死刑と無期の境〔中〕死刑かどうかの審理に、時間を惜しんではいけない

2010-02-19 | 死刑/重刑/生命犯

死刑と無期の境〔中〕 裁判官は悩みつくした
 死刑と無期懲役。選択の基準はどこにあるのか。
 女子短大生に声をかけて強姦し、生きたまま焼き殺した服部純也死刑囚(37)は2008年3月に刑が確定した。
 03年10月、1審・静岡地裁沼津支部での公判。検察側の死刑求刑を受けた最終弁論で、弁護人を務めていた橋本正夫さん(62)は、服部死刑囚が被害者の遺族にあてて書いた文章を読み上げた。《考えれば考えるほど自分のしたことの重大性に押しつぶされていくようです・・・》
 教えてもいないのに人の心を打つ文章を書けるなら、更生の可能性はある。死で償うより、一生苦しみながら被害者を供養し、罪を償うべきだ---。橋本さんはそう考え、死刑の回避を求めた。
 04年1月の判決は無期懲役を選択した。納得しなかった検察側は控訴した。
 東京高裁の2審。裁判長を務めた田尾健二郎さん(65)は、1審判決を読んで「被害者が1人であることにとらわれすぎて死刑を避けているのでは」と感じた。
 死刑を選択するかどうかを判断する際、裁判官は必ず、1968年に全国各地で4人をピストルで射殺した永山則夫元死刑囚=97年8月に死刑執行=の事件で最高裁が83年7月に示した「永山基準」という9項目に沿って考える。田尾さんは「結果の重大性、特に殺害された被害者の数」の項目を除けば、残り8項目はすべて、死刑選択を促す要素になっていると思えた。
 1審判決は「周到な計画性がない」「殺人の前科がない」といった有利な事情を挙げていた。犯行のひどさと比べると、極刑を避けることが妥当なのか。高裁の3人の裁判官は検察側、弁護側の立場に何度も立って慎重な検討を重ねた。その末に至った結論は「死刑が相当」。05年3月に判決を宣告。最高裁も維持した。
 田尾さんはいま、裁判員に向けて「死刑は被害者の数では単純に決まらない。あらゆる要素を時間をかけて検討し、納得のいく結論がでるまで悩むのが大事だ」と語る。
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 死刑から無期懲役に減刑されたケースもある。
 山口(当時、その後改姓)礼子受刑者(51)は03年1月、長崎地裁で死刑判決を受けた。交際相手の男と共謀し、保険金目的で夫に睡眠薬入りのカレーを食べさせ、海に沈めて殺害。次男にも睡眠薬を飲ませ、水死させた殺人などの罪だった。
 2審の弁護人を務めた弁護士は10回以上、夫と次男の供養のため写経する受刑者と接見した。その中で、夫が家庭を顧みないなか、夫の身内の高齢女性を世話し、女性から信頼されていたことを知った。同受刑者は法廷でもこの介護の話に触れた。
 04年5月の2審判決。福岡高裁の虎井寧夫裁判長(当時)は死刑判決を破棄し、無期懲役とした。夫殺害について「一片の同情があってもよい」とし、次男の殺害も共犯の男が殺そうとするのを度々妨害した点などを理由に挙げた。判決はその後確定した。
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 最高裁が「永山基準」を示した背景には、永山元死刑囚の判決も死刑と無期懲役との間で揺れ動いたことがある。1審・東京地裁は10年に及ぶ審理の末、79年7月に死刑を言い渡した。
 豊吉(とよし)彬さん(80)は判決にかかわった裁判官3人のうちの1人だ。子どもっぽい印象を忘れない。「生い立ちが不遇で、犯行時は19歳だったことから、死刑を避ける理由を探した。『生の反省の声』を聞きたかったが、最後まで出てこなかった」
 2審に移ると、永山元死刑囚は文通していた女性と獄中結婚し、審理に素直に応じた。心境に変化が見えたことを重視した東京高裁は81年8月、無期懲役に改めた。豊吉さんは「(死刑を避ける)いい情状が2審で出てきて、よかったな」と思ったという。
 その後、最高裁は上告審で「永山基準」を示したうえで審理を高裁に差し戻す。90年5月、死刑が確定した。
 豊吉さんはいま、こう振り返る。「なぜ事件を起こしたかを自らみつめ、反省の声が出てくるには、時間がかかる。死刑かどうかの審理に、時間を惜しんではいけない」
 ◎上記事は[朝日新聞]からの転載・引用です (朝日新聞2010/2/16Tue.~18)
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死刑と無期の境〔上〕私の死刑執行をビデオに撮り、死刑とはどんなものか、司法に係わる人に見てほしい
◇ 死刑と無期の境〔中〕死刑かどうかの審理に、時間を惜しんではいけない
死刑と無期の境〔下〕「仮釈放がほぼ認められない現状から絶望し、自殺したのでは」
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1 コメント

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Unknown (金本)
2010-04-30 04:23:16
1996年の沖縄女子中学生拉致強姦強盗殺人で死刑判決が出なかったのは驚きです。

強姦目的で、何の落ち度もない僅か15歳の少女を拉致し、欲望を満たしたら自己保身の為に僅か15歳の少女を人間とは思えぬ残虐な方法で殺害。

被害者の感じた恐怖と屈辱と激痛と絶望を想像すると、この犯人2人を生かそうと決めた裁判長の神経に驚かされる。三島の事件、名古屋の事件の判決と比べて非常にアンバランスだ。死刑回避の理由は、被害者が一人だからという。人によっては、一人ならどんな残虐な事をして殺しても生かしてあげようというメッセージと受け取ってしまう。実際に、刑務所で暮らしたいという動機で、たまたま見かけた非力そうな人を殺害した事件もある。被害者一人の殺人犯の殆どは、死刑基準の甘さに少なからず背中を押されていると思う。

それにしても前述の沖縄の事件は、酷過ぎる。本当に。いい歳の中年男が2人もいて、僅か15歳の少女を、自分達の刹那的な欲望を満たす為だけに、恐怖に陥れて身ぐるみはいで苦しめて屈辱を負わせた挙げ句、幼稚な発想から残虐な殺害方法を思いつき、身も心もボロボロになりながら、せめて命だけは繋ぎとめたいと必死な少女の嗚咽を気にも留めず、それを実行し、自分達の半分も生きていない15年の人生を無理やり終了させ、ゴミのように捨てた。無期懲役では社会復帰が可能だ。社会復帰したら過去を隠さなければ真っ当な道は歩めない。過去を隠そうと思ったら、事件を忘れたくなるだろう。被害者に詫びる気持ちを持ち続ける事は無理だろう。凶悪な過去を隠した人間が、知らぬ内に社会に出続けていると、疑心暗鬼になり、真面目に頑張ろうとするモチベーションも下がって、国も衰えて行くだろう。
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