→(6)からの続き
前回の記事で、こんな↓ことを書きました。
もし今後、あちらのメディアにより詳細な情報がもたらされ、この騒ぎが“銅像が売りとばされた時点から”詳細に報道されたとしたらどうなるでしょうか?
(中略)
一応は現在のトルコ共和国の象徴であるものが、明らかにトルコそのものへの関心の低さから粗末に扱われていることを知れば、最右派のイスラーム主義者でも不快に感じるのではないかと思われます。
というのも、2007年10月にこの銅像事件の第一報を伝えたトルコの新聞「サバフ」紙や「ラディカル」紙が、たかだかこの程度の事件のため独自に記者を出し、取材を行ったとは思えなかったからです。記事のソースは、主に在日トルコ大使館や日本でこれを報じた産経、あるいは例の市議みたいにこの事件を“国際問題”にしたがっている人たちではなかったか。
でも、だとしたら、記者たちはトルコ村が最初に閉園してからの詳しい経緯を知っていてもおかしくはない。いや、むしろ知らない方が不自然でしょう。現に、2006年に柏崎市がアタテュルク像の売却を決めたがためにトルコ大使館との間に生じたトラブルは、トルコのメディアは報じていないようですが、当時の毎日新聞(英語版)なんかは詳細な記事にしています。
記事自体は既に消えていたものの、その痕跡↓が残っていました。
"Turkish Embassy against sale of donated statue at bankrupt theme park”
(トルコ大使館、破産したテーマパークに寄贈した銅像の売却に反対す)
http://www.turkishdigest.com/2006/04/turkish-embassy-against-sale-of.html
KASHIWAZAKI, Niigata -- The Turkish Embassy in Japan has sent a protest letter to the Kashiwazaki Municipal Government over the city's plans to sell off a bronze statue of Turkey's 'founding father' Kemal Ataturk that was donated to a Turkish theme park which went bankrupt, it has been learned. The Kashiwazaki Municipal Government plans to sell the 5-meter-high bronze statue of Kemal Ataturk (1881-1938), the founder and first president of the Turkish Republic, to a tourist development firm in the prefecture."
More:Turkish Embassy against sale of donated statue at bankrupt theme park - MSN-Mainichi Daily News
ここ↓の掲示板にも全文が貼ってあります。
http://www.izlenimler.net/2007/10/09/aymazliga-bak-insan-hayatiymis/#comments
つまり、彼らは事件の全容を知っていながらも、“日本では一般にアタテュルクの知名度は低く、故に銅像も粗末に扱われていた”という事の本質には“敢えて”目をつぶり、“像への不敬がメディアで騒動になるほど、日本人はアタテュルクを尊敬している”と何やら自国民(特に世俗主義者)の耳に心地よい話にしてしまった可能性があるということです。
あちらの人と関わったことのある人なら分かると思うのですが、彼らは全般に強烈な自尊心の持ち主です。良く言えば誇り高い、悪く言えば極めて自己中な人たちだというべきか。人間とは元来そういうものではないか?と言われればそれまでなんですが、何かとそれが極端なんですよ。普通に話していても、いざ話題が自分や身内(と、その延長としてのトルコという国)のことに及ぶと、とにかく主観=身びいきが全開になってしまう。メディアの報道も、もちろん例外ではありません。
そういうので思い出すのは、以前にトルコで出会った、中央アジア諸国やロシアからの留学生の話です。 ソ連の崩壊以来、トルコ政府は彼の地、特に中央アジア諸国に住むテュルク系の諸民族に対し、“同族”だということで様々な支援を行ってきましたが、トルコ語と英語で授業をやる新式学校の開設もその一つでした。
これらの学校は設備もよく、またトルコ政府が多額の予算を割いて現地やトルコ人の優秀な教師を揃えたことから、一時期非常に人気があったわけです。学生も地元のできる連中が集まっていました。(但し、ロシアのそれは分離主義の温床に成り得るとして、プーチンがほとんど潰してしまったらしい。あと、ウズベキスタンでも当局が政治的なイスラーム主義の流入を警戒し、全て閉校に。)
彼らはそうした学校を卒業し、トルコ政府からの奨学金を得て念願のトルコに留学。各種の大学で学んでいたのですが….こちらと顔を合わせるたびに“騙された”と愚痴ばかりこぼしていましたね。
聞けば、そこで教えていたトルコ人の教師は、常々あたかも自国が“欧州の一員であり、ドイツと同じくらい進んだ国である”かのように誇らしげに語っていたのだそうです。それを真に受けてトルコにやってきてみたら、実際にはドイツどころか、ただの“中進国”ではないかと。 しかも、学問の水準、特に理系のそれはどう考えても旧ソ連のそれの方がレベルが高い。奨学金も物価の割に全然足りない。EUにも入ってないから、このままトルコに落ち着いても西欧の“稼げる国”に移動して働ける機会も無し。こんなんだったら来るんじゃなかった!騙しやがって!
そのくせ、こっちの連中は東方の“同族”たちに対しては何かにつけて“欧州人にしてテュルク系諸民族の長兄”として振舞いたがる。何なんだあいつらは!みたいな感じで。
でも、そうした教師たちは、おそらく意識して法螺を吹いているつもりはなかったんだろうと思うんですよ。つまり、客観的にはどうであれ、多分彼らの“主観”においては完全に“トルコ≒ドイツ”であったに違いないわけで。
ちなみに、そうした学生の一人が経済学のレポートで正直に“トルコは未だ先進国とは言い難い。EUへの統合も時期尚早”みたいなことを書いたところ、教師から0点を貰ったといって嘆いていました。“国費で勉強させてやってるのに生意気だ!”ということかw。
それと同じで、件の銅像事件をその発端から忠実に記事にするのは、記者らの高いプライドが許さなかったのではないでしょうか。何しろ、トルコが大した国だと思われていないと、自ら認めることになってしまいますからね。読む方も楽しくないだろうし。
ただですね、“サバフ”紙の方はともかく、“ラディカル”紙はトルコでは最も信用できる新聞です。基本的に世俗主義的なスタンスをとってはいますが、その報道姿勢は概ね客観的。あからさまに記者の主観に引っ張られているような記事は、他紙に比べれば極めて少ない。そんなに単純な理由ではなさそうです。
思うに、もし仮に件の像が例えば“放置されていたなんて嘘で、実は畑で案山子として有効活用されていた”みたいな、もっとひどい扱いが発覚したとしても、ラディカル紙みたいな世俗主義系の新聞は、やはりその部分には触れなかったのではないでしょうか?
