朝青龍から「横綱の品格とは何か?」と繰り返ししつこく質問を受けた。「日本は社会主義かなと思う」

2010-02-12 | 相撲・野球・・・など

朝青龍 独占インタビュー! 優勝からわずか11日後の「電撃引退の舞台裏」
NHK「追跡!AtoZ」取材班 DIAMOND online 2010年02月12日
 引退会見後、国技館から自宅へと戻る車の中で、NHKの独占インタビューに答える朝青龍。その表情からは、相撲に対する未練も感じられた。
 「この道しかなかったんじゃないですか」
 優勝した大相撲初場所から、わずか11日後の2月4日。第68代横綱・朝青龍が引退した。引退会見後、国技館から自宅へと戻る車の中にいた、NHKのカメラ。朝青龍の単独インタビューを収めた。10分足らずのインタビューの中で、朝青龍は本音を語った。
 「どこかで仕方ないだろうと思う。でも挑戦したかった・・・記録に」
 29歳の横綱は、どんな思いで引退を決断したのか。相撲協会は朝青龍に何をつきつけたのか。そして、朝青龍が相撲界に残した功罪とは――。単独インタビューを軸に、朝青龍・電撃引退の舞台裏をドキュメント。勝負と伝統のはざまに揺れた横綱の実像に迫った。
呼び出しからわずか2時間。朝青龍が引退を決意するまで
 運命の2月4日。日本相撲協会の理事会に呼び出された朝青龍。まさかこの2時間後に引退会見をすることになるとは夢にも思っていなかった。
 単独インタビューの3時間前。朝青龍は国技館に呼び出されていた。行なわれていたのは日本相撲協会の理事会。朝青龍の処分について話し合われることになっていた。理事会では急遽、朝青龍を呼び出して直接話を聞こうということになったのだ。
 初場所で25回目の優勝を果たし、優勝回数で史上単独3位としていた朝青龍。来場所以降に向けて意欲を燃やしていた。それだけにこの日の呼び出しは思いもよらないものだったと言う。理事会からの呼び出しを受けた後、朝青龍からNHKの記者に電話がかかっている。
 「そっちはどんな状況だ? 俺はどんなことを聞かれるんだろう?」
 不安な胸のうちをもらした。
 突然の引退。引き金となったのは、初場所6日目の後。酒に酔った朝青龍が、未明の繁華街で知人の男性に乱暴したとされる問題だ。これまで数々の問題行動が目立っていた朝青龍。今回の問題について、どう責任をとらせるのか。朝青龍を呼び出した理事会は、まず問題の経緯について説明を求めた。
 「酔っていて覚えていない」
 朝青龍はこう弁明した。理事会は納得しない。自らの進退についてどう考えているのか、朝青龍を問いただした。
 「もう少し時間が欲しい」
 最初は落ち着いていた朝青龍の表情は、徐々にこわばっていった。朝青龍が一旦退席した後、返事を待つことなく理事会は決をとった。「引退を表明しなければ解雇する」。外部理事2人を含めた12人の理事のうち、7人が賛成の意向を示した。理事会は、かつてない程の強硬な姿勢を見せ始めていた。
 そこには、日本相撲協会の諮問機関である、横綱審議委員会の意向が関わっていた。昭和25年に発足して以来、一度も出したことがない「引退勧告」が用意されていたのだ。引退勧告書には「朝青龍は横綱の品格を著しく損なっている」との厳しい意見。相撲協会には自浄作用が求められていた。
 理事会からは3人の親方が、別室で待つ朝青龍のもとへ向かった。「このままだと解雇になるぞ」。最後通告が突き付けられたこの時、朝青龍は涙を流したと言う。
 「引退します」
 この日、朝青龍が国技館に来てからわずか2時間の出来事だった。
朝青龍が感じてきた日本社会への違和感
 横綱・朝青龍にとって、日本の社会はどう映っていたのか。
 「民主主義って言うけど、意外と社会主義かなと思う」
 記者は問う。「自分を変えてまで従ったりするつもりはなかったのか」。朝青龍は静かに答えた。
 「好き嫌いははっきりだからね。そういうところを持ちすぎかもしれないけど。合わせることはできないから」
 いったい、「朝青龍」とは何だったのか。朝青龍の歩んできた道、その知られざる素顔に迫るにつれ、垣間見えてきたのは“勝利こそすべて”という相撲哲学と、横綱に求められる“品格”との大きなギャップだった。
 取り組み後に思わず出たガッツポーズをめぐり、大きな物議をかもした。「品格」という言葉を、ここまで突きつけられた横綱はいないだろう。
 闘争心むき出しのにらみ合い。勝負が決まった後に、だめを押すような行為。そして派手なガッツポーズ。朝青龍は「横綱としての品格に欠ける」と度々批判を浴び続けてきた。
 そんな中で、朝青龍が本場所の合間に帰るモンゴル。「思っていることがまっさらになる」という故郷には、モンゴル相撲の名力士だった父と、朝青龍を見守ってきた母がいる。両親は、朝青龍の品格が取り沙汰されるたびに疑問を感じてきた。
 「息子は良い取り組みを見せ、たくさんの相撲ファンを喜ばせてきた。それなのに辞めろと言われ続け、とても困惑している」
 朝青龍は、日本で一旗揚げようと、高知県の高校に留学してきた。体格は恵まれていなかったものの、持ち前の闘志と運動神経を武器に徐々に頭角を現していく。角界にスカウトされると異例のスピード出世を遂げ、初土俵からたったの25場所で横綱に昇進した。
 足腰のバネを生かし、素早い動きで技を仕掛けて勝負を決めるという相撲スタイル。勝利へのどん欲さからか、横綱史上初の反則負けも記録した。
