1、「時間の遅れはお互い様」は成立するのか?
2つのすれ違う慣性系の間で時間の遅れを観測した時に、お互いが「相手の慣性系の時間が遅れている」と主張する事が「時間の遅れはお互い様」の内容です。
そうして通説においては「時間の遅れはお互い様」となっています。
ところがここにきて「LLの一般解」が導出されました。
それでこの「LLの一般解」によれば「2つの慣性系の時間の遅れを知るために3つの時計A,B,Cを使った方法で得られた測定値の解釈方法は無限にある」という事が明らかになりました。
なぜ「無限にあるのか」といいますれば「特殊相対論を使って時間遅れの計算をする時には、まずは静止系がどこにあるのかを決めなくてはなりません。」
そうして「LLの一般解」によればその静止系は時計Aの位置にあってもよく、時計Bの位置でもよく、さらには時計Aと時計Bのあいだのどこにあってもよい、と言うのが「LLの一般解の結論」でした。
そうしてもちろん、そうやって指定した任意の位置にある静止系に対して、それに応じた特殊相対論の計算があり、その結果はいつも測定によって得られたデータを再現できるのでした。
それに対して従来の「時間の遅れはお互い様」の解釈では「慣性系αの時計Aの横に立つ観測者」が「自分が立っている慣性系αが静止系である」と決めて、相手の慣性系βが「相対速度Vで動いている」という事を前提にしていました。
そうしてその前提に立ってローレンツ変換を時計Bに行う事で時計Bの時間経過が時計Aの時間経過よりも観測値に一致した値で遅れている事を見出していました。
「静止系は自分が立っている慣性系αである」というものは時計Aの横に立った観測者の主観的な判断にすぎないものなのですが、それに基づいて特殊相対論で計算すると計算値と観測値がぴったりと一致する、従って「静止系は慣性系αである」という自分の前提は正しくそうして「慣性系βの時間が遅れているのだ」と結論を出していました。
しかしながらその時に「観測によって得られたデータの解釈の仕方が他にもある」という事は今までは知られておらず、したがってその様な事は考慮されませんでした。(注1)
しかしながら実状は「LLの一般解が示す状況になっている」のです。
つまりは観測によって得られた時計の固有時の解釈方法は無限にあり、その中の一つが「時計Aが静止系にあるという解釈にすぎない」のでした。
それはまたコトバを変えますれば「観測によって得られた時計のデータによっては慣性系αと慣性系βでどちらの時間が遅れていたか、決定できない」という事を示しています。
さらにまた違う表現をするならば「静止系に対して慣性系が動いている事によって起きる慣性系の時間の遅れは3つの時計を使った方法では測定できない」という事でもあります。(注2)
さて「時間の遅れはお互い様」という主張は「慣性系の時間の遅れは3つの時計を使った方法で測定可能である」という前提にたったものであります。
しかしながらその前提は「時計Bの指摘」そうしてまた「LLの一般解」で否定されました。
従いまして従来、通説で言われてきた「時間の遅れはお互い様」という主張はその主張の根拠がなくなりましたので「意味をなさない主張である」という事になります。
それは「3つの時計による測定結果に対する誤解に基づくものである」と言えます。(注3)
2、ランダウ・リフシッツが示した方法は一体何を計る方法なのか?
2つの慣性系に置かれた3つの時計を使う事で2つの時計の固有時を入手する方法です。
そうしてその固有時の値から
①、2つの慣性系の相対速度Vが分かります。
②、ローレンツ変換による時間の遅れが実在している事が分かります。
あるいは
②、ローレンツ因子sqrt(1-V^2)の値がわかります。
「いや、そんな事は前もって分かっているだろう?」ですって?
いえいえ、「物理的な状況と言うものは測定して初めて分かるもの」ですよ。
ちなみに残念な事に2つの慣性系の間の時間の遅れはこの測定では分かりません。
「この測定により2つの慣性系でどちらが時間が遅れているか分かるはずだ」というのは「あなた方の思い違いに過ぎない」と特殊相対論はそう言っているのです。
注1:通説の元になったランダウ・リフシッツもその事を見逃していました。
注2:注意していただきたいことは「静止系に対して慣性系が動いている事によって起きる慣性系の時間の遅れは測定できない」とは当方は主張していない事です。
但しその方法は「ランダウ・リフシッツが示した方法では無理だ」と主張します。
それに対してたとえばローレンツは「客観的な静止系は存在するがそれは観測できない」=「静止系に対して慣性系が動いている事によって起きる慣性系の時間の遅れは測定できない」という立場でした。
しかしながら当方はローレンツの主張にも関わらず「客観的に存在している静止系に対して慣性系が動いている事によって起きる慣性系の時間の遅れは測定できる」と主張致します。
注3:ランダウ・リフシッツが間違えた原因がここにあります。
「2つの慣性系の間に生じている時間の遅れを3つの時計を使った測定で観測できる」とし、その測定結果は「2つの時計を置いた方の観測者」が「自分が静止系である」と「主観的に判断」して「動いていると判断した方の慣性系に置かれたもう一つの時計の遅れを計算すると測定値を説明できる。」
したがって「そのように観測者が主観的に静止系を決める事は正しい」とし、その結果から出てくる結論、「常に相手の慣性系の時間が遅れているという解釈は正しい」としたのでした。
しかしながらその時に残念な事にはランダウ・リフシッツは時計Bの主張を知らなかったのであります。
行われた測定結果についての解釈の方法は実は無限にあったのです。
それが「LLの一般解の出した結論」でした。
そうであれば、ランダウ・リフシッツの主張はたまたま「観測者の主観判断で決めた静止系を前提とした計算で結果が説明できていた」という事にすぎないのです。
しかしながら残念な事にランダウ・リフシッツは「それが唯一の測定値の解釈方法である」と勘違いしていたのであります。