何故なら、トルコ共和国の建国以来、アタテュルクの肖像や銅像は、文字通り世俗主義者にとっての“イコン(聖像)”として機能してきたからです。
この報道がなされた約3ヶ月前、2007年7月にはトルコ議会の総選挙が行われたのですが、この選挙で世俗主義者の拠り所であった「共和人民党(CHP)」は完敗。旧与党であり、イスラーム志向のより濃厚な「公正発展党(AKP)」が圧勝しました。そして8月には議会での圧倒的多数の議席数を背景に、公正発展党員のアブドゥッラー=.ギュルが大統領に就任。公正発展党は、遂に行政と立法の二権を抑えることになり、今に至っています。
参考↓
http://www.global-news.net/ency/naito/daily/070730/01.html
要するに、この何年かというもの、世俗主義はイスラーム復興の雰囲気に押され気味で、どうも振るわないわけですよ。そんな時期に、わざわざ自分らの“イコン”の価値を下げる報道なんてするでしょうか?恐らく実際に何が起こったかに関係なく、“アタチュルクは日本でこんなに愛されてる”みたいな話になったのではないか?
ところで、アタテュルク像に対して“イコン”なんて表現を使うと大げさだと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。ネット上の議論を見ていると、“偉い人の銅像に対して失礼だ!”みたいな書き込みが目立ちますが、はっきりいって“甘い”ですね。彼の国のある種の人々にとっては、本当に“イコン”以外の何物でもないのですよ。
手元に良い例がありました。以下の絵葉書は、前にアンカラにあるアタテュルク廟を訪れた際に入手したものですが、付設の博物館の中にはアタテュルクの遺品に混じって、これらの写真が大真面目に展示されています…..。
<アタテュルクの横顔のように見える山々>
アイヴァルク地区(←トルコ西部、エーゲ海沿岸の地域)、マドラ山にて
※枠線の内側の、山々の稜線を全部繋げた形がちょうどアタテュルクの横顔に見えるということらしい。
<雲の中に現れたアタテュルクの横顔>
ヨズガト(←トルコ中西部の都市)高校での国旗掲揚式の最中に
※トルコ国旗を持って立っている男性の頭の上に浮かんでいる雲の形が、アタテュルクの横顔に見えるということらしい。
<アタテュルクの横顔を為す山の影>
アルダハン県(←トルコ東部、グルジアとの国境にある県)のダマル郡、ギュンデシュ高原にて
※山の表面に移っている他の山の影の形が、アタテュルクの横顔に似ているらしい。
<アタテュルクの眼差しを示す自然現象>
ドゥムルプナル(トルコ国民軍がギリシア軍を打ち破り、希土戦争でのトルコの勝利を決定づけた古戦場。トルコ西部)のチャルキョイにある、戦没者顕彰碑の上空で。
※記念碑の左上の方に浮かんでいる雲(の、白枠に囲まれている部分)がアタテュルクの目の部分に似ている、ということらしい。
参考↓アタテュルク(本人)
出展:http://www.aydinsari.com.tr/eng/ataturk.htm
何だか、この絵葉書を見る度にいつも同じ感慨に囚われるのですが……心霊写真かよ!w
これらの写真(特に4番目)が、キャプション抜きで自然とアタテュルクの顔とか目に見える人が居るとしたら、それは間違いなく病気でしょうw。
“国旗掲揚式”とか“トルコ解放戦争の際の古戦場”みたいな、ナショナルなシンボルと組み合わされているのがポイントですかね。“愛国的なトルコ国民を、アタテュルクはいつも天上から見守っているぞ!”ということのようで。
現在、トルコには10万以上のアタテュルク像があると言われています。お金にしても、紙幣であれ硬貨であれ全てにアタテュルクの肖像画(もしくは横顔のシルエット)が入っている。本当に至る所で目に付くわけですよ。
でも、こんな話を聞いて、“アタテュルクはそれほど国民に崇拝されているんだ!”と考えるのは、素朴に過ぎるというものです。
確かに敬愛する人が多いのは事実ですが、これらの像を大量に建てたのは国民ではなくあくまで“国家”の側です。逆に言えば、国が国民の間にアタテュルクに対する個人崇拝を定着させるためには、そこまでやらなければならなかった、ということでしょう。
このようにアタテュルクの神格化が国家の政策として進められたのは、ソ連におけるレーニンや中国における毛沢東の偶像化と、事情はよく似ているかもしれません。
↓中国でもこんなのがあるらしいw。
”青島で毛沢東そっくりの奇石を発見”
http://j.peopledaily.com.cn/94475/6669094.html
中国人には毛沢東に見えてしまうのか?w
→(8)につづく
→(5)からの続き
市議のブログによれば、氏が銅像をどうにかしようとしているのは、これを政争の具とするためではなく、両国民の友好の維持を願ってとのこと。確かに、この人物の地道な活動がなければこの問題が一般に認知されることもなかったわけですが、氏のブログでのトルコの新聞報道を、その内容を無視して都合よく利用しているのを見る限り、どうも素直には信じられないですかね。
本気で両国の友好を案じているのであれば、とりあえず記事の内容は(トルコ語が読める人間に依頼するとか)どうにかして確認しようとするのではないでしょうか?翻訳ソフトを使っても大意は分かるはずで。
例えば、こんな感じ↓です。
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三井田市議のブログより抜粋
http://miida.cocolog-nifty.com/nattou/2007/10/09/index.html
本来であれば<日本国内で日本人の手、できれば柏崎市内で解決したかった>ものの、既にトルコ国内の大手新聞会社が取り上げてしまった。大手新聞社であろうことは、複数のニュースサイトで同じ記事が配信されていることからも分かる。
http://www.haberturk.com/haber.asp?id=39541&cat=200&dt=2007/10/09
*このサイトはアタチュルク像の首をもつ別の写真までつけて、日本人のこの行為を非難。
http://www.radikal.com.tr/haber.php?haberno=235217
http://www.milliyet.com.tr/2007/10/09/son/sondun10.asp
・・・お恥ずかしいことです。
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ここでの“トルコ国内の大手新聞社”とはこのシリーズの初回で全訳を載せた“ラディカル”紙の記事のことです。
紹介されているサイトの記事には確かにこういう↓写真が載っていますが、
記事そのものは、“ラディカル”の記事です。くどいようですが、もう一度記事の全訳を引用してみましょう。
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「アタテュルク像で日本が大騒ぎに」ラディカル紙 2007年10月9日
原文:Atatürk heykeli Japonya'yı karıştırdı
http://www.radikal.com.tr/haber.php?haberno=235217
地震で横倒しになったアタテュルクの銅像が、日本で騒動を巻き起こしている。 日本の新潟市(←原文ママ。正しくは新潟県柏崎市)における地震で、アタテュルクの銅像が横倒しとなった。地震と救出作業の混乱の中、像は倒れたままの状態で忘れ去られていたのだ。日本のジャーナリストらは、このために自国政府の対応を批判。現地の新聞に“アタテュルク像がないがしろにされている”と題した写真入りの記事が掲載されたことで、一般人の間からも“これではアタテュルクに対して失礼だ”と非難の声が生じている。
昨日、在アンカラ(トルコの首都)の日本大使館はこの事件に関する声明を出した。その声明において、日本政府と柏崎市長から説明を求めることを明らかにするとともに、状況がいかに明るみに出たかについては、以下のように説明した。:
“新潟中越地震において、アタテュルク像を台座に繋いであったボルトが損傷しているように見受けられた。像を放置しておけば、落下して破損するのではないかとの懸念から、台座から取り外され、横たえられたのである。銅像をそのように放置する意図など決してなかったのであって、柏崎市は人命救助の努力を最優先せねばならなかったのだ。”
大使館は、アタテュルクが日本に於いて愛され、敬意を払われている指導者であること、また(日本人の間では)彼に対する侮蔑など、まず口の端にも上らないことなどを強調した。
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一体この記事のどの部分が“日本人のこの行為を非難”しているのか?
