トラカリコン!

「虎・借り・コン!」。虎の威を借りた狐。虎の威を借りて吠える狐が私…。虎が何であるかは、本人にもわからない。

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矢部宏治著「日本人はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」を読んだ方からの、憲法改正についてのコメントをお待ちしています。 コメント受付用記事 のアドレス http://blog.goo.ne.jp/kanra-toriko/e/a08c500525a4ba2e568012c53edbaa6f

「積極的平和主義」へようこそ(新幹線内での焼身自殺)

2015-07-02 18:35:45 | 政治や経済
71歳の男性が新幹線内で焼身自殺。居合わせただけの女性が亡くなり、他にも負傷者が出た(不運お気の毒でした。あんまりなことです)。

事件を受けて、新幹線、いや交通機関の安全対策やそのメリットデメリットなどが検討されている。車両と駅に然るべき機材や設備を設置する? また、駅員も乗客も点検する?外国の新幹線のようなものでは、乗車前に危険物の持ち込みの有無をチェックしている、と初めて知った(いつからやってるんだろう?)。

本来これは、1年前に集団的自衛権を憲法解釈変更で認めるという閣議決定をきっかけに検討されるべきだった。ましてや、年頭のiSILの事件でテロ事件がひとごとでない、とだめ押しされていたのだ。
もちろん、今回の事件は、生活苦による同胞の自殺ということだそうで、外国テロリストによる攻撃ではない。だが、多くの人に被害を与えるような場所で攻撃者が命を捨てるというのは、自爆テロに近い。


政府は、安保法制を今月15日に強行採決するようだが(維新の党が「責任野党」ぶりを発揮してもらって「強行ではない採決」という体裁を繕うのかもしれない)。そのまま「世界の中央で輝く」べく「積極的平和主義」という路線に乗れば、日本でも自爆テロが起きる確率は高まる。
欧米の戦争に加担し、外国企業を誘致し、受け入れ態勢もろくに整えないまま(IT環境や道路標示などの話ではない。法や社会制度や日本国内での啓蒙の動きはない。外国や外国人へのヘイトスピーチも盛ん)、外国人をなし崩しに増やす。そんな政策をとる政府が将来像をきちんと描いているようには思えない。今回は同胞による無差別殺人的無理心中だったが、その発生確率に外国のテロ組織の活動によるテロの発生率を加えなければならなくなる。
政府がそういう覚悟をしているとは思えない。「安保法制の国会手続きを終える」「時間がたてば今反対している国民もこの法制を忘れる」ということでいっぱいいっぱいだろう(そして、事が起きたら、それを理由に団結と愛国心を煽り支持率を上げるのだろう)。本来は、安保法制11(?)本に加えて、国内でのテロへの安全対策の法やその費用負担も議論されるべき。
これが、世界の「平和」に積極的に関与していくこと。自衛官も国民一般も、関与することへの代償を払う。


先日も書いたが、第2次大戦後にイギリスから独立したアフリカ某国の本を最近読んだ。今、アフリカでもボコ・ハラムなどのテロリストが事件を起こし続けている。アフリカも中東も、欧米諸国がかつて植民地支配をしていた後始末の時代にあるのだと思う。アフリカ・中東・欧米という当事者同士でカタをつけるべき問題であって、日本はどの国の味方をしてもいけない。集団的自衛権を行使するのも、「Aと戦うBを支援する」のもだめだ。・・・私が偉そうに書いていると思う人は、アフリカの国の歴史の本を読んでみてくださいよ。
日本にできることは、どちらの肩も持たずにケンカを止めることだけ。または、関わらないように。例え話をするなら、「道を歩いていたらケンカをしている。どうする?」だな(また、ケンカをしている人達は、嫁と姑かもしれない。日本はそんなにも元宗主国・植民地の国関係から疎遠である、と自覚すべき)。

安保法制に反対でも賛成でも、覚悟しなければならない。今の政府が無自覚なままに日本を導いていく先は、厳しいしめんどくさい。
周囲に無関心にスマホから目を離さないでいるのんびり社会の方が、珍しいかも。

