に参加しましたので、簡単にレポート。今回もメモは取っていません。記憶だけで勝負! 後日、ちょこちょこ追加訂正する予定。
(しかし今回は、隣席の男性のとんでもない行為のせいで、あまり集中できませんでした・・・ああもう、思い出しても入力してても腹の立つ〜! 念のため、チ×ン行為ではありませんので)
多少は正確な発言ではなかったところも当然ありますが、最低限のニュアンスだけは汲み取れるよう努めますので、ご了承を。
だけど私が高村さんの「お話」を聴きに行く時は、どうしてこんなに天気が良くないんでしょう?
昨年の朝日カルチャーセンターは曇天、今年11月の図書館での鼎談は曇天から雨天、そして今日は雨!
まあいいか。高村作品にしばしば印象的な場面で登場し、描写されている「雨」を体感しているのだと思えば。
***
12時10分に会社を出て、昼食とって、本屋さんで「新潮」2007年1月号を買って(999円で買えた・笑)、京都に向かいました。
もちろん電車内で読むのは 「太陽を曳く馬」。(第四回目の感想・雑感等は、次回記事以降にさせて下さい)
しかしちょっとだけコメントさせていただくと、何で私の目と指は、義兄をすぐさま見つけてしまうんだか。今回の義兄は、そのスジの方々はさぞ色めき立っていることでしょう〜♪(←私も電車内でなかったら、のたうちまわっていたことは確実) あとは合田さん、あんたホンマに記憶力は大丈夫か!?
それを読了後は、『新リア王』(下巻) (新潮社) の続き。大阪〜京都間の往復で、かなり読み進めることが出来たので、明日には読了予定。一年前に読んだ時、英世の中の最大の爆弾をくらった衝撃は、今回も有効でした。(←この意味は読んだ方にしか分からない)
JR京都から東本願寺前のバス停へ向かい、臨時バスに乗って東山浄苑へ。
会場の正面入口には、新潮社の佐藤隆信社長からのお花が飾られてました。
午後三時半の開演よりも1時間も早く到着したので、いただいた資料を読んだり、「新潮」2007年1月号の興味のあるものを読んだり、『新リア王』(下巻)の続きを読んで時間を潰しました。
(いただいた資料の写真は、後日載せます。私のデジカメ、妹が研修旅行に持って行ってしまったので、帰宅するまで撮影できないのです)
午後三時半前、先導役の方に続いて、財団法人 本願寺維持財団の大谷暢順理事長、受賞者の高村薫さん、加賀乙彦さん、黒井千次さん、瀬戸内寂聴さん、中西進さんが、客席のど真ん中の通路(!)を歩いて壇上へ。これにはちょっとビックリ。
高村さんは落ち着いた深い黄色・・・色づいたイチョウの色、といった方がいいんだろうか(苦笑)、そんな色のジャケットに、ベージュ色のスカート。(照明の関係で、ちょっとは違うかもしれませんが)
資料に式次第が記された紙がありましたが、それを元に授賞式は進行していきました。
入場 → 開会の辞 → 御本尊礼拝(阿弥陀如来と親鸞聖人の像) → 真宗宗歌(楽譜も資料の入っている封筒の中にありました) と進行し、大谷暢順理事長による主催者の挨拶。
「第四回目にして、初めて仏教をテーマにした小説が受賞されたことは喜ばしいことです」 という内容を話されてました。
続いて、賞状・記念品の贈呈。記念品は親鸞聖人を刻印したメダルだそうです。
式次第では、次に来賓祝辞とありましたが、ありませんでした(苦笑)
祝電披露は4通。最初に文化庁長官、○○寺のお偉いさん(←ごめんなさい、忘れました)、●●さん(←ごめんなさい、これも忘れました)、最後に◎◎党の武×元幹事長!(←伏字の意味なし) 正直なところ、最後のこの名前で、真ん中の祝電の差出人のお名前を忘れてしまいました・・・。
京都市長からのメッセージも読み上げられましたが、これは資料に入ってました。
授賞式のクライマックス、受賞者の挨拶。高村さん、まずは受賞のお礼を述べられました。その後、司会進行の方にちょっと耳打ちされてから、ご自身のお席へ。挨拶の内容をメモした紙を取りに戻ったのです。