記事と写真は完全に無関係ですね。市議は単に写真から類推して、自らの主張に都合の良いお話を作っているに過ぎません。
この記事にはコメントが53もついていますが、以前に紹介したサイトのものと同じく、好意的なものばかりです。時間が無いので全訳はできませんが、その内のをいくつか訳してみましょう。
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<ハルクのコメント>
論評ハルク1
トルコ人の最良の友は日本人だ。こういう国々と一緒になって、米国とかEUに対抗しようぜ。
論評ハルク2
日本人は実に誉ある人々だ。トルコですら、アタテュルクにこれほどの敬意は払われていない。
論評ハルク3
俺は、この目の細い奴らが大好きだ!
論評ハルク4
大したものだ!我が親愛なるブルース=リーの子孫たちよwww俺たちよりもはるかにアタテュルクに気を使っているとはな。まったく大した人間だよ。あんたらは。
論評ハルク5号
(トルコで同じようなことがあった場合、どうすべきかという話を受けて、)地震の時に、人命をそっちのけにして銅像の下に駆けつけろというのか?もし地震があったとしたら、俺は絶対に人命を優先する。それが誰の銅像であれだ!人命は何よりも貴重なのであって、これを否定する奴は人間じゃない!
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至って常識的な反応ですね。“地震だろうが何だろうが、死んでも銅像を守れ!”なんて狂ったコメントは一つもありません。
また、市議はこの銅像事件をネタにして、市議会において市長に追い込みをかける際にもこれらの新聞記事を持ち出しているようです。ブログに市議の発言が丸々掲載されていたので引用すると、
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三井田市議のブログより抜粋
http://miida.cocolog-nifty.com/nattou/2009/03/08/index.html
先ほど御紹介した、トルコの新開ですね、ラディカル紙、結構大きな新開、日本でいうと、朝日新聞みたいなとこらしいんですけど、そこでも1年前に、早急に対応するということで載っていると。もう1年ですよ。本当に、今、手詰まりなのかどうなのかというところもわからない。もし本当に手詰まりであれば、市民の有志ある皆さんからですね、やっぱり意見を上げてもらうことだって必要だと思います。
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…..もういい加減引用しませんが、“ラディカル”紙の記事のどこに“早急に対応する”なんて文言があるのか?上に挙げた全訳で確かめてください。
さらに言えば、とりあえずネット状で確認できる限りにおいては、ラディカル紙は2007年10月のこの記事以来、この銅像事件に関する追加記事は一切書いていません。
“できれば柏崎市内で解決したい”どころか、“国際問題”にする気マンマンではありませんかw。
まあ、今の所は良いでしょう。あちらの世俗派メディアの勘違いによって銅像事件は勝手に“美談”として報道され、一部の人々の日本に対する好感度は却って上がっているかもしれない。少なくとも、現時点では何の問題もありません。
しかし、もし今後、あちらのメディアにより詳細な情報がもたらされ、この騒ぎが“銅像が売りとばされた時点から”詳細に報道されたとしたらどうなるでしょうか? 前の記事にも書きましたが、アタテュルクの像は建前としてはともかく、実際にはトルコ人の皆が皆に崇拝されているわけではありません。
とはいえ、一応は現在のトルコ共和国の象徴であるものが、明らかにトルコそのものへの関心の低さから粗末に扱われていることを知れば、最右派のイスラーム主義者でも不快に感じるのではないかと思われます。それで一変に世論が変わることなどまず無いでしょうが、日本に対して悪い感情を持つ人が多少は増えるかもしれない。
もしそうなった場合、産経とか三井田市議は何らかの責任を取りうるでしょうか?多分、自らの政治目標を達成したり名が売れれば万々歳で、責任すら感じないのではないかと思われます。かつての(今でも?w)朝日や左翼の政治家と同じ様に。何せ、彼らの“脳内トルコ人”は未来永劫“親日的”であり続けるでしょうからね….。
くどいようですが、発端がどんなものであれ、個人的には銅像の串本移転それ自体には賛成です。それを“国際問題”化したがっている人たちには賛同しないというだけで。
→(7)に続く
ところで、今回の銅像事件に関する保守派媒体の報道で気になったのは、事件の責任者としてやり玉に上げられている柏崎市の行政のトップ、会田市長と社民党の関係が何だか過剰に強調されている点でした。
例えばこんな↓具合です。
宮崎正弘の国際ニュース・早読み - メルマ!“より
http://www.melma.com/backnumber_45206_4471738/
払い下げの経緯は不明だが、会田市長は全共闘の出身で、心情は社民党と同じ。テヘランへの自衛隊機派遣を潰して日本が国の恥を晒したのを社民党は手を打って喜んだ。それと同じにトルコが怒り、日本の評判が落ちるのはむしろ彼は望んでいるようにすら思える。
この記事自体は引用されたもので、書いたのはメルマガの主とは別のジャーナリストのようなのですが….。この人にかかると、今回の銅像事件は、実はトルコ国内における日本の評判を落とさんと、会田市長と社民党が意図的に仕組んだ陰謀だったかのような勢いですね。ということは、後々事が大きくなって、市長の地位が危うくなるのも織り込み済みだったということか?
