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アン・ヒジョン忠清南道知事~SBSスペシャル 韓国大統領候補の横顔 2

2017-01-22 01:34:09 | 韓国あれこれ

계급장을 떼라

日本でアン・ヒジョン忠清南道知事のことは、あまり知られていないでしょう。ウィキペディアには紹介がありますが、韓国語のページをそのまま翻訳しただけなので、あまりわからないと思います。ので、ちょっと、僕の感想を付け加えながら説明しましょう。

まず、生まれたのが1965年なので、高校入学が1981年。81年とは光州民主化闘争の翌年です。このとき、大田市内の本屋で地下出版物を購入し、これが原因で退学となります。

韓国は90年代の半ばまで、社会主義や共産主義、あるいは労働運動などの社会運動に関連する本は自由に出版できない状況でした。しかし、そんな政治状況でも学生街にある本屋では、80年代後半から90年代の全般にかけて、地下出版物が公然と売っているたぶん唯一の場所でした。とくに多かったのが日本語の本を韓国語に翻訳したもの。1か月ぐらいで先輩から特訓を受け、とにかく読めて意味が分かる能力をつけて、分担して翻訳したという話を聞いたことがあります。ジャンルは幅広く、大月書店や新日本出版からいわゆる全共闘関連の新左翼の本まで、いろいろありました。もっとも、あんまりじっくり見ていると、怪しまれるので、チラチラとしか見ていませんが。

話を、アン・ヒジョンに戻しましょう。大田の高校を退学になったアン・ヒジョンはソウルにきて、高校に入りますが、今度は自主的に退学します。このころ、革命をしないとだめだという考えを持っていたそうで、高校の時からベトナム反戦のデモに参加したことがある僕も、16~17歳ごろに社会的に目覚めたときの興奮と使命感が、非常によくわかります。

韓国の場合、4・19革命のように民主化運動(植民地時代の独立運動も含めて)の主体が学生運動であったので、本格的に民主化運動をするためには大学に入らないとだめだと考え、日本でいう大検試験を受け、高麗大学へ進学します。

実は、僕も1990年から94年まで高麗大学の大学院に通っていて、アン・ヒジョンも92年に復学して94年に学部を卒業したというのですから、同じ時期に通っていたんですね。この文章書きながら、気が付きました。

その後、民主党(いろいろ名前は変わりますが、系譜は同じです)のスタッフ、本人の言葉では職業政治家として活動をはじめ、とくにノ・ムヒョンの片腕として、その能力を発揮します。2002年、ノ・ムヒョンが大統領になった時も政策スタッフの中心として働きますが、企業から献金を受けていたことが選挙法違反となり、有罪・実刑判決を受けます(懲役1年)

2004年には出所しますが、ノ・ムヒョンに迷惑をかけてはいけないとして、一切の公職につきませんでした。ここの部分は説明がいるでしょうが、企業からの献金はどの政党も慣例的に受けていて、グレーゾーンだったようです。結局、ノ・ムヒョンがわの代表として、彼が逮捕され実刑判決を受けるわけです。このとき、彼と一緒に選挙運動を闘った活動家は、みな、それなりのポストについて、自分の政治的能力を発揮します。大統領府に入ったメンバーもいますし、国会議員になるメンバーもいます。アン・ヒジョン一人だけが、例外でした。ノ・ムヒョンがアン・ヒジョンに対して、本当に申し訳ないと泣きながらインタビューに答えているビデオが、ユーチューブにありますので、探してみてください。当時のアン・ヒジョンの状況がどんなものだったのか、想像できます。

その後、政治に復帰し、2010年に忠清南道知事に当選します。このとき、45歳。新しいリーダーとして注目を浴びます。特に、忠清南道は保守的な地域として知られていますが、こんなところに学生運動上がりの知事が誕生したわけですから、当初は大変だったそうです。

冒頭に紹介している映像は、知事の顔をしらない村をさがして、その村に地区長(里長イジャン)に化けたアン・ヒジョンが村のおじいさんやおばあさんにこき使われるという内容です。当時、アン・ヒジョンは40代の後半ですから、知事とは想像もつかないでしょう。

このビデオはテレビ局の番組として作られましたが、かなり頻繁に現場に行っています。2か月に一回は1泊2日の日程で農家たちと合宿して、学んだり討論したり、また要求を聞いたりしているそうです。有機農業で有名なホンソンも忠清南道で、ホンソンの村の施設をこの合宿で使っています。

このように、地方自治体の長としてはかなり高い評価を受け、いま2期目となっています。果たして、今回の大統領選挙に、民主党の候補として立候補できるか難しいですが(今、支持率は5%ぐらいです)若いし、保守的で高齢者の多い忠清南道をまとめ、さまざまな進歩的な政策も交えながら、地方自治体を運営している能力は高く評価できます。たとえば、大きな病院を建てる財政的な余裕がないので、救急車の体制をととのえ、そのうえ、大学病院にドクターヘリを導入させて、緊急医療体制を充実させるという政策は、日本でも参考になりますし、知事と道民が泊まり込んでお互いに討論するというスタイルも見習う点があると思います。

ということで、アン・ヒジョンの紹介はこのぐらいにしておきます。もし、知りたいことがありましたら、メッセージに書き込んでください。さあ、次はだれにしようかな?

 


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