「最初に受賞のお知らせをいただいた時は、これは何かの間違いではないかと。どのような賞かと知ってからは、再度、これは何かの間違いではないかと」
思われたそうです。時々メモを見てはゆっくりと語られる高村さんのお姿は、受賞に戸惑いつつ、この場にいることの不思議さを体現しているかのようにも感じられました。
花束贈呈の後、10分間の休憩。そして司会進行に高橋千劔破(ちはや)さんを迎えて、公開座談会が始まりました。
※以下、12/8(金)〜12/9(土)にかけて、追加修正しています。思い出したら、後日追加する予定。
※※12/9(土)〜12/10(日)にかけて、追加修正。
選考委員の方々の論評・感想、高村さんへの質問等は、五十音順に加賀さん、黒井さん、寂聴さん、中西さんの順番で行われました。
(注:各選考委員の方々の発言と順番は、ごっちゃになっているはず。先に謝っておきます。但し寂聴さんについては、かなり正確もしれません。だって大絶賛されていたんですもん)
「座談会」というよりは、選考委員と高村さんの間でかわされた「質疑応答」のような状態でした。
司会進行の高橋さんが「論評・感想は5〜6分くらいで」とお願いしていたのですが、お一人につき軽く10分、喋るわ、語るわ(苦笑)
加賀さん:「政治、宗教、経済、世界情勢、原発などが詰め込まれて、書き込まれている。その力量がすごい」
「父と子が三日間、それぞれに語り合うという形式の小説。政治、特に保守党をここまで描いた小説と、仏教の二本立てで描かれたこのような形式の小説というのは、日本にはなかった。どうしてこういうものが書けたのか、お聞きしたい」
高村さんに最も席が近かった加賀さんが、高村さんを見つめている表情は、「なぜ? どうして?」という感情が溢れていたように思えました。まるで、今まで離れて暮らしていた娘が、自分の知らない娘として目の前に現れた父の心境・・・といえば、あたらずといえど遠からじ?(苦笑)
初めて会ったと仰っていたので、ご本人をご覧になって、さぞ驚かれたのだと思われます。作品の内容からすると、お会いする前は「怖い方、厳しい方」と思われるみたいですね。そしてお会いになって、良い意味でそれが否定されて、驚愕なさる、と。
11月の鼎談でも、多田さん・佐藤さんも仰っていましたからね。
(先日第59回野間文芸賞を受賞された)黒井さん:「《野間宏を語る会》と集まりがあり、1996年に参加された高村さんの語られたことが残っています」(と、内容をご紹介して下さいました。「今日から悠々」に掲載されたエッセイ「本のある風景」第五回で綴られていた内容と、ほぼ一緒でした)
「話されている内容を聞いていると、知性のある方だな、というのが分かります。こういう作家は、滅多にいない」
黒井さんの「知性のある作家」というご発言に、私も目から鱗が落ちました。ああ、私が高村作品を読み続けてこれた主因は、これだったのか、と。
巷で話題の有名作家とその作品や、巷で話題のベストセラー本には、見向きもしない私。自分の感性に合うもの、興味のあるものを見つける選択眼に、積み重ねてきた経験と自信はあるので(稀にハズレはありますけど)、読むのは時間の無駄と思われる作品には、手を出しません。私にとって読む本を選ぶという「主柱」の一本が、「作家に知性があるか否か」・・・ということなのかもしれません。
読むたびに考えさせられる内容がある小説なんて、そうは多くないもの。
寂聴さん:「高村さんが受賞されて本当に嬉しい。初めて読んだのが『レディ・ジョーカー』 (毎日新聞社)で、面白くてページを繰るのが止められない。締め切り前に読んだので、止められなくて困った」
「日本の<小説>は紫式部から始まりました。高村さんはその流れを受け継いでいる。日本の文壇・・・なんてものがあるかは分かりませんが、これからの文壇になくてはならない人」