あたかもメガンテを唱えるかのごとく、市長の椅子と政治生命を賭してまでトルコ人の対日イメージを悪化させんと目論む男-会田市長。一体何者なんだ?すごい....すごいよ、会田市長!
あと、社民党はほとんど”死ね死ね団”のような扱いですねw。そういう団体だったのかw。
とりあえず、ネットでこの会田氏という人物について検索したところ、以下↓のような記事を見つけました。
柏崎市長選挙(新潟県) 「原発依存からの脱却」派の現職が推進派の新人を退ける「ザ・選挙」編集部2008/11/16
http://www.senkyo.janjan.jp/senkyo_flash/0811/0811160664/1.php
現職と新人の一騎打ちとなった柏崎市長選挙は現職の会田洋氏(61)が新人で元市議会副議長の桜井雅浩(46)を1000余票差で破って再選された。両者とも政党本部の推薦は受けなかったが、会田氏には民主、社民などの国会議員や無所属の田中直紀参院議員らが応援、市議会の複数会派が支持した。桜井氏は自民・公明両党の柏崎支部、前回に市長選で会田氏に破れた西川正純・前市長らが応援した。
昨年7月の新潟県中越沖地震による被災後初めての市長選。運転停止中の東京電力柏崎刈羽原子力発電所に対する考え方は「原発との共存」「早期運転再開」で一致していたが、原発に対する将来の方向性については会田氏が「太陽光発電などエネルギー源を多様化し、原発に過度に依存しないバランスの取れた産業構造にすべき」と「原発依存からの脱却」を目指しており、原発反対派も応援に回った。一方の桜井氏は「原子力中心の産業構造にしたい」と原発推進のまちづくりを訴えた。
なるほど....そういえば、柏崎って原発があったんでしたね。忘れてましたよ。
一方、前回の記事で紹介した“チャンネル桜”の番組にも出演していた三井田柏崎市議は、この数年来、積極的にアタテュルクの銅像護持運動に従事されているわけですが、政治的には自民党に所属。当人のブログなどを読んだ限りでは原発推進派であり、反市長的な立場をとっているらしい。
あえて単純に図式化すると、ここ数年の柏崎市政においては、
会田市長(反原発/民主+社民が支持)
vs
三井田市議(原発推進/自民+公明が支持)
といった左右の政治対立があり、一連の銅像騒動においては、右派の市議が左派の市長と行政の落ち度を糾弾し、激しく攻撃している。そして、産経をはじめとする保守系メディアは市議の側に加勢して騒ぎを大きくしている、というのがこれまでの状況かと。
つまり、今回の銅像騒動はあくまで“局地戦”であって、“本丸”はこの会田市長だということでしょう。銅像騒動がトルコを巻き込んで大きくなればなるほど、後の“本丸”を追い込むことができるというわけです。それが“国際問題”にでもなれば、なおのこと良いはず。
まあ、政敵の瑕瑾に徹底的して付け込むのは政治の常道なのだろうし、今回の事件での市長側の失態は十分それに値するでしょう。政治家が社会運動を利用して名を売るのも、いたって普通のことです。この辺りは理解できるんですよ。こちらは柏崎市民ではないし、原発問題にも正直、さほど強い関心はない。だから、この市長が失脚しようがどうしようが個人的には別にどうでもいいのですが.....。
ただ、騒ぎを大きくするために、わざわざ外国まで巻き込むような方法はどうか、と思うのです。
1.ある特定のA国に自らの政治的理想を投影して、これを現実とは無関係に都合よく美化。
↓
2.国内で自らの政敵や論敵を攻撃できるようなA国絡みの揉め事を“発見”して、それをA国のマスコミ等にリークする。
↓
3.A国のマスコミで報道されると、“A国の人たちは怒っているぞ!”という外圧を用いて自らの政敵や論敵を倫理的に糾弾。その際、A国内の騒ぎが実際にどのようなものであるかは大した問題ではない。
↓
4.国内でもその“揉め事”に善意からコミットする人間が増え、“揉め事”は本格的な“問題”として実体化。どんどん尾ひれがついていく。
↓
5. 日本での騒動をさらにA国のマスコミが報道し、こちらでも問題化。これにより、本格的な“国際問題”に。
↓
6. この“国際問題“=さらに大きな外圧を背景に政敵・論敵を攻撃。自らの政治的勢力の伸張に利用する。
本件の場合はまだ<4>の段階までは達していないかもしれないんだけど、何かどこかでよく聞いたような話ではありませんか?
