ている人は時間の経過につれて冷静に見ていられるようになる。また、現在から過去までの彼女と彼の変化は相当なものだと気付かされる。男の方は段々といとおしくなるし、彼女がウブで可愛くなっていくのも面白い。そして何と言っても、2人の間を流れる空気の変化が上手く捉えられていると思った。
で、結論は、と言えば、
まあ、かくも人間の行動、特に男女の間というのは分からないものです。それだから人間って面白いんだけどね。