「推理小説は書かないとのことですが、それはもったいない。書いて欲しい。それから、恋愛小説も書いて欲しい。うっとりとロマンチックな恋愛小説を。私が生きている間に読めるかどうか分かりませんが、読みたい」
「新聞記事のコメンテーターとしても良く拝見しますが、その内容は穏当です。しっかりした内容を主張しているからどんな怖い女性なのかと思ったら、こんなかわいらしい女性なんですからね」
「『新リア王』は仏教を描写しているという理由で、今回の受賞作に選んだのではありません。また、私が僧籍の身だから、親鸞賞の選考委員になったのではなくて、一人の作家として選考委員を務めています」
「読者が読みたいことと、高村さんが書きたいことと、隔たりがあるようですが、読み手のことは考えておられないのですか?」
「愛読者」としてのコメントを繰り広げていた寂聴さん。
四人の選考委員の中で、最も『新リア王』を推したのは誰だろう・・・と事前に考えていたのですが、やはり寂聴さんでしたね。(黒井さんも、そうコメントされていた)
だって寂聴さん、お好きな気がしましたもん。ひょっとして「榮パパってセクシー」 あるいは「彰之が好みだわ」・・・と思ったかもしれませんし(苦笑)
中西さん:「わずか三日間の物語ではありますが、『ユリシーズ』の流れを受け継いでいるのかとも思えば、過去を遡っていくという手法は『失われた時を求めて』の系統も受け継いでいるように思えました」
「唯一感じた不満は、福澤榮という代議士が、ある時点で人格者でありすぎた部分。もっと悪に徹しても良かったんじゃないか」
「寂聴さんが恋愛小説を書いて欲しい仰ってますが、私はあえて、テーマを決めなくてもいいのではないかと思います。書きたいものを書いて下さい」
前者三人の選考委員は「作家」であられるが故、その前提を含めたコメントをされているなあ、と思うのに対して、中西さんはまた違った視点からコメントされておられたのが印象的でした。
ご指摘の榮パパのキャラクター、クライマックスでは確かに感情移入してしまいたくなるんですよ(苦笑) (12/8(金)に『新リア王』の再読が終了したばかりなので、余計に中西さんの言いたいことが分かります)
それではお待ちかね、高村さんのご発言集を思い出せるだけランダムにご紹介。初回にアップした「あの単語」も、改めて・・・。後で思い出しましたが、もう一つビックリすること請合う「ある単語」も発言されておりました。
「わたくしの場合は、たまたまなんです。青森でこういう家があるよ、とご紹介されたのが福澤家のモデルになったところで、明治時代から貴族院議員を代々輩出していた、政治家のお宅なんですね。その隣に曹洞宗のお寺があるとご紹介されまして、それが普門庵のモデルになったお寺なんです。たまたまそこが浄土真宗でしたら、浄土真宗を描いていたでしょうし、たまたま曹洞宗だったので、曹洞宗を描いた、と」
「わたくしがエンターテインメント出身で良かったな、と思うのは、ジャンルにこだわらずに書くことが出来るということです」
「『新リア王』を書いている時は、誰がこんなものを読んでくれるのか、と思っておりました。それが受賞作に選ばれたということは、今も戸惑っております」
「読み手のことを考えないのかというご質問ですが、わたくしの作品を読んでくださる読者の方には、ただ一つ、忍耐 (←あえて強調しました)をお願いしたいですね」
(再三、寂聴さんに「恋愛小説を読みたいから書いて欲しい」と乞われて) 「『太陽を曳く馬』の次に書きたいと思っているのは、<喜劇> なんです」
「わたくしは、自分から最も遠いところにあるもの・苦手なものを見つけて、小説を書いています。『新リア王』では政治と宗教が、わたくしから遠いもの・苦手なものだったのです。次に書きたいと考えている、遠いもの・苦手なものは、<お笑い> なんです。それに挑戦したい」
はい、ここまで読まれた皆さん、大丈夫でしょうか?
あえて隠し字にしたこの二つの単語、私の聞き間違いではありませんからね!