そうです。保守派が大嫌いな朝日のような左派メディアが、中国や北朝鮮・韓国を使って散々やってきた手法と同じですよ。そうした自らの党派優先の報道姿勢が、“実際の”東アジア諸国民の相互理解にいかなる害悪をもたらす結果になったかは、今さらここで語るまでもないでしょう。
今回の銅像事件が“国際問題”に発展するまでの過程を時系列的に整理すると、以下↓のようになります。
2007年7月、中越沖地震発生。倒壊の危険から、アタテュルク像は台座から降ろされる。
↓↓↓
2007年8月、かねてより銅像護持の運動を続けていた三井田市議が、自らのブログや掲示板等に倒れたままの像の写真を掲載。
http://miida.cocolog-nifty.com/nattou/2007/08/post_20af.html
↓↓↓
2007年9月30日、産経新聞が倒れたアタテュルク像に関する記事を掲載。Web版の方には写真は無いが、新聞の方には写真も一緒に掲載された模様。
トルコ建国の父像横倒し 柏崎の文化村跡地 2007.9.30 16:43
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/070930/trd0709301643010-n1.htm
ケマル・アタチュルクの銅像横倒し 市「事業者と近く協議」 - (2007.10.3)
http://sankei.jp.msn.com/region/chubu/niigata/071003/ngt0710030218002-n1.htm
↓↓↓
2007年10月8日にトルコの新聞“サバフ”紙、10月9日に“ラディカル”紙が、ネット上で銅像問題についての記事を掲載。ただし、その内容は銅像の粗末な扱いに恨み言を述べるようなものというよりは、“地震で倒れたアタテュルク像がメディアで報道されるほど日本での我らが国父への関心は高い”という意味合いのものだった。 そして、その“メディアの報道”というのは、産経以外に報じた所は無いところを見ると、どうも9月30日(か10月3日)の産経の記事のことを指すと考えて間違いはなさそう。
↓↓↓
三井田市議、上記の二つのトルコの新聞記事を、恐らくその内容をよく確かめることなく、自らのブログ等で、“トルコの新聞で日本が非難されている!ついに国際問題となった!”と大々的に紹介。※これについての詳細は後述。
↓↓↓
2009年2月、2chを中心にBBCの世論調査の結果と銅像事件を結びつけ、“トルコの親日度が低下しているのは銅像事件のせいだ!”とする騒ぎが突然起こる。J-castがこの現象を記事として紹介。
↓↓↓
2009年5月、産経がネット上で盛り上がっている銅像護持運動を記事として紹介。その際の“「建国の父」に対して非礼だとして、トルコ紙でも報道された。”という記述は恐らく元の記事を照会したわけではなく、三井田市議のブログがソースである可能性高し。←イマココ
こうして見ると、“マッチポンプ”とまでは言えないとしても、何だか同じ当事者の間を情報が循環していることが分かるかと思います。もちろん、三井田市議と産経新聞、両者とトルコの「サバフ」紙との間で直接情報が好感されたか否かは何とも言えないのですが、件の「サバフ」紙のサイトに載っている倒れた像の写真が、市議のブログに載っていた写真と酷似している点がとりあえず気になりますね。
参考↓
三井田氏のブログ
http://miida.cocolog-nifty.com/nattou/2007/08/post_20af.html
サバフ紙のサイト
http://arsiv.sabah.com.tr/2007/10/08/haber,8729D0E359D24EE892A589BD7C18ED3F.html
→(6)に続く
今回の“銅像事件“ は、日本に於いては専ら産経新聞をはじめとする“保守派”の媒体から取り上げられているわけですが、その論調と言うか報道の傾向は、 この↓“チャンネル桜“の番組に集約されているように思えます。
これはニコ動のものなんですが、物凄い再生回数ですね。人気があるんだなあ。
要約すると、まず日土間には以下のような↓交流の歴史があった、と。
1890年オスマン帝国(今のトルコはその一部だった)の軍艦が和歌山県串本村の沖で遭難=「エルトゥールル号事件」
↓
串本村民がその生存者を救助。民間と海軍を中心に多額の義捐金が寄せらる。
↓
政府は生存者の送還と遠洋航海訓練を兼ねて、海軍の軍艦2隻をオスマン帝国の首都、イスタンブルに派遣。宮廷を中心に、首都のオスマン人士の間で評判となる。
↓
1905年、日露戦争で日本が勝利。トルコ人の間での日本の声望はさらに高まる。
↓
”イラク・イラン戦争”中の1985年、イラク軍がイラン機の無差別撃墜を宣言する中、イランの首都・テヘランに日本人およそ300名が取り残される。
↓
トルコ政府が日本側の要請により、トルコ航空の飛行機を提供、全員助かる。
↓
トルコの元駐日大使が日本で講演した際に、“なあに、95年前のお礼ですよ”とニクイことを言う。
そうした“親日国“トルコとの関係を知らず、彼の国が贈ってくれた彼らにとってはまさに“神像”に等しい銅像を粗末に扱う日本人がいたりするのは、ひとえに我々が自らの“正しい歴史”を知らない結果に他ならない。我々は戦後民主主義体制の下、GHQと左翼によって生み出された“自虐史観”を叩き込まれており、戦前の日本の正の側面がことごとく見えなくなっているのだ!何でも、銅像問題のゴタゴタを解決できない柏崎市の市長は社民党との関係が深いらしい。ほら見ろ!やっぱり左翼が悪いんじゃないか!
……みたいな感じですかね。
確かに、“エルトゥールル号事件”は美談です。日土関係の端緒となった事件として、語り継がれて良いでしょう。“テヘランでの日本人救出事件”も同様。永く記憶されてしかるべきです。でも、いずれにしても普通だったら“良い話だなあ”とか“トルコ人とは仲良くしないとなあ”とか、“粋なことを言う大使だなあ”くらいで話は終わりだと思うんですよ。
それがですね、この2つの歴史的事件を隔てる100年近い時間をすっ飛ばして両者の間に強引に因果関係を見出し、“この100年もの間、トルコ人たちはエルトゥールル事件の恩義を連綿と語り継ぎ、御恩返しの機会を待っていたのでした”みたいな、何というか壮大な“傘地蔵”みたいなお話になってしまうのは何故なんでしょう?