 朝青龍の持ち味は、足腰のバネを生かした素早く力強い相撲。相手より先に動き技を仕掛けて勝負を決める。様々な技を繰り出し、決まり手は40種類以上に及ぶ。負けた取り組みでも、相手の足が先に出たと審判に物言いをアピール。髷をつかんでまで相手を倒し、横綱として史上初めての反則負けを喫したこともある。
「強さ」と「品格」。最後まで埋まらなかったギャップ
 勝利へのどん欲な姿勢。ひたすら勝利のみを目指す朝青龍は、過去にNHKのインタビューで“朝青龍らしい”言葉を残している。
 「いい人間、いい最高の人というよりも憎まれても『あの野郎!』とか言われた方が逆に引き締めて頑張る。朝青龍のやり方、大嫌い。でも相撲が強い。それぐらいが欲しい」
強さだけを追い求めた朝青龍
 土俵の外でも横綱の品格を問われる問題を起こす。3年前、ケガで巡業休場の届け出を出しておきながら、モンゴルでサッカーをしていたことが発覚。2場所出場停止という重い処分が下った。
 入門以来、「日本の父」と慕われた日向端さん。床山だった当時、朝青龍から「横綱の品格とは何か?」と繰り返し質問を受けたという。
 この時、朝青龍から相談を受けていたのが、当時、力士の髷を結う床山だった、日向端隆寿(ひなはた・たかじゅ)さん。朝青龍の入門以来、間近で接してきた日向端さんは「日本の父」と慕われ、大きな信頼を寄せられている。日向端さんは、朝青龍に「横綱の品格とは何か」と繰り返し質問を受けたと言う。
 「日本の国技だし、皆が注目して見ているから、よくないことはやっちゃいかんと言ったことがある。『それはどういうことですか?』としつこく質問されたから、そこまで言われるとどこからが品があるとか、品格だとか、俺にも分からん」
 品格をなかなか理解できない上に、教え諭してくれる人もいない。朝青龍は勝つことがすべてだという自分の価値観から抜け出すことができなかったのだ。
 しかし逆風の中でも、朝青龍は土俵の上で結果を出し続け、その存在感はますます高まっていった。盛り上がる相撲。朝青龍に集まる注目。朝青龍は勝ち続けることで周囲の批判を封じ込め、その姿勢を誰も止めることができなかった。その果てに起きたのが今回の問題だった。強さだけを追い求め、「品格」を最後まで理解することができなかった、横綱・朝青龍。引退会見でこんな言葉を残している。
 「皆様方が品格品格と言うけど、正直な気持ちは土俵に上がれば鬼になる気持ちはあるし、ここで精一杯相撲をとらなきゃという気持ち。今までにないタイプの人間なので、皆さんに迷惑かけたと思う」
 良くも悪くも人々を強く引きつけ、国技・大相撲に大きな波紋を残した1人のモンゴル人が、土俵を去った。(文:番組取材班 村上祐一郎)
取材を振り返って
【鎌田靖のキャスター日記】
 ひとたび土俵にあがれば圧倒的な強さを発揮。その一方で、様々なトラブルを引き起こし、憎まれ役であり続けた朝青龍。電撃的な引退表明を受け、急きょネタを差し替えて放送にこぎつけました。スタッフのがんばりに脱帽です。
 番組は、朝青龍・番記者の独占インタビューを柱に、朝青龍の本音に迫りました。インタビューからは、記録にこだわり、まだまだ相撲を続けたいという朝青龍の気持ちが強く感じられました。
 ハッとしたのは次のやり取りです。「日本の社会はどうでしたか」という記者の問いかけに対し朝青龍は「民主主義、民主主義っていうけど意外と社会主義だと思った」。
 故郷モンゴルはかつて社会主義国。当時の貧しかった思い出を朝青龍は語っています。その社会主義政権が倒れたとき、日本は憧れの国だったはずです。その日本の社会を不自由な国だったとふりかえる朝青龍。ゲストの漫画家やくみつるさんが言うように「朝青龍は自由を履き違えている」と受け止めるのか、あるいは「この国の民主主義はどこか不自由なのか・・・」などと考えてしまいました。
 それにしても、です。朝青龍に問題がなかったとはいえないでしょう。そして本人をきちんと指導できなかった親方、さらにこれまで決断を下せなかった日本相撲協会の責任も指摘しなければなりません。
 さて、朝青龍が去った後、大相撲はどうなるのか。大相撲を格闘技と同じように考える若いファンが減ってしまうのかもしれません。伝統よりもスポーツとしての側面を強調すべきなのでしょうか。外国出身力士が増える中、大相撲も変わっていくべきだという意見もあります。
 その一方で、日本の古くからの伝統に根ざした大相撲のままでいい、品格を重んじる横綱であってほしい。新しい動きに迎合する必要はない、という意見も根強くあります。
 大相撲はこれからどうあるべきか、という問題はこの社会はどうあるべきか、という問題と根っこのところでシンクロしているようにも思えるのです。
※この記事は、NHKで放送中のドキュメンタリー番組『追跡!AtoZ』第32回(2月6日放送)の内容を、ウェブ向けに再構成したものです。
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〈来栖の独白〉
 大好きだったドルジ。傷ましくてならない。卓越した才能と感性。「品格」という正体不明のものを強要され、理解に苦しみ、それでも「どういう意味か」と尋ね続けた。我々日本人だって、「品格」を理解し身に纏っている人がどれだけいるだろう。
 「民主主義、民主主義っていうけど意外と社会主義だと思った」。彼の相撲と同じ、鋭さに支えられた正確な洞察。検察・裁判所・マスコミ・政治が一体となって世論を統制していく様は、正に社会主義である。皆が同じ方向を向き、一人を凶悪犯と定めてリンチする。なんという国であることだろう、この国は。