<喜劇> と <お笑い> 。確かに高村さんは、最低2回はこの二つの単語を発言されておりました。
寄せて返す波のような静かなパニックに陥った私は、昨夜「・・・ま、まさか義兄弟で・・・?」・・・と、うろたえた書き込みをしてしまいましたが、一夜明けて改めて冷静さを取り戻してみると、「そんなわけないやろ!」と一人ツッコミする始末(苦笑) 十中八九、新たなキャラクターたちを創造されるはず。
全ては、「太陽を曳く馬」が完結して、単行本発売。続いて文庫版『レディ・ジョーカー』が発売された後のこと、でしょう。・・・何年後になるかはまったく分かりません。
だけど、それでも、私は読んでみたい。読みますとも。常に新たなジャンルに挑まれる「高村薫」という作家から紡ぎだされる作品を、読みたいから。
読み手の陳腐な想像よりも、遥かに上をいくレベルの高さを保持している作品を、これまでに作り上げられてきた方なのですから、読む価値も待つ価値も充分あります。
連載中ということもありますし、「太陽を曳く馬」 以後の話題については、ここで一旦、封印しましょう。
もしかしたら、違う鉱脈を見つける可能性もあるわけですから(寂聴さんご発言の「恋愛小説」等)、あまり大げさに騒ぎ立てるのもどうかとも・・・。(自分で書いといてなんですが。だって一人でしまいこんでしまうには、あまりに衝撃的なご発言だったので・・・)
寂聴さんに「恋愛小説を」と何度も何度も言われたので、思わず本音をポロッとこぼしてしまったのだろうなあと、今なら思いますが。
この記事以降、上記発言についての話題は出来るだけ取り上げないようにしますので、ご了承下さいませ。
(但しこの記事についてのコメントと、メールでは別ということで(苦笑) 昨日の今日なのに、反響の凄さに驚いてます・・・)
最後に高村さんがコメントをされて、座談会終了、退出。今度は下手側から舞台を下りてゆかれました。
この後は、関係者・特別招待者の皆さんでパーティーが催されることになっていましたので、一般参加者もここで会場を後に。
会場の出入口で販売していた『新リア王』、誰か買われたんだろうか?
(だってどうみても寂聴さん(のお話し)がお目当てと思われるおばちゃんが、多かったんだもん!)
あ、当然のことながら、TVのカメラが回ってましたし、新聞・雑誌、あるいはHPに掲載するための写真を撮影しているカメラマンさんも、たくさんおりました。
それでですね。8日(金)に京都テレビで放映されたと、こちらのブロガーさんの記事 で知りました。
うっそー! 私、7日(木)当日夜のニュースでの放映だとてっきり思いこんでいて、放映されなかったので、「あれ?」と思っていたんだけど、翌日の8日(金)だったのか! うわーん、悔しい! 見逃したよー!(残業してから帰宅した時には、母が別番組見ていたが)
参考HP
第四回親鸞賞の授賞式と公開座談会
***
冒頭に記した「隣席の男性のとんでもない行為」というのは・・・受賞式や座談会のデジカメで動画撮影するわ、携帯電話で撮影するわ、挨拶や座談会を録音するわ、の不法行為。たとえ主催者側から注意がなくても、普通はやったらアカンのとちゃうの? 某動画サイトに流す気? しかも動画撮影終わるたびにヘンな音楽が大きな音で流れるので、気になって仕方がない。
休憩時間中、注意しようかと思ったら、隣のおばちゃんに「それって盗撮とちがうの? 許可とってるの? とらんとアカンのとちがうの?」と問い詰められていた。男性は「ええ、はい、まあ、そうですね」とのらりくらりと返答の上、ちっとも悪びれた様子がない。次第に話題を逸らしつつ、おばちゃんと世間話をし始めていた。もっと頑張れ、おばちゃん! ごまかされるな!
しかしどうみても、四人の子供がいる(と、おばちゃんに語っていた)大人のやる行為ではありませんね。ああ、不快だった!
(しかし今回は、隣席の男性のとんでもない行為のせいで、あまり集中できませんでした・・・ああもう、思い出しても入力してても腹の立つ〜! 念のため、チ×ン行為ではありませんので)
多少は正確な発言ではなかったところも当然ありますが、最低限のニュアンスだけは汲み取れるよう努めますので、ご了承を。
だけど私が高村さんの「お話」を聴きに行く時は、どうしてこんなに天気が良くないんでしょう?
昨年の朝日カルチャーセンターは曇天、今年11月の図書館での鼎談は曇天から雨天、そして今日は雨!
まあいいか。高村作品にしばしば印象的な場面で登場し、描写されている「雨」を体感しているのだと思えば。
***
12時10分に会社を出て、昼食とって、本屋さんで「新潮」2007年1月号を買って(999円で買えた・笑)、京都に向かいました。
もちろん電車内で読むのは 「太陽を曳く馬」。(第四回目の感想・雑感等は、次回記事以降にさせて下さい)
しかしちょっとだけコメントさせていただくと、何で私の目と指は、義兄をすぐさま見つけてしまうんだか。今回の義兄は、そのスジの方々はさぞ色めき立っていることでしょう〜♪(←私も電車内でなかったら、のたうちまわっていたことは確実) あとは合田さん、あんたホンマに記憶力は大丈夫か!?
