さて前のページで示した様に「レプトンの異常磁気モーメントを測定する」為には
1、一様な磁場Bの中に荷電粒子を打ち込むこと。
2、その荷電粒子がサイクロトロン運動をする周波数ωcを決める事=外部磁場Bの値を測定する事。
3、荷電粒子が持つスピンが磁場Bに応じて歳差運動する周波数ωsを測定する事。
以上の事が出来れば
ωa=ωs-ωc
a(異常磁気モーメント)=ωa/ωc
でa(異常磁気モーメント)を実験的に決める事が出来ます。
それで電子についてはほぼこのストーリーでaeを決める事が出来ている様です。
しかしながらミュー粒子については
1、ミュー粒子が寿命をもつ事
2、ミュー粒子のωs:スピン振動数はこのミュー粒子の崩壊現象を使って測定している事
3、従って測定には多くのミュー粒子を集団として準備して磁場Bの中に打ち込むことが必要となる事。
と言う様に「電子の異常磁気モーメント測定」よりも複雑で大掛かりな準備が必要になっています。
でセルンにいたベルさんが「セルンの装置でミュー粒子の異常磁気モーメントを測定する事が出来るのでは」と思いついて始めたのが「ミュー粒子についての異常磁気モーメント測定の始まり」となりました。(1961~1976)
その様にして始まったセルンでのやり方がその後に続いたBNL~フェルミ研で行われてきた実験に精度向上を伴いながら引き継がれていったのでした。
でその「セルンメソッド」なんですが
1、「準備したミュー粒子の集団の特性があまり良くない」のです。
理想的には「同じ速度と同じ方向性をもった、つまりはレーザービームの様なコヒーレントの高いミュー粒子集団が欲しい」のですがなかなかそうはできなかった。
それでいろいろと工夫が必要になっているのです。
そのあたりの事は「ミュオン異常磁気能率g–2の超精密測定」: https://www.jstage.jst.go.jp/article/jccj/19/3/19_2020-0025/_pdf :の「4 :g − 2の精密測定」で次のように述べられています。
『BNL実験では,AGS (the Alternating Gradient Synchrotron)から取出された陽子ビームを 原子核標的に打ち込んでパイオンを生成し,そのパイオン崩壊で生成したミュオンをビームとして用いたため,非常にエミッタンス(注1)が大きいビームであった.
そこで,このミュオンを収束させて蓄積しておくために収束電場が必要となった.この収束電場による式(2)第2項の影響を測定が受けないようにするために,魔法運動量で測定を行なったのである.
蓄積リングとして一体型の超伝導コイルを用いることで安定かつ一様な磁場を実現し,直径14 m蓄積領域の平均磁場を0.17 ppmの精度で測定した.現在,BNLからFermilabへ蓄積磁石を移設し,さらにデータを取得する実験 [16] が始まっている.2020年の時点でBNL先行実験を超えるデータの取得を終えており,近々最初の結果が公開される予定である.』
でこの「出来の悪いミュー粒子ビームを基本的な所から改善して実験しよう」というのが「J-PARCで準備中の追試の内容となる」のです。
そうするとBNL~フェルミ研で必要だった収束四重極電場が無用になり、したがって「魔法運動量で測定を行う必要もなくなる」という事になります。(注2)
さてその「魔法運動量の話」に行く前に「できの悪いミュー粒子ビームをBNLではどうやって使いこなしたか」という話をしましょう。
まずは魔法運動量ですがこれはγ=29.3の粒子速度を言っています。
ここでもちろんγ=1/sqrt(1-v^2) です。
で速度がバラバラなミュー粒子ビームをストレージリングの所定の軌道に送り込むための偏向マグネット(=超伝導コイル使用)を特注した。
そうしてまたストレージリング内に打ち込まれたミュー粒子のひとかたまり、これはほぼγ=29.3近傍になってはいるのですが厳密にγ=29.3にはそろってはいない。
でどうしたか?