例えば、こんな↓感じです。 「新しい教科書を作る会」のサイトより
http://www.tsukurukai.com/01_top_news/file_news/news_031015_2.html
このエルトゥールル号遭難の知らせはすぐ和歌山県知事に伝えられ、また明治天皇にも伝奏されました。すると、明治天皇はただちに医者と看護婦を派遣させ、生存者全員を軍艦「比叡」と「金剛」に乗せてトルコに送還されました。日本全国からも義援金が寄せられ、トルコの遭難者家族に届けられました。トルコでは歴史の教科書で取り上げられているため、子供でさえ知らない国民がいないという出来事だそうです。
その95年後、1985年(昭和60年)のイラン・イラク戦争のとき、イランに住む日本人を脱出させるため、トルコが航空機をチャーターして日本人を救出したことがありましたが、これは、エルトゥールル号の恩返しだったことを駐日トルコ大使が明らかにしています。
トルコ大使氏の文字通りの“外交辞令”を、あまりにもベタに受け取りすぎではないでしょうか。彼の地の人々は、ただでさえサービス精神が旺盛なのです。その辺はちゃんと割り引いて考えないと。
“エルトゥールル号事件”は、オスマン帝国末期の歴史においては割と重要な出来事です。時のスルタン(皇帝)アブデュル・ハミト2世が日本まで軍艦を派遣した目的は、日土関係の促進以上に、そのルート上にあった欧米列強の植民地支配下にあるインドや東南アジアに住むムスリムたちに対し、イスラーム世界全体の宗教指導者=“カリフ”でもあった自らの権威を示すことにありました。
当時のオスマン帝国は弱体化し、欧州列強による分割・解体の危険に晒されていたわけで、この航海はいわば、“うちに下手に手を出すと、アジアにあるおたくの植民地のムスリムがどんだけ暴れるか知りませんよ?”という、列強(特に英国)に対するデモンストレーションでもあったわけです。
また、多民族国家であった帝国は各民族の間での民族主義の勃興によって内からも瓦解の危機に直面していたのですが、アブデュル・ハミト2世は自らによる専制支配と、イスラームを国家の統合理念とする“イスラーム主義によって国民の多数を占めるムスリム(今のトルコ人やアラブ人、クルド人、アルバニア人など)を大同団結させることで、これを乗り切ろうとしていました。“遠くアジアの各地で、現地のムスリムに歓迎される強力なオスマン海軍”の姿は、それにも大いに役立つはずだったのです。
ところが、エルトゥールル号が串本で沈んでしまったことでケチがつき、かえって正統性が危うくなる結果を招いてしまったのでした。アブデュル・ハミト2世はそのまま帝国の衰退を止めることはできず、結局その18年後、陸軍の若手将校団が中心になって起こした“青年トルコ革命”により失脚し、帝位を追われることになります。
その節目の一つとなった大事件ですから、当然小学校の歴史の教科書にも載るでしょう。ただし、以前あちらで高校生向けの歴史の教科書を読んだ限りでは、“生存者は日本側の軍艦により送り届けられた”と簡単に記述されているだけで、日本側の献身的な救出活動云々について詳細な記述は無かったような気がします。
まあ、トルコの全体的な通史の上では、この事件はあくまでアブデュル・ハミト2世による対外政策の一つとして記述されているわけです。客観的に見れば、この事件で両国間の外交関係が進展したわけではないし、その後、オスマン帝国が滅亡するまで両国の間に国交が結ばれることもなかった(日本側が欧米列強と同じ条件での不平等条約の締結を求めたのに対し、オスマン側がこれを拒否)ことを思えば、当時の対日関係についての記述に重きが置かれないのは、自然なことかもしれない。
つまり、トルコ人が“エルトゥールル号事件”について知っているからといって、それが日本に恩義を感じるべき“美談”であると捉えているとは限らないという訳です。最近の教科書はどうか知りませんが、そういう記述があったとしても、ほんの何行かでしょうね。
参考:最近の教科書ではこんな感じらしい↓
http://blog.agara.co.jp/kumanosong/2008/12/post-191.html
1890年(明治23年)、
「エルトゥールル号は、
串本沖にて台風に遭い、
580名のトルコ人船員が命を落とす。
串本町民は救出された64~65名の船員を手厚く看護し、
殉職した人々のために支援活動を行った。
集められた支援金は、
時の統治者に渡された」(サライ印刷所/アンカラ2006年)
いや、それどころか、“エルトゥールル号事件”そのものについても、知らない人が多いような気がします。こちらの経験でも、日本に関わりがあるとか余程歴史が好きだとかそういう人たちを除けば、この事件のことを知っているトルコ人に会った試しがない。結構良い大学を出ている人でも同様です。それは日本でも同じでしょう。大抵の人は、社会に出れば受験のために暗記した歴史の知識なんて忘れてしまうわけです。それが普段から接点の無い国とか地域に関するものであれば、尚更のこと。
こんな風に書くと、“お前の周りの人間がたまたま物を知らなかっただけだろう?個人的な経験を一般化するな!”と怒られるかもしれないのですが、そうでもなさそうなんですよ。
ネット上で、ちょっと面白いものを見つけました。知日派トルコ人が“日本人ではなくトルコ人向け”に書いた、エルトゥールル号事件についての解説です。著者はあちらの財務省の官僚で、かつて在日トルコ大使館の経済参事官として日本に滞在したこともあるらしい。馬刺しと梅酒が好物なんだとかw。全般に、あちらの人間は食に関しては恐ろしく保守的で、“東アジア料理なんてどうやっても体が受けつけない“みたいな人が多いのですが、この人は珍しいですね。
↓このサイトに写真あり
http://moneykit.net/from/topics/topics160_07.html
その内容は日本側の情報も織り込んだ詳細なもので、非常に長い。全訳するのはちょっと無理なので、気になった部分以外は省略します。悪しからず。
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「エルトゥールル号の悲劇」 オヌル=アタオール
http://www.denizce.com/ertugrulfaciasi.asp
※まず、“エルトゥールル事件“についての一部始終が語られます。この部分は日本で流布している情報とまったく同じなので、省略。
…….日本で私が驚いた点は、エルトゥールル号の悲劇について、思っていたより多くの日本人が知識を持っていることだった。トルコではこの件について知る人間は少ないのに対し、日本人たちはこの歴史的な逸話をよく知っているのである。多少なりともトルコのことを知る日本人と知り合い、話が弾めば、話題はエルトゥールル号のことになる。悲しい出来事であるとはいえ、2つの民族の間の友好の端緒となった事件として記憶されているのであり、私はトルコ民族の名において、その知り合った日本人に感謝の意を表するのだ。
