神子屋教育🇯🇵(かみこやきょういく)

我が家流/みみかとママの「おうち」教育

コラム/【ごもっとも】な義さやルールについて

2009年11月22日 | ママ随想録
愉快な認知症の父を実家から連れ出し、みみかと3人で電車に乗って出かけた。
優先座席に父を座らせようと、みみかに父と手を繋いでもらい「優先座席が空いていたら二人しか座れなくても(ママはいいから)座ってよ」とお願い。

到着した電車の優先座席をすぐさま確保。
父とみみか座るとすぐに、父が腰を上げみみかから離れて座り直した。
『えっ!なんで!?』と思っていると、自分とみみかの間に私に座れということらしかった。
最初から座る気が無かった私だったが、幸い優先座席を利用しそうな方もいないようだったので、父の気持ちをありがたく汲み取り座らせてもらった。
マンガを読みながら座るみみかに私に父、3人横に並んで座っていた。

私たちが座ると同時に、向かいの優先座席にハイキング帰りのおば様たちが座っていた。
年齢的には父母ぐらいか・・。
父にはともかく、小学生のみみかと優先座席を利用するには若い私に、なんとなーく冷たい視線。

そのうち、「私らまだ若いし、普段は滅多に優先座席には座れへんねんけどなあ~」とか、「私、うちの子が小さいときは、子供は大人の半分の料金しか払ってないねんから座ったらアカン!って言い聞かせてたわぁ」とか、こちらに聞こえよがしに井戸端会議を始めた。

確かに、俗世間でいう義さやルールに照らすと、おば様たちの言うことは【ごもっとも】な事なのかも知れません。

見た目だけで判断すると、父は厄介な認知症には見えないし、私も妊婦には見えないし(もちろん妊婦じゃないけどね~)、みみかは楽しそうにマンガを読んでどっかり座っている(ように見える)。

でもね、ちゃんと理由があるんだよ、おば様たち。
父自体、こう見えても認知症なのですよ。
一般座席より優先座席に座らせてもらったほうが、諸事情いろいろあって座りよいのです。

それに、私が座らせてもらったのは、父がせっかく空けてくれた座席をむげに断ると、『何で座らんのやっ!』と逆切れされることもあるのです。
その逆切れの可能性がある限り、(他の方の利用に支障が無いのなら)座ったほうが後始末に困らないのです。

楽しそうにマンガを読みながらどかっと座ってる小学生みみかも、一緒に座らないと父が気にしていろいろちょっかい出すんです。
それに、きっとお分かりにはならないでしょうが、みみかはみみかなりに認知症の父のペースに付き合い、普通の子供たちには出来ないお世話をしてくれているのです。

お友だちと遊ぶ時間も父のために譲り、心と魂でしか会話できない父と付き合う中で、お気に入りのマンガでの息抜きの時間がみみかにとっては楽しく必要な時間なのですよ。
父をお世話しているとき、歩きながら散歩しながらは読めませんし、父の連れ出しに付き合うみみかもあっちにこっちにと疲れ、座りたいほどめっちゃ歩いているのです。

おば様たちの【ごもっとも】な井戸端会議を聞きながら、上記のような理由を心のうちに思いつつ、一体人間の義さやルールって何?
これから爆発的に増えるかも知れない認知症(やウツや自殺)に、【ごもっとも】な義さやルールなど通用しないし、反対に【常識外し(ごもっとも外し)】をしなくちゃ対応できないやっていけないのに!・・・そう思う私なのでした。

認知症のことはひとまず措くにしても、今回の出来事は、俗世間的な【ごもっとも】な義さやルールで他人を判断したり非難したりする空しさや無意味さ、そして馬鹿らしさを私に感じさせ教えてくれた一件だった。

普段から身内にさえ、私の生き方(不殺生菜食や生命に対する取り組み、そして父の認知症みみかの不登校に対しての考え方など)を、『変人』扱いされ理解されない私である。
そりゃまあ、実のところ、俗世間的な【ごもっとも】な義さやルールで私を眺めると、そう見えても仕方がない。(その事自体、私にも分かっているさぁ・・)

でもね、その人がその時に(表現)している事柄は、その奥にちゃんと理由や必要があってそうなっているわけで、他人がそれ(ちゃんとした理由や必要)を本当の意味で知る由も無いのです。

【ごもっとも】な義さやルールがあっても無くても、それが適用出来ても適用出来なくても、本当のところ、みんなそのままで完璧なんだよな~!!
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