ジャーナリストへの「批判」ー「文化芸術懇話会」(4)

2015-07-02 18:35:28 | 政治や経済
安倍首相も言っていた、非公開の場での発言を取り上げるのはひどい、というような批判。複数のテレビ番組で知ったことだが、「壁耳」という取材方法は昔からあるもの。それが行われるのを承知している国会議員達が、よく言うものです。
では、話のために仮定する。そういう取材が行われるのを知らない国会議員達がいたとして、そういうメンバーが会合し、あのように立ち聞きされた発言内容が記事になるのはどうか? 記者の仕事として当たり前のことだ、と私は思う。政治家も人間であり悪かったり間違ったりするものだ。なのに権力を持つのだから、そういう取材は必要悪。

最近では後藤氏だが、戦場ジャーナリストも批判する人達がいる。自民党の政治家(高村副総裁など)からネット上の匿名の人まで、さほど珍しくもない。そういう人達にとっては、「本当のこと」なんて価値が低いのかな。「本当のこと」を知ろうとしないという自分の怠慢が、何を招くか。そんなことはどうでもいいのか。
戦場ジャーナリストとして働く人達には、その方面に適性があるのだろう。だから、その仕事を続けられる。本人にとっては損な個性かもしれない。真実を追いたい欲があっても、危険や不便さそして報われなさを思うと、ほとんどの人はやめておく仕事だ。
私達の社会は、そういう珍しい特性を持った人達のその持ち味を活かすことで、視野や知見を広げている(戦場ジャーナリストに限らず、スポーツ選手など、何らかの適性を備えた人がそれを発揮する仕事というのはある。他の生物ならこんなには個性を活かせない。それが人間の社会)。

上に書いてきたような2つのジャーナリズムを批判する人達は、どんな取材を理想とするのだろうか。
政府などが公式に発表した事柄・許可された範囲での取材、それらに自分なりの知識や知性を加味して文章化する? 人や自分が集めた「データ」を使って「客観的」に? 池上彰氏のように、開票速報番組という機会を活かし、政治家を軽く挑発して「本音」を引き出す・・・のが、ジャーナリストの「最大限」?
ネットで検索して右な人達提供の情報をみつけ、それを根拠にツイートする。そんな百田氏が「歴史小説も書く作家」として認識される世の中だからなあ・・・。
新鮮なまがいものよりも古臭い本物の方がずっと良い、私はそう思う。誤解される表現かもしれないが、昔のものは読んでいてなんだかケモノ臭い。描かれた社会や人間の生々しさが伝わってくるからだろう。

人間も動物。昨夜など、大西議員が囲み取材されていてどんどん墓穴を掘っていく映像が流れていたが。あのぎらついた目・無駄な凄み方・支離滅裂な語りって、ほんと、テレビ番組出演者の無味無臭度が高まる中で目立つ。場違いでは?と思いつつ、新鮮ではあった。
あの熱意であの方向に頑張る政治家が、自民党の国会議員には百人単位でいるだろう(「文化芸術懇話会」メンバー数の2,3倍とみる。発足直後は様子見をして、良さげなら加盟する議員がいるはず)。ということは、地方議員や自民党支持者など、日本にはあんな感じの人物が百万か千万単位でいる? 自民党は、そういう人達(全員とは言わない)に何らかの利権や地位を与えているだろう。つまり、大西議員みたいな人達が権力を持って日本中に大勢いる。これは手強い。相手が本気ならこちらも本気でなければ、とてもかなわないだろう。

ジャーナリストなら、それを踏まえて取材してほしい。インターネットを使えば、一般人でさえ自分のメッセージを社会に知らせられる。そこにジャーナリストとして敢えて介入する意義とは、何か。

「本当のこと」は簡単にわかるはずがない。世の中を舐めすぎ。
「本当のこと」を相手は必死に隠す。取材する人も必死にならなきゃ。

エッセイストとジャーナリストは区別すべし。