そうすると、日本人たちは大抵、誇らしさと謙遜が入り混じったような感じで(この文章にパラドクスは無い。なぜなら、日本と言う国は、その最も基本的な定義において極めて矛盾した国だから)こちらから目をそらし、1985年にトルコが日本人たちを救った事件を引き合いに出しつつ、同じく感謝の念を顕にするのである。
※“子供でさえ知らない国民はいない“どころか、“トルコではこの件について知る人間は少ない”ようです。逆に、詳しい日本人がいることの方に驚いているw。
この後は、イラン・イラク戦争でフセインがイラン上空に飛ぶ航空機の無差別撃墜を宣言し、テヘランに取り残された日本の在留邦人が危機的な立場に置かれるまでが語られます。この辺りの経緯も、一般に知られている話なので省略。
…….在イラン日本大使もこの情況を中央に伝えると、政府は直ちに日航に対し飛行機の派遣を要請したが、40年前のカミカゼ精神を失っていた日本のパイロットたちは以下のような返答をした。即ち、イラク軍が無差別撃墜を始めるまでの間にテヘランまで飛行機を飛ばし、在留邦人を乗せてその空域を離脱するのは極めて困難であり、そうしたリスクを冒すことは出来ない、と。
※ カミカゼ精神wいかに昔の日本軍でも、民間人を満載した旅客機で特攻なんてしなかったと思うけど。
かような絶望的な状況を、在イラン日本大使が親しい関係にあったトルコ大使に伝えたところ、その情報はトルコの首都アンカラに伝えられ、当時のオザル大統領の耳にも達することとなった。また、かつての伊藤忠商事の在トルコ駐在事務所長で、オザル大統領の友人でもあったモリナガ氏も大統領に電話をかけ、その助けを請うたのだ。考えている時間は無かった。オザル大統領は直ちにトルコ航空に命じて……
※“エルトゥールル号”云々の話はでてきません。当時の大統領であったトゥルグット=オザル氏は後のトルコの経済成長の基礎を築いたとされる功労者ですが、同時に歴代大統領の中では最強の日本好きでした。個人的に、日本人の知己も多かったらしい。この文章にもあるように、この大統領に対して公私双方のチャンネルを通じて日本からの要請があり、その“鶴の一声”でトルコ航空機の派遣が決まったと考えるのが自然でしょう。
後にNHKがこの事件をネタにして“プロジェクトX”を作った際、当事者たちは誰も“エルトゥールル号事件”のことなんて知らなかったと証言(←出典wiki)していますが、多分事実ではないかと思われます。
この後、トルコ航空機の活躍によって、在留邦人は無事トルコへの脱出を果たします。この部分も省略。
………私をさらに感動させたことがあった。ある朝、妻が娘を公園に連れて行くと、老齢でみすぼらしい身なりをし、歯が全て皆抜け落ちた様なホームレスの男性が娘を可愛がりに近づいてきた。彼は彼女らがトルコ人であることを知ると、“あなた方は我らの同胞をイランで救ってくださった”と例の事件について説明。しばらくその場から姿を消すや、5分くらいで戻ってきて、ポケットの中の僅かな所持金で店から買ってきたであろうスナック菓子を、娘に与えたのだ。
※いやいや、これはないだろうw。まさに保守派の人たちが言っている通りで、“作る会”の教科書を読んだり、“チャンネル桜”を見たりしていない普通の日本人は“テヘラン事件”なんて知らないわけで。この人は“テヘラン事件”が1980年以来、日本人の間でずっと語り継がれてきたかのように誤解しているようです。でも一部の日本人もトルコ人について同じことを言っているわけだから、仕方ないか。
まあ、こんな感じで、あちらの人は話すにせよ書くにせよ、妙なサービス精神を発揮して話を膨らますことが非常に多いw。これはトルコ人の読者向けに話を面白くしているわけですよ。例の、元駐日大使が言いだしたという“エルトゥールル事件の恩返し”説も、最初に出てきたのは日本人相手の講演の場だったといいますから、多分こんな感じだったのではないでしょうか?
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こういうのを読んでると、やはり“百年間恩義を忘れないトルコ人”説は、保守派の人たちの単なる願望の投影ではないかと思えてくるのです。
エルトゥールル号事件とテヘラン事件、それに今回の銅像事件の間の因果関係を本気で信じている人というのは、一体トルコをどういう国だと考えているのでしょうか?
何しろ、百年近く前の海難事件とその際に外国人から受けた恩義の記憶が連綿と受け継がれ、子供ですら知っていたりする国です。あたかもその間、トルコ社会には何ら変動がなく、時間が止まっていたかの如し。そして、そこに住む人々は善良で純朴であり、日本についてはエルトゥールル号事件以来というもの、ロシアに戦争で勝ったとか、何故かそういうプラスの情報しか得ていない。それゆえに日本人のことを大層尊敬している。実に親日的だ。
….って、どれだけ辺鄙な所にあるんですか?トルコは?絶海の孤島とかですかね。
ところが、最近になって日本に彼らが崇拝する神像を送ってみたところ、それが地震で転倒。そのまま放置されてしまった。怒り狂ったトルコ人は、一瞬にして“反日国民”になってしまいましたとさ…。.
善良と言うよりは、何だか物凄く頭が悪そうです。“トルコ人、嘘ツカナイ”とか、“俺、オマエ、好キー”みたいに助詞抜きの日本語を喋りそうな、そういうイメージですね。自分の知っているリアルなトルコやトルコ人とは、大分感じが違う。というか、こんなトルコ人いないよw。今回の騒動でこんな風に考える日本人が増えてしまったとしたら、彼らが気の毒でなりませんw。
でも、件の自己の願望をトルコ人に投影したい人たちにとっては、多分そういうことはあまり関係が無いのかもしれない。だからこそ、大してウラも取らずに“トルコ人の対日感情が悪化している”なんてことが書けたり、言えたりするんでしょう。彼らに必要なのは、ただかつての大日本帝国の善き行いを証言し、彼らに自信をもたらしてくれるような他者なのだと思います。芝居のカキワリのようなものだと言ったら、言いすぎでしょうか?恐らく、ここでの“トルコ人”を“台湾人”や“インド人”に入れ替えてもそのまま話が通るのではないか?
エルトゥールル事件に関わった明治人は、別にトルコ人から何らかの見返りを期待していたわけではないはずです。串本の人々は単に目の前の死にそうな人々を助けただけなのだろうし、日本中の救援募金に応じた人々も、異境に殉じた船乗りたちをただ気の毒に思ったからでしょう。政府が乏しい予算を割いて生存者をトルコに送ったのだって、確かにその目的の半分は海軍の遠洋航海の訓練であったかもしれませんが、残りの半分は純粋な善意であったと思われます。
そうした彼らの侠気は、それ自体で誇るに値しますよ。わざわざ脳内で、それを担保するための“親日的で義理堅いトルコ人”をでっち上げる必要などまったくない。
それと同じで、今の日本というのは無理して「親日国」を作り出さねばならないほど世界から孤立しているでしょうか?また、近代日本の歴史や文化も、これを褒めてくれるギャラリーが居ないと自信がもてないような、そういうシロモノでしょうか?
