神子屋教育🇯🇵(かみこやきょういく)

我が家流/みみかとママの「おうち」教育

愉快な認知症/お友達

2007年06月13日 | 愉快な認知症
≪私たち家族は“今”の父の姿をそのまま彼の個性として受け止め、光明思考・光明姿勢で接しています。≫

みんなで一緒にいる体制を取ってから、みみかは再び「教室」へ通い始めました。
ジジババが自分たちと一緒にいることにみみかは安心出来るようになったのでしょう。
しかし、今度は父がソワソワとし始めました。
みみかが「教室」へ行かず父と一緒にいてくれたときには、みみかも父もお互いにあれこれとお世話をしてくれて、彼にとってはまるでお友達がいるように安心するのか(一応、孫だと認識していますが)、落ち着いた感じで庭に出たり入ったりをしていました。

でも、みみかが「教室」に復帰するや「わしも行きたいな・・・」とポツリ。(「教室」に行きたいというより、どこか楽しいところへ自分も出かけたい・・そんな感じです。)
毎朝、リュックを引っ張り出しては自分の下着や洋服を詰め込み荷造りを始めます。
とりあえず、数日間は私と一緒にみみかを「教室」まで送り届けることで、彼の気を紛らせていました。
しかし、みみかが言います。
「ジジが送ってくれてバイバイする時、みみかは寂しくなって泣いてしまうの」。
今だ、みみかにとって、ジジはやっぱり心配の対象のようです。
そんなわけで、父と一緒にみみかを送ることは断念し、彼にとっての何か別の喜びをと思案中です。
今のところ、庭いじりに目が向くお陰で毎日をやり過ごしてはいますが、暑さが増してくるこれから、長時間を外で過ごすことは無理だろうなあ・・。

みみかがいない間、父にはお友達がいます。
みみかが寝るときにいつも一緒の大小2体の人形たちです。
それほど頻繁ではないけれど、ソファーに座る彼女たちにご挨拶する父の姿があります。
何やら話しかけているのですが、普段から通常の会話が困難な状態なので、語りかけている内容は良く分かりません。
でも、子ども好きの父が小さな子どもを見るとニコニコ笑顔で嬉しそうに接しているのと同じように、人形の彼女たちにも接しているのが分かります。

全てを問題視するような感覚であったなら、きっとこういった(人形に語りかける)父の姿を見るとオロオロして悲観的になってしまっていたのかも知れません。
でも、私たち家族は心や気持ちを大切に尊重する姿勢をとっているので、父のそんな姿を見ても特別悪く思うことなく、そういった父の姿を見て逆に微笑むことが出来ます。
こんな自分や家族がとても有り難いです。
父は、私たちに受容包容する力を与えてくれる、観世音菩薩様であるとつくづく思います。

私や母が人形たちを「お人形」と言って扱うと、みみかが「人形じゃなーい!ななちゃんだよ!!(大きい方の人形の名前)」と怒りながら訂正します。
まるで、それに魂があるかのように人形たちを扱うみみかと、父は全く同じ心や気持ちの持主なのでしょう。
それに、家を空けるときなどは、ななちゃんたちに「留守をよろしくね!」そう言って声をかけるみみか。
自分の留守中「ジジをよろしくね!」そう声をかけているのかも知れません。
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