『差別と日本人』善良で被害者の自分たちと他者とを峻別。その生贄としての民、朝鮮人。


2 コメント

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Re:”社会主義だと思った”かぁ… (ゆうこ)
2010-02-23 22:48:45
kennethさま
 コメント、ありがとうございました。
 朝青龍は、やっぱり鋭いですね。日本人は制服的なるものに安心するのでしょうか。今般の小沢幹事長政治資金虚偽記入関連の過剰な反応も、特高(検察)、大本営発表(メディア)、治安維持法(国民世論の統制)を彷彿させるように感じました。
 kennethさん、とってもお久しぶりのように感じまして、前回コメントを戴いたのはいつだったか、見てみました。気持の落ち着くkennethさんのコメント、ありがとう、です。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/f282820aa9ccc4f5464245159b3505c1
 ものごとには、終わりがあります。このブログも、いつまで続けられるか、いつまで続くかな、と考えたりもする今日この頃です。
”社会主義だと思った”かぁ… (kenneth)
2010-02-14 23:01:41
 ゆうこ様、お元気ですか。余りに興味深い内容に、久し振りにコメントをさせて戴きたくなりました。
 実は私の知り合いの韓国人留学生も、日本は社会主義の国のようだ、と言った事があったのです。彼は特に、朝に登校する小学生達が綺麗に列を作り、同じ帽子、同じカバンで通学する姿に、それを感じたそうですが、他の事でも何らか感ずる所があった様でした。
 私は、妙な事を言うなあと思ったものですが、案外、図星だったのかも。外国人から見ると妙な民主主義国、日本なのかも知れませんね。

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