特殊相対論、ホーキング放射、ダークマター、ブラックホールなど

・時間について特殊相対論からの考察
・プランクスケールの原始ブラックホールがダークマターの正体であるという主張
 

「特殊相対性原理」あるいは「時間の遅れはお互い様」について

2023-10-01 03:10:55 | 日記

アインシュタインの特殊相対性理論(1905年): https://archive.md/hjDby :の冒頭部分にある「(1)相対性原理」から話を始めよう。

以下引用です。

『物理現象を観測するある座標系(K系とする)とそれに対して一定速度vで移動している座標系(k系orK’系とする)を考える。これらの座標系の様に、相手に対して互いに一定速度で動いている座標系を、“慣性系”という言う。

 それら互いに慣性系の関係にある座標系の座標値を用いて表した各座標系に於ける力学の運動方程式(ニュートンの“運動の第二法則”や“運動の第三法則(作用反作用の法則))”は、全て同じ形で表されることが知られている。これはガリレオ・ニュートンの相対性原理として知られているものですが、その詳細は文献205.のp24~28をご覧下さい。

 このように力学現象を表す法則が座標系の選び方によらず全て同じ形式で表されることを“自然法則の相対性原理”という。ただしここでは互いに一定速度で動いている座標系に対してのもので、互いに加速度運動をしている座標系間についてのものではない。互いに等速度で動いている座標系に付いての相対性なので“特殊”相対性原理と言うことにする。

 この事は、力学的な現象をいくら詳しく調べてみても、自分たちが互いに等速度で動いている座標系の中のどの座標系に存在するのかを知ることができない事を意味する。つまり我々は絶対的な空間を直接認識する何らの手段(少なくとも力学的な手段の中には)を持っていないことになる。

 アインシュタインは、その様に絶対的な空間を知ることができないという考え方に導かれて相対性理論を打ち立てた。そのとき大きな影響を受けたのがマッハの『力学』であったようです。』(注1)

さて「絶対的な空間が存在しても、そこと我々が暮らす宇宙との間に相互作用が無ければ」つまりは「絶対的な空間を知ることができない」のであれば、「その空間は我々にとっては存在していないのと同じである」とするのは妥当な所であります。

さてここでのべられている「相対性原理」は「全ての慣性系は平等である」と読み替える事ができます。

そうしてそれはまた「他の慣性系に対して優先する様な慣性系は存在しない」という宣言でもあります。

つまり「客観的に存在する静止系はない」という宣言です。

 

さてそのようにして始まった特殊相対論でありますから、「客観的に存在する静止系は持ち出す事ができない」のです。

とはいえ「計算をする上で静止系は必要」なのです。

何故ならば「特殊相対論は運動する慣性系を相手に計算をする」のですから「何に対して運動しているのかを明示する必要がある」のです。

従って「仮に自分がいる慣性系を静止系としよう」。

そうして「観測している相手の慣性系が動いているものとしよう」という事にしたのです。

 

さてここまでは「計算する上での仮定、前提の話」ですから如何様にも設定できます。

「ん、お前は何を言ってるのか?」という声が聞こえます。

つまりは「全ての慣性系が平等である」のだから今は「自分が立つ慣性系を静止系として仮に設定した」のでした。

しかしながら必ずしも「自分が立つ慣性系を静止系として設定する必要は無い」という事です。

何故いつも「自分が立つ慣性系を静止系として設定する」のですか?

その理由は何ですか?

その根拠は何ですか?

多分答えは「相手の慣性系が自分に対して近づいてくるように(あるいは離れていくように)見えるから」と言うものでしょう。

つまりは「自分から見ると相手の慣性系が運動している様に見える」というが唯一の根拠なのです。

そうしてそれは「自分が行った主観的な判断に過ぎない」のです。

 

この時にどうして「相手の慣性系が静止していて、自分が立つ慣性系が運動しているのではない」と言えるのですか?

何故「あいての慣性系が運動している」と言えるのですか?

あるいは「自分が静止している」と言えるのですか?

 

この時に得られている客観的な情報は「自分の慣性系と相手の慣性系との間の相対速度Vという値だけ」です。

そうして「2つの慣性系の間で観測される運動は相対的なものである」という事を知っている者は、「その相対速度がVという値になる自分と相手の慣性系がもつ速度の組合せは無限にある」という事を認識しています。

そうしてまたその無限にある組合せの中から「自分が静止していて、あいてが相対速度Vで運動している」と言う確率はほぼゼロである事も理解しています。(注2)

 

さてそうではありますが「時間が遅れる」と言う議論では常に「自分は静止していて、相手が運動している」と言う前提で話が始まります。

そうして言うのです。

「相手の時間が遅れている」と。

しかしながらその結論は最初に恣意的に「相手が運動している」と決めつけた所から始まっています。

なぜ最初の前提が「自分が運動している」ではないのですか?