それを読了後は、『新リア王』(下巻) (新潮社) の続き。大阪〜京都間の往復で、かなり読み進めることが出来たので、明日には読了予定。一年前に読んだ時、英世の中の最大の爆弾をくらった衝撃は、今回も有効でした。(←この意味は読んだ方にしか分からない)
JR京都から東本願寺前のバス停へ向かい、臨時バスに乗って東山浄苑へ。
会場の正面入口には、新潮社の佐藤隆信社長からのお花が飾られてました。
午後三時半の開演よりも1時間も早く到着したので、いただいた資料を読んだり、「新潮」2007年1月号の興味のあるものを読んだり、『新リア王』(下巻)の続きを読んで時間を潰しました。
(いただいた資料の写真は、後日載せます。私のデジカメ、妹が研修旅行に持って行ってしまったので、帰宅するまで撮影できないのです)
午後三時半前、先導役の方に続いて、財団法人 本願寺維持財団の大谷暢順理事長、受賞者の高村薫さん、加賀乙彦さん、黒井千次さん、瀬戸内寂聴さん、中西進さんが、客席のど真ん中の通路(!)を歩いて壇上へ。これにはちょっとビックリ。
高村さんは落ち着いた深い黄色・・・色づいたイチョウの色、といった方がいいんだろうか(苦笑)、そんな色のジャケットに、ベージュ色のスカート。(照明の関係で、ちょっとは違うかもしれませんが)
資料に式次第が記された紙がありましたが、それを元に授賞式は進行していきました。
入場 → 開会の辞 → 御本尊礼拝(阿弥陀如来と親鸞聖人の像) → 真宗宗歌(楽譜も資料の入っている封筒の中にありました) と進行し、大谷暢順理事長による主催者の挨拶。
「第四回目にして、初めて仏教をテーマにした小説が受賞されたことは喜ばしいことです」 という内容を話されてました。
続いて、賞状・記念品の贈呈。記念品は親鸞聖人を刻印したメダルだそうです。
式次第では、次に来賓祝辞とありましたが、ありませんでした(苦笑)
祝電披露は4通。最初に文化庁長官、○○寺のお偉いさん(←ごめんなさい、忘れました)、●●さん(←ごめんなさい、これも忘れました)、最後に◎◎党の武×元幹事長!(←伏字の意味なし) 正直なところ、最後のこの名前で、真ん中の祝電の差出人のお名前を忘れてしまいました・・・。
京都市長からのメッセージも読み上げられましたが、これは資料に入ってました。
授賞式のクライマックス、受賞者の挨拶。高村さん、まずは受賞のお礼を述べられました。その後、司会進行の方にちょっと耳打ちされてから、ご自身のお席へ。挨拶の内容をメモした紙を取りに戻ったのです。
「最初に受賞のお知らせをいただいた時は、これは何かの間違いではないかと。どのような賞かと知ってからは、再度、これは何かの間違いではないかと」
思われたそうです。時々メモを見てはゆっくりと語られる高村さんのお姿は、受賞に戸惑いつつ、この場にいることの不思議さを体現しているかのようにも感じられました。
花束贈呈の後、10分間の休憩。そして司会進行に高橋千劔破(ちはや)さんを迎えて、公開座談会が始まりました。
※以下、12/8(金)〜12/9(土)にかけて、追加修正しています。思い出したら、後日追加する予定。
※※12/9(土)〜12/10(日)にかけて、追加修正。
選考委員の方々の論評・感想、高村さんへの質問等は、五十音順に加賀さん、黒井さん、寂聴さん、中西さんの順番で行われました。
(注:各選考委員の方々の発言と順番は、ごっちゃになっているはず。先に謝っておきます。但し寂聴さんについては、かなり正確もしれません。だって大絶賛されていたんですもん)
「座談会」というよりは、選考委員と高村さんの間でかわされた「質疑応答」のような状態でした。
司会進行の高橋さんが「論評・感想は5〜6分くらいで」とお願いしていたのですが、お一人につき軽く10分、喋るわ、語るわ(苦笑)
加賀さん:「政治、宗教、経済、世界情勢、原発などが詰め込まれて、書き込まれている。その力量がすごい」
「父と子が三日間、それぞれに語り合うという形式の小説。政治、特に保守党をここまで描いた小説と、仏教の二本立てで描かれたこのような形式の小説というのは、日本にはなかった。どうしてこういうものが書けたのか、お聞きしたい」