自分は全然そうは思いません。
もしそうした認識を持つ人々が居るとしたら、彼らこそ文字通りの“自虐史観“に囚われた人々でしょうね。
→(5)に続く
→(2)からの続き
“ラディカル”紙やこの“ワタン”紙の記事を引用した掲示板は他にも沢山ありましたが、こちらが見た限りでは、コメントの内容は大方同じでした。件の銅像事件について日本人を非難するようなものや、ナショナリズムを煽るような記述は全く見受けられません。
そういうのはあくまでネット上の話であって、現実社会だと事情は違うのではないか?と言う方もあるかもしれませんが、これらの会社が実際に出している新聞の記事にしても、内容は基本的に同じであるはずなのです。 それに、十数年前ならいざ知らず、ある程度ネットが一般にも普及しつつあるトルコ社会で、ある国に対するイメージを一変させるような事件が、ネット界に一切反映されないことなんてあり得ない。
たとえば、2006年2月にデンマーク等で起こった“ムハンマド風刺漫画化事件”なんかが良い例です。偶像崇拝を禁じるイスラームにおいては、預言者ムハンマドやアッラーを具象化することは固く禁じられているわけですが、デンマーク等の新聞がその禁を破り、ムハンマドを使ったカリカチュア(戯画)を掲載。それが世界のメディアで報道されるや、イスラーム世界全体で大きな反発が起きました。
世俗化が進んでいるはずのトルコも例外ではなく、激昂したムスリムたちによる“反デンマーク・デモ”が幾度となく繰り返されたのでした。
↓参考:当時のトルコの新聞記事の和訳
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News200625_1844.html
その際の写真なんて、ネット上で検索すればいくらでもでてきますし、
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2024987/318171?pageID=1
また、検索エンジンにトルコ語で“デンマーク、ムハンマド、戯画”と入力して検索すれば、新聞記事や掲示板はいくらでも引っかかります。そして、そのいずれにも山のように“熱い“コメントがついている。件の“銅像事件”とは大違いです。
まあ、“戯画事件“の報道は2006年の2月、“銅像事件”は2007年の10月“と時間的な差はありますけど、どちらも1年半以上の時間が経っているわけで、影響力の多寡を比べるには十分な時間ですよ。
トルコに於いて、件の銅像の件で日本について特別ネガティヴな報道はなされていないか、あるいはなされていたとしても、ほとんど世論に影響が無かった、とみなしてよいのではないでしょうか?
そもそも、産経の記事にあった“英BBC放送の調査で、世界有数の親日国トルコの対日感情が年々悪化し、今年は「肯定的30%、否定的47%」と大きく逆転している”というのも、ソースとなったレポートをよく見てみれば、アンケートの設問は“ある国が世界に良い影響力を与えているか否か”であって、別に“好き嫌い”ではありません。しかも、2009年の調査において、トルコの場合はいずれの国についても“否定”の割合が高い。肯定度の高さから言えば、日本のそれは全体で上から4番目とか5番目くらい。高めです。
↓参考:BBCのレポート(2009年2月)
http://www.worldpublicopinion.org/pipa/pdf/feb09/BBCEvals_Feb09_rpt.pdf
それにも拘わらず、単に日本に対する“肯定“度の数値が前年に比べて下がっている点だけを取り上げて、“トルコの対日感情が年々悪化”している“と決めつけるのは、はっきり言って、想像力が豊かに過ぎると言わざるを得ないでしょう。他の国の“肯定”度も下がり続けている点については、一体どのように解釈するのか?
自分が思うに、そういう錯覚が生じるのは、恐らくその人の意識の中に産経新聞言うところの“トルコ=屈指の親日国”という強固な思い込みがあるからではないでしょうか?トルコにとって、何故か日本は常に特別な存在であらねばならないわけです。
あちらに住んだことのある人なら分かると思いますが、別にトルコ人は特別に“親日的”という訳ではない。基本的に、彼らは遠来の珍客に対しては相手が何人であろうが友好的です。田舎の方に行けば行くほどその傾向は強くなりますが、そういう所で日本人の受けが良いのは、明らかに見てくれが違ってて、彼らにとっては珍しいからだと思われます。相手が中国人であれば「親中的」になるだろうし、モンゴル人であれば「親モ(“蒙”ではなく、あくまで“モ”)的」になるでしょう。
また、客人の出自や出身地について、持てる限りの知識をそれこそ“総動員”して褒めまくるのもあちらでの“礼儀“です。それが教育の程度の高い人間であれば“日本の経済・技術力”だとか“言語的な日土同祖論”みたいなことが話題となり、それが一般庶民であれば、“ソニー製品”とか“ジャッキー・チェン”となるわけです。
で、今から40年とか50年以上前に彼の地を訪れた日本人が、たまたま日露戦争とかエルトゥールル号事件のことを話題に出来るような世代のインテリと会って、それを真に受けて本にも書いた、と。
後にそのイメージが一人歩きして、日本の保守派の間に、“何やら、西方のどこかに戦前の大日本帝国を全肯定してくれる国があるらしい”という話があたかも“プレスター・ジョン伝説”のように広まってしまった、というのが実情ではないかと思われます。元々あまり日本と関係の無い国ですから、好き勝手にイメージされ易い。
自分などは、「遠くて近い国トルコ」をはじめとする大島直政氏の一連の著作が元凶(とか言ったら大げさですが)だと睨んでいるのですが....。
まあ、そうした諸々のことから推測するに、結局のところ、“アタテュルク銅像事件がトルコ人の対日感情を悪化させている”という説は、“単なる日本人の側の思い込み”である可能性が高い。
産経とかこの運動をやっている人たちの意識の中では、
銅像事件がトルコのメディアで報道された
↓
それは日本人を責めるものに違いない
↓
そのために、トルコでは現在大規模な反日キャンペーンが進行中
↓
トルコ人の対日感情、大幅に悪化
↓
そして伝説へ......
と、あちらでの報道を何ら具体的に検証することなしに、ひたすら悲観的な妄想を拡大しては、そもそも一般に存在するかどうかも怪しい親日感情が損なわれるのを憂い、大騒ぎしていると言うことになりそうです。
トルコ大使館が絡んでいる以上、一応“国際問題”には違いないのですが、その本質においては“国内問題”のようにも思えますね。ついこの間の“フィレンツェ女子大生落書き事件”と同じで、問題はあくまで日本社会の内側で人々の道徳心を満たすことにあるのであって、具体的な現地の人間との関係の修復や改善とかは二の次のような…..。もし今回の銅像移転運動が失敗したとしても、普通のトルコ人の対日感情は大して変わらないかもしれません。
誤解の無いように書いておくと、個人的には“銅像の移転”自体は意味のあることだと思っています。あれは串本に建てられるべきだ。運動を主導している人々の善意も本物でしょう。ただ、日土双方でそれをメディアが政治的に利用しようとしていることにどうも違和感を感じるわけです。それについては、また後ほど。
→(4)につづく