何、単に測定データとして採用する前にそのビームの一団を200回ほどストレージリング内を回転させたのです。
でそうすると「速度が速い粒子」はγ=29.3の粒子が回っている軌道より外側にはじき出される。
「速度が遅い粒子」は逆に所定の軌道より内側に入り込むのです。
そうやって「外側に」あるいは「内側に動いたミュー粒子」は「ストレージリングで真空を保っている円環状のチューブ:その中でミュー粒子が円周運動をしているのですが:そのチューブの内壁に衝突して消え去る」のでした。
つまりは「ストレージリングそのものがγ=29.3の粒子のみが安定して周回できるような設計になっている」のです。(注3)
でそうやって「いらない粒子を追い出した後」で「測定されたデータを使ってωaを決定した」のでした。(注4)
さてBNLの実験に先行していたのはセルンの実験です。
そうしてそのセルンの実験にいろいろな改良を施して始まったのがBNLの実験でした。
そのあたりの具体的な内容は「ミュオン磁気能率測定は標準理論の破れを検出したか?」: https://www.jstage.jst.go.jp/article/butsuri1946/56/11/56_11_848/_pdf/-char/ja :にて詳細に述べられています。よい資料ですのでぜひともご一読を。
なおほぼ同じ内容ですが写真が鮮明なのは: http://meson.riken.jp/g-2/g-2_mac/old/g-2-JPS/%E5%AD%A6%E4%BC%9A%E8%AA%8Cver3.pdf :の方になります。
そうしてまたこの資料によれば「より積極的にγ=29.3の粒子のみを選び出す為にビームのスクラッピング(scraping=そぎ落とし)を行っている」という事が説明されています。
ちなみに上記説明で登場するBNLの実験設備のイラストや説明については「BNLでのE821ミュオン異常磁気モーメント測定の最終報告書」: https://journals-aps-org.translate.goog/prd/abstract/10.1103/PhysRevD.73.072003?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=nui,sc :2006 年 4 月 7 日発行:に掲載されているイラストやグラフが参考になります。イラストをクリックすると拡大表示され、説明文も現れます。
あるいは「μ粒子の寿命測定」: https://www.sas.upenn.edu/~tqian/thesis.pdf :2006年8月:にも参考になるイラストや説明があります。
これらの説明はBNLの実験を引き継いだフェルミ研の実験でも同じように成立していますので、その意味においても重要なものであります。
注1:「エミッタンス測定」: http://accwww2.kek.jp/oho/OHOtxt/OHO-2020/07_Fukuda_Masafumi.pdf :最初のページにでてくるイラストが全てを現しています。あとのページは「その状況をどうやって指数化するのか」という話です。
注2:この部分がJ-PARCでの実験がBNL~フェルミ研での実験と大きく異なっているので「J-PARCでの実験がBNL~フェルミ研での実験とは独立した検証実験になる」という話になっています。
そうしてまたこの部分が「静止系が客観的に存在する場合」には「魔法運動量での測定だ」と実験者が思っていたものが「実はその魔法が十分には効いていなかった」という話につながるのでした。
で詳細はページを改める事になります。
注3:光速にちかい速度で一様磁場内を円運動する荷電粒子の円運動の半径は次のようにして決まります。: http://fnorio.com/0162relativistic_dynamics/relativistic_dynamics.html#4-3 :
最後に導出された式を見れば分かります様に「円運動の軌道半径は粒子の持つ相対論的な運動量に比例する」のです。
したがって「ストレージリングにかかっている一様磁場のおおきさBとストレージリングの半径rがγ=29.3に一致する様にセットする」とそのストレージリング内を安定して周回運動できる粒子はほぼγ=29.3だけになるのです。
(フェルミ研のレポートによれば『この実験は、p0(=マジック運動量) の周囲で0.15%の狭い運動量分散を持つミュオンビームを受け入れて保存するように設計されています。』となっています。)
注4:フェルミ研での生データを見ますとそのあたりの状況がよく分かります。
『「フェルミ研究所ミュオンにおけるミュー粒子の異常歳差運動周波数の測定 g−2実験」: https://journals.aps.org/prd/abstract/10.1103/PhysRevD.103.072002 :2021 年 4 月 7 日発行
概要説明の下に7つの図が示されています。
左側の一番下にある図が「生データグラフ」になっています。
その部分をクリックすると拡大表示が現れます。』
そのデータを見ますと「最初の部分はずいぶんとノイズが大きい」という事がわかります。
でその部分が「γ=29.3の粒子のみを選択している部分」という事になります。
そうやって「うねうねパターンが落ち着いた所」でそのパターンにカーブフィットさせてωaを決定するのです。: https://indico.ipmu.jp/event/164/contributions/2417/attachments/2070/2499/dnomura-slides.pdf :のP51の左側のイラスト参照の事。
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