高村さんに最も席が近かった加賀さんが、高村さんを見つめている表情は、「なぜ? どうして?」という感情が溢れていたように思えました。まるで、今まで離れて暮らしていた娘が、自分の知らない娘として目の前に現れた父の心境・・・といえば、あたらずといえど遠からじ?(苦笑)
初めて会ったと仰っていたので、ご本人をご覧になって、さぞ驚かれたのだと思われます。作品の内容からすると、お会いする前は「怖い方、厳しい方」と思われるみたいですね。そしてお会いになって、良い意味でそれが否定されて、驚愕なさる、と。
11月の鼎談でも、多田さん・佐藤さんも仰っていましたからね。
(先日第59回野間文芸賞を受賞された)黒井さん:「《野間宏を語る会》と集まりがあり、1996年に参加された高村さんの語られたことが残っています」(と、内容をご紹介して下さいました。「今日から悠々」に掲載されたエッセイ「本のある風景」第五回で綴られていた内容と、ほぼ一緒でした)
「話されている内容を聞いていると、知性のある方だな、というのが分かります。こういう作家は、滅多にいない」
黒井さんの「知性のある作家」というご発言に、私も目から鱗が落ちました。ああ、私が高村作品を読み続けてこれた主因は、これだったのか、と。
巷で話題の有名作家とその作品や、巷で話題のベストセラー本には、見向きもしない私。自分の感性に合うもの、興味のあるものを見つける選択眼に、積み重ねてきた経験と自信はあるので(稀にハズレはありますけど)、読むのは時間の無駄と思われる作品には、手を出しません。私にとって読む本を選ぶという「主柱」の一本が、「作家に知性があるか否か」・・・ということなのかもしれません。
読むたびに考えさせられる内容がある小説なんて、そうは多くないもの。
寂聴さん:「高村さんが受賞されて本当に嬉しい。初めて読んだのが『レディ・ジョーカー』 (毎日新聞社)で、面白くてページを繰るのが止められない。締め切り前に読んだので、止められなくて困った」
「日本の<小説>は紫式部から始まりました。高村さんはその流れを受け継いでいる。日本の文壇・・・なんてものがあるかは分かりませんが、これからの文壇になくてはならない人」
「推理小説は書かないとのことですが、それはもったいない。書いて欲しい。それから、恋愛小説も書いて欲しい。うっとりとロマンチックな恋愛小説を。私が生きている間に読めるかどうか分かりませんが、読みたい」
「新聞記事のコメンテーターとしても良く拝見しますが、その内容は穏当です。しっかりした内容を主張しているからどんな怖い女性なのかと思ったら、こんなかわいらしい女性なんですからね」
「『新リア王』は仏教を描写しているという理由で、今回の受賞作に選んだのではありません。また、私が僧籍の身だから、親鸞賞の選考委員になったのではなくて、一人の作家として選考委員を務めています」
「読者が読みたいことと、高村さんが書きたいことと、隔たりがあるようですが、読み手のことは考えておられないのですか?」
「愛読者」としてのコメントを繰り広げていた寂聴さん。
四人の選考委員の中で、最も『新リア王』を推したのは誰だろう・・・と事前に考えていたのですが、やはり寂聴さんでしたね。(黒井さんも、そうコメントされていた)
だって寂聴さん、お好きな気がしましたもん。ひょっとして「榮パパってセクシー」 あるいは「彰之が好みだわ」・・・と思ったかもしれませんし(苦笑)
中西さん:「わずか三日間の物語ではありますが、『ユリシーズ』の流れを受け継いでいるのかとも思えば、過去を遡っていくという手法は『失われた時を求めて』の系統も受け継いでいるように思えました」
「唯一感じた不満は、福澤榮という代議士が、ある時点で人格者でありすぎた部分。もっと悪に徹しても良かったんじゃないか」
「寂聴さんが恋愛小説を書いて欲しい仰ってますが、私はあえて、テーマを決めなくてもいいのではないかと思います。書きたいものを書いて下さい」
前者三人の選考委員は「作家」であられるが故、その前提を含めたコメントをされているなあ、と思うのに対して、中西さんはまた違った視点からコメントされておられたのが印象的でした。