あるいは「両方が運動している」ではないのですか?

 

客観的な情報「相対速度はVである」からは「自分が運動しているという前提で計算を行う事を排除する理由」はでてきません。

そうして「自分が運動している」と「自分が主観的に判断した」のであれば「自分の時間が遅れている」と計算する事が正解となります。

そのように計算する事は「相手が運動している」と「自分が主観的に判断した」ので「相手の時間が遅れている」と計算する事と同じ正当性を主張する事ができます。

 

さてそのように考えますと「自分と相手の相対速度Vが分かってもどちらの時間が遅れているのかは分からない」と言うことになります。

なぜならばそこには無限の数の計算結果が出てくるからです。

そうしてその一つ一つの計算結果が相対性原理にしたがって「自分こそが正しい計算結果である」と主張出来るのです。

 

以上、見てきました様に「相対性原理」からは「2つの慣性系の間の相対速度Vは観測可能である」が「それを使って2つの慣性系について、どちらの慣性系の時間が遅れているのかは計算できない」という事になるのです。

さてこの状況は「時間のおくれはお互い様」をこえて「もっとひどい混乱状況に入り込んだ」と言えます。

 

さて「計算では2つの慣性系についてどちらの時間が遅れていた」のか分からないのですから、「どちらの時間が遅れていたのかは実験して確かめる」という事になります。

さてそれで宇宙線由来のミュー粒子の寿命が延びている事は実験的に観測されています。

そうであれば、その観測結果からは「地球がほぼ静止系である」という事がわかります。

そうしてこの事実に反する実験結果は今の所、横ドップラーの実験結果を含めて報告されていません。

さてそうなりますと「地球がほぼ客観的に存在する静止系になっている」という事になります。

そうして特殊相対論はその事に異議を唱える事はありません

 

ただし困るのは相対性原理」になります。

それは「地球が他の慣性系に比べて(あるいは宇宙線由来のミュー粒子に代表される慣性系に比べて)優先される慣性系になっている、と言う事が事実となってしまうから」であります。(注3)

これはあきらかに「相対性原理が主張している全ての慣性系は平等であるに反しているのです。

 

 

注1:この文章に続き上記資料ではアインシュタイン自身のコトバで「特殊相対性原理が常に(あるいはロバストに)成立しているはずだ」と言う内容が述べられています。ご参考までに。

注2:アインシュタインはそのあたりの事をよく承知していたと思われます。

従ってアインシュタインはミンコフスキーの様に「時間の遅れはお互い様」とは主張しなかったのです。

なんとなれば「時間の遅れはお互い様」の主張は「常に自分が静止していて、相手が運動していると見なすとこから始まるから」です。

注3:この時に「時間の遅れはお互い様」論者は「ミュー粒子から見れば地球の時間が遅れている」=「動いているのは地球だ」と主張することになります。

しかしながらその主張は現実によって却下されます。

ちなみに「地球がほぼ静止系になっている」のは「ミュー粒子に比べて地球の質量が大きいから」ではありません。

「客観的に存在する静止系に対する地球の移動速度が光速Cに比べて十分に小さいから」です。

 

追記:アインシュタインが「時間遅れの例として示したもの」

2つの時計AとBが同一の慣性系にある。

この2つの時計は同じスピードで秒針がまわる。

さてこの2つの時計の内、一つを閉曲線Cにそってぐるっと一回り、そのあたりを巡回させる。

そうするとそのようにされた時計の針は元の慣性系に戻ってみるとそこにずうっといた時計よりよりも時間が遅れている事を見出す、と。

このアインシュタインの提示した例では「こちらの時計は静止系にある」とか「そちらの時計が動いている」とかいう話はでてきません。

これは、もし仮に静止系があったとしてもその影響を受ける事なく、常に「旅に出た時計の方が特殊相対論の結論として時間がおくれて戻ってくる事になるから」であります。

つまりアインシュタインの主張は「より多く運動した時計の方が時間が遅れる」というものです。

しかしこれもまた奇妙な主張です。

静止系を前提とせずに「より多く運動した時計を指定できる」という状況については、不思議なものであります。

ちなみにこのアインシュタインの主張から今ではよく知られる事になった「双子のパラドックス」が出てきたのでした。

 

PS:相対論・ダークマターの事など 記事一覧

https://archive.md/dVfPe