私の弱点はこんちゃんだ。
弱点というか、急所というか、こんちゃんに何か起こると、耐えられなくなってしまう。
もちろんオレコも同様だけど、こんちゃんの場合はまたもう少し痛みが違って、全面的につらいのだ。
24というドラマで、無敵のジャック・バウアーが、娘のキムに危険が及ぶと、
国家的使命を袖にしてまで、彼女を守ろうとするので、親であるジャックは仕方ないにしろ、
またキムが余計なことをして、またもうあのバカ娘が(いやだって本当にジャックの邪魔ばかりするんだって)、
と、よく夫がキム批判をしていたんだけれど、こんちゃんはいろんな意味で、いやそのキムとはぜんぜん違うけど、
こんちゃんとキムを重ね合わせると、私はジャックの気持ちがよく理解できるのである。
いやオレコだってそうなんだけど。
でもオレコのことは、自分のことのように感じるので、我慢できる部分が強い。
私が我慢すれば、オレコだって乗り切るに違いない、と、信じているというのかなあ。
オレコが若いせいもあるかもしれないし。
オレコとの4年間で培われた信頼関係があってのことなのかもしれない。
なんていうんですかね。
オレコは、実際産んではいないけれども、実の娘なところがある。
でもこんちゃんは預かりもの。いやオレコだってそうなんですよ。
なんていうのかな、こんちゃんは。私にとって、孫?・・・いや違う。
うーん。赤ちゃん。感覚的には、赤ちゃんに近いかもしれない。
「私の犬」とか「うちの犬」とか飼い主はいいがちですけど、いのちは預かりものなんだな、って思い知るんです。
ひとたび危機が迫るとね。
昨日はそんな危機が迫った日でした。
まだまだそこから脱してはいないんだけど、
いくつか明るい兆しが見えてきたような気もしています。
こんちゃん。
このブログで「元気で~す」なんて調子にのって自慢したのがいけなかったのが、
そのあとすぐ具合が悪くなり、昨日はもうだめかもしれない、というような状態になって、
検査したら、ありえないほど肝臓がダメージを受けていて、急性膵炎とおぼしき症状が出ていたのです。
どのくらい危険だったかというと、手術中だった院長先生が、手術服のまま飛び出してきて、
手術服とおなじくらいまっさおな顔で診察室にかけつけてきたくらいです。
もう23年のつきあいになりますが、この先生がこんな慌てるのは見たことがない。
そして腕の中でぐったりしているこんちゃん。わたし、覚悟しました。
麻酔のせいだろうか、いやそんなはずは、と、先生たちがうろたえるなか、
もちろん医学的な根拠はまったくないのだけれど、わたしはいいました。
先生たちがどれだけこの子の体のことを考えて、麻酔と手術に備えてくれたか私は知っています。
だからきっとそのせいではないと思います。それは確信しています。
先生たちはほっとしているけれど、医師なら当然なのだろうけれど、非常にナーバスになっていた。
だって手術前の検査では、腎臓以外のすべての臓器は合格だったのだ。
そして今はその腎臓も健康的な数値に戻ってきている。
それが今日になって生きてるのが不思議なくらいの数値(肝臓と膵臓とコレステロール)になった。
このときは心当たりがまったくなく、原因がわからず、自分のしたことがいけなかったのか、
やっぱり魁皇(もとのかかりつけ)のいうことが正しかったのか(こんちゃんに対する麻酔反対)、
それとも、神様なのか、もとの飼い主なのかが、この子を連れて行ってしまうのかもしれない、
手の届かないところに、ということが、迫りつつあり、それが悲しくて悲しくて。
あと1週間でうちにきて1年だったのに。御祝いしようって言っていたのに。
病院にいる間は気持ちが張っていたのだが、ひとりになると心が沈んだ。
自分のしてきた選択、ひとつひとつが、間違いの連続だったのであるまいか、と。
こんちゃんはわたしの太陽だ。ひまわりだ。志ん生だ。
24時間点滴が必要なので入院することになり、同意書にまたサインをして、
今にもネロとパトラッシュをつれていった天使がおりてきそうな不安の中、
わたしの太陽を、ひまわりを、志ん生を、先生に託してきた。
一歩外へ出ると、足元で茶色のいもむしがぐったりしている。
(こんちゃんのしっぽみたいだな)
そう思うと、一瞬笑いそうになり、そのあと真剣に、この子を助けたら(このままここにいたら踏みつぶされる)、
こんちゃんが元気で戻ってくる気がして、受付でもらってきた年末年始の営業時間の小さな用紙にいもむしを乗っけると、
道路をわたって向こう側の駐車場へ走り、鳥たちにねらわれないような、食べやすそうなやわらなか緑の葉のしげる場所へ移動した。
元気でがんばってよ、そしてこんちゃんを助けてね、そのあと無性に悲しくなった。
車に乗り込み、夫に電話をしたら、おなかが急に痛くなった。
なんとか会社まで運転し、会社についたら運転を変わってもらった。
場所を変えようということになり、矢次ばやの質問に答えようとすると、おなかがとても痛くなったので待ってもらった。
お店に入り、順序立てて報告したとき、こんちゃんのしっぽみたいないもむしのことを思いだしたらなぜか笑ってしまい、
急に笑った理由を聞かれて説明しているうちになんだか胸が苦しくなって、涙がぽろぽろ落ちてきた。
後悔ばかりが胸に押し寄せ、手から砂が零れ落ちるような、そんな不安でまっくらな気持ちになっていた。
夕方の面会が待ちきれなかった。それでもいつまた電話がなるかわからないから、スマホばかり気にしていた。
・・・続きはまた明日。