海住恒幸の松阪市議会通信 

議員活動を通して、自治体議会や自治体のあり方を考えるブログ

『都市計画局長の闘い』から学ぶ

2007年07月28日 10時39分23秒 | 自治体
かねてより読んでみたいと思っていた『サンフランシスコ都市計画局長の闘い』(1998年、アラン・ジェイコブス著、簑原敬ほか訳、学芸出版社、3000円)を古本で買いました。
まっさら、読者アンケートはがきなどもそのまんま付いている感じで、図書館の蔵書(この本は、三重県内の図書館にはありませんでしたが・・・)よりもきれいな感じです。
それでいて、お値段は780円。インターネットで見つけました。

前にも書きましたが、この本の存在はかなり以前から知っていましたが、訳者までは認識していなかったところへ、5月20日に、松阪市主催の「まちづくりフォーラム」があり、コーディネーターの簑原先生のプロフィール欄にこの本の訳者であることが書かれていました。
それがこの本の購入のきっかけでしたが、先日、友人が貸してくれた『環境アセスメント』という放送大学の教科書にサンフランシスコの都市計画のことが取り上げられていたため、もうこれは買わなければという思いにつながりました。
古本ということで簑原先生には申し訳なかったのですが、新品同然という言葉に惹かれてしまいました。

まだ、はしがきのところと、訳者の前書きしか読んでいませんが、中味のことにも・・・。
前書きで簑原先生は、
「高まりつつある環境意識、都市景観の形成への意欲と自由な市場経済の展開を求める強い動きの狭間で、自動車時代の日本の地方都市は確実に分散解体しつつある。
このような時代には、地域の実体に根ざし、地域社会の合意の下に、個性を生かした、現場からの都市計画の積み上げが不可欠である。(中略)
しかし、従来の高度経済成長期の都市計画、もっぱらインフラ建設に慣れきった日本では、このような時代的要請に応えるのがきわめて難しい。
成熟時代の都市計画の経験を語る本が欲しい。」
と、述べる。

さらには、
「日本で都市計画と言えば、役所がやる、特に建設省(現・国土交通省)が都市計画法に基づいてやる都市計画だけが都市計画だと思っている人が多い。
地方自治体も、ごく一部の例外を除けば、この意味での都市計画しかやっていない。」
「だから、地方自治体が既存の法律や制度に基づかない、もっと広い意味での、本来の都市を計画するという仕事、
特に市民参加を促す都市計画をやろうとするときには、都市計画ではなく街づくりという曖昧な言葉を使うことが多い。」
(中略)
「都市を計画するという行為を原点に返って再認識し、市民の手に取り戻すことが不可欠なのだ」

 基盤整備(ハード)中心の都市計画に対する行き詰まりの中から生まれきたのが「街づくり」という言葉です。
いまでは、事業部局としての都市計画から離れ、より広く、その土地の歴史や文化、空き家・空き店舗活用、人づくりにも視野を入れた「まちづくり」という言葉を用いるのが主流です。
ただ、この本が訳された98年時点ではまだ「街づくり」という領域がはっきりと区分されていました。
この文脈の中で言えることは、松阪市役所においては、「街づくり」と「まちづくり」の言葉の区分以前に、「日本で都市計画と言えば、役所がやる、特に建設省(現・国土交通省)が都市計画法に基づいてやる都市計画だけが都市計画だと思っている人が多い」の段階止まりなのだという点を理解しておく必要がありそうです。
だから、計画段階での市民参加が視野に入らず、松阪駅西地区再開発においても、すべて事業者(準備組合)任せで、市民からの批判が強いことを知ってようやく、軌道修正を図ろうとしている程度にお粗末な手順となっています。

だから、「都市を計画するという行為を原点に返って再認識し、市民の手に取り戻すことが不可欠なのだ」ということに対する「気づき」は、市の職員、とりわけ、幹部には求められるところです。


 さて、著者のアラン・ジェイコブスは、ペンシルベニア大学大学院都市地域計画学科準教授を経て、1967年に、サンフランシスコ市都市計画局長に。75年に退任するまでの8年間に取り組んだ事例について書いたものです。
友人が貸してくれた本に載っていたサンフランスシスコのミッションベイエリアの開発は、1979年に事業者提案があって、再三修正され、90年に住民提案の採用が決定するに至ったケースより以前の時代です。


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