ご指摘の榮パパのキャラクター、クライマックスでは確かに感情移入してしまいたくなるんですよ(苦笑) (12/8(金)に『新リア王』の再読が終了したばかりなので、余計に中西さんの言いたいことが分かります)
それではお待ちかね、高村さんのご発言集を思い出せるだけランダムにご紹介。初回にアップした「あの単語」も、改めて・・・。後で思い出しましたが、もう一つビックリすること請合う「ある単語」も発言されておりました。
「わたくしの場合は、たまたまなんです。青森でこういう家があるよ、とご紹介されたのが福澤家のモデルになったところで、明治時代から貴族院議員を代々輩出していた、政治家のお宅なんですね。その隣に曹洞宗のお寺があるとご紹介されまして、それが普門庵のモデルになったお寺なんです。たまたまそこが浄土真宗でしたら、浄土真宗を描いていたでしょうし、たまたま曹洞宗だったので、曹洞宗を描いた、と」
「わたくしがエンターテインメント出身で良かったな、と思うのは、ジャンルにこだわらずに書くことが出来るということです」
「『新リア王』を書いている時は、誰がこんなものを読んでくれるのか、と思っておりました。それが受賞作に選ばれたということは、今も戸惑っております」
「読み手のことを考えないのかというご質問ですが、わたくしの作品を読んでくださる読者の方には、ただ一つ、忍耐 (←あえて強調しました)をお願いしたいですね」
(再三、寂聴さんに「恋愛小説を読みたいから書いて欲しい」と乞われて) 「『太陽を曳く馬』の次に書きたいと思っているのは、<喜劇> なんです」
「わたくしは、自分から最も遠いところにあるもの・苦手なものを見つけて、小説を書いています。『新リア王』では政治と宗教が、わたくしから遠いもの・苦手なものだったのです。次に書きたいと考えている、遠いもの・苦手なものは、<お笑い> なんです。それに挑戦したい」
はい、ここまで読まれた皆さん、大丈夫でしょうか?
あえて隠し字にしたこの二つの単語、私の聞き間違いではありませんからね!
<喜劇> と <お笑い> 。確かに高村さんは、最低2回はこの二つの単語を発言されておりました。
寄せて返す波のような静かなパニックに陥った私は、昨夜「・・・ま、まさか義兄弟で・・・?」・・・と、うろたえた書き込みをしてしまいましたが、一夜明けて改めて冷静さを取り戻してみると、「そんなわけないやろ!」と一人ツッコミする始末(苦笑) 十中八九、新たなキャラクターたちを創造されるはず。
全ては、「太陽を曳く馬」が完結して、単行本発売。続いて文庫版『レディ・ジョーカー』が発売された後のこと、でしょう。・・・何年後になるかはまったく分かりません。
だけど、それでも、私は読んでみたい。読みますとも。常に新たなジャンルに挑まれる「高村薫」という作家から紡ぎだされる作品を、読みたいから。
読み手の陳腐な想像よりも、遥かに上をいくレベルの高さを保持している作品を、これまでに作り上げられてきた方なのですから、読む価値も待つ価値も充分あります。
連載中ということもありますし、「太陽を曳く馬」 以後の話題については、ここで一旦、封印しましょう。
もしかしたら、違う鉱脈を見つける可能性もあるわけですから(寂聴さんご発言の「恋愛小説」等)、あまり大げさに騒ぎ立てるのもどうかとも・・・。(自分で書いといてなんですが。だって一人でしまいこんでしまうには、あまりに衝撃的なご発言だったので・・・)
寂聴さんに「恋愛小説を」と何度も何度も言われたので、思わず本音をポロッとこぼしてしまったのだろうなあと、今なら思いますが。
この記事以降、上記発言についての話題は出来るだけ取り上げないようにしますので、ご了承下さいませ。
(但しこの記事についてのコメントと、メールでは別ということで(苦笑) 昨日の今日なのに、反響の凄さに驚いてます・・・)
最後に高村さんがコメントをされて、座談会終了、退出。今度は下手側から舞台を下りてゆかれました。
この後は、関係者・特別招待者の皆さんでパーティーが催されることになっていましたので、一般参加者もここで会場を後に。
会場の出入口で販売していた『新リア王』、誰か買われたんだろうか?
(だってどうみても寂聴さん(のお話し)がお目当てと思われるおばちゃんが、多かったんだもん!)
あ、当然のことながら、TVのカメラが回ってましたし、新聞・雑誌、あるいはHPに掲載するための写真を撮影しているカメラマンさんも、たくさんおりました。
それでですね。8日(金)に京都テレビで放映されたと、こちらのブロガーさんの記事 で知りました。
うっそー! 私、7日(木)当日夜のニュースでの放映だとてっきり思いこんでいて、放映されなかったので、「あれ?」と思っていたんだけど、翌日の8日(金)だったのか! うわーん、悔しい! 見逃したよー!(残業してから帰宅した時には、母が別番組見ていたが)
参考HP
第四回親鸞賞の授賞式と公開座談会***
冒頭に記した「隣席の男性のとんでもない行為」というのは・・・受賞式や座談会のデジカメで動画撮影するわ、携帯電話で撮影するわ、挨拶や座談会を録音するわ、の不法行為。たとえ主催者側から注意がなくても、普通はやったらアカンのとちゃうの? 某動画サイトに流す気? しかも動画撮影終わるたびにヘンな音楽が大きな音で流れるので、気になって仕方がない。
休憩時間中、注意しようかと思ったら、隣のおばちゃんに「それって盗撮とちがうの? 許可とってるの? とらんとアカンのとちがうの?」と問い詰められていた。男性は「ええ、はい、まあ、そうですね」とのらりくらりと返答の上、ちっとも悪びれた様子がない。次第に話題を逸らしつつ、おばちゃんと世間話をし始めていた。もっと頑張れ、おばちゃん! ごまかされるな!
しかしどうみても、四人の子供がいる(と、おばちゃんに語っていた)大人のやる行為ではありませんね。ああ、不快だった!










それにしても、次回はあれですか?信じられませんね。雄一郎義兄コンビでないことを祈ります
「太陽を曳く馬」まだ読んでいませんでした。
これから図書館へ行ってきます
寂聴さんと高村さんの対話をじかに聞きたかったです。
高村さんの返答どうだったのでしょうか。
記事、追加修正しました。
★パステルさん
もう一つの単語も、ビックリされました?
きっと土曜日には、バイクがやってきますとも!
★野鍛治屋さん
会場にいた人の大半が、寂聴さん目当てだったと思います。拍手がひと際、大きかったですし。
私も、実はお二方の会話が楽しみだったんですよ。
さて、寂聴さんに「恋愛小説を書いて欲しい」と呪文をかけられた(?)高村さんは、どうされるのでしょう。
>参加した甲斐がありました。
私もそれは実感しました。一般人が授賞式に参加できるなんて、滅多にないことですし。選考委員の方々のお名前や作品を、知ったり読んだりしていても、生の声や意見を聞くことも滅多にないですし。
もしも私のレポートの内容に「明らかにこれは違う」というのがありましたら、ご指摘していただけるとありがたいです。
>日本の文壇
『太陽を曳く馬』の連載で、生まれて初めて文芸誌を購読していますが、「こういうものなのか」と目新しい感覚を味わっています。
「文芸」と「小説」は別ものなのか、と。
もしも朝日新聞を購読なさってなかったら、この「天声人語」の内容は、興味をひかれる内容だと思います。↓
http://www.asahi.com/paper/column20061207.html
最後の部分、「増刷は、半分は高村さんのおかげですよ」と心の中でひっそりとツッコミいれずにはいられません(苦笑)
>「日本には文学賞が多すぎる」
これだけありますものね。↓
http://www1.e-hon.ne.jp/content/sp_0030.html
それでもニュースで流れるのは、芥川賞・直木賞だけですから。そして日本人が受賞した時の、ノーベル文学賞くらい?
>15年くらいの間に自分で購入し(しかも2部も!)再読もするのは高村さんの本くらい
私もです〜! 出来るものなら、あの世でも読みたいくらいです。
ご訪問ありがとうございました。よろしければ、またいらして下さいませ。