街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

手品師見舞いに来る 5

2012-11-04 23:57:32 | 入院手術

 城崎には学生時代自転車で小倉から福井県を目指して走っていた道中に立ち寄ったことがある。その時分は志賀直哉の気分に浸りながら街を散策したが、まさか背中の損傷だけ同じ経験をするとは思ってもみなかったことである。
 25日の朝、ストレッチャーに乗せられ注射を2度打たれた。天井ばかりがぐるぐると回っているようだった。手術室に入ったとたんあれよあれよという間に眠ってしまったのである。
 いや、眠ったのではなく意識を失ったと言ったほうが正解だろう。どの位時間が経ったかは判らぬが目が醒めたときは既に別の部屋に居た。看護士が私に気が付いたのだろう「あっ気が付きましたか 大丈夫ですか」私の頭は朦朧としている「おっ 終わったのか」暗い天井をじっと見つめている。視野が狭くて暗いのか、それも判らないし焦点までもがはっきりしない。
 「大丈夫ですか」更に声を掛けてくる。私ははっきりとした口調では言えないまでもこう言った「この姿でどうして大丈夫だと言えるか」
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病院食考 完

2012-11-04 00:26:29 | 入院手術

 さて、三週間病院内に居たが「肉だー」と言ったのはたったの一度きりである。しかもそれが牛肉だったのである。
 しかし、目の前におかれたその肉の色が尋常ではないのである。焼肉と言えば血が滲み出てしかもぎらぎらとした肉の油分が皿の上で揺れているといった姿であろう。ところがその姿にはあまりにも程遠いのである。「泣いて馬しょくをきる」とは言うが、斬り過ぎても斬り過ぎてもこのような肉にはなるまい。肉の色が痩せた土地の、所謂土色である。脂身がついてはいるのだが焼き上げたあとのその透明感が失われ白い塊になっているのである。更には各々一片の切り身は細胞が破壊されているかのように小さなひびがびっしりと入っている。
 もうお判りだろうがこれもまた湯掻きまくって肉の持つ総ての旨味成分を抽出し終わった所謂(私に言わせればだが)虚しい肉の残骸を食べさせられているとしかいいようがない。それ程に手を加えている。そしてその手の加え方は驚愕に値すると言っても過言ではあるまい。どうすればこのように不味く作ることができるのか。その手段を実際に知る術を持たないがただただ驚くばかりである。
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手品師見舞いに来る 4

2012-11-04 00:22:00 | 入院手術

 この病院は母が一年前に股関節を痛め手術を嫌って週一回リハビリに通っているのである。それでここの病院に決めれば週一回通ってくる母がリハビリを兼ねて息子の顔を見に来ることが出来るから便利であるという訳だ。
 そういえば思い出したことがある。学生時分に読んだ「城の崎にて」だ。
 著者である志賀直哉が鉄道事故で脊椎を損傷してしまったのである。彼はその傷を癒すためか、リハビリの為か、兎に角も城崎を逗留先に決めて3週間ほど滞在した。その滞在記を短編にしたのが「城の崎にて」だった。
 その当時は「脊椎カリエス」という不治の病になりかねないと言う心配があったらしく本編の中にも「脊椎カリエスにならなくてよかった」などと書いてあった。この病気は結核菌に脊椎が犯され下半身不随になってしまうという恐ろしいものだったが、医術や科学が進んだ現代ではストレプトマイシン等の新薬が出て不治の病ではなくなったのである。
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大塚山古墳

2012-11-04 00:12:32 | 壱岐 古墳


倭の五王の時期にもあたる 大陸との交流に壱岐島は頻繁に利用され、当時の最先端の技術が導入されたであろう



半島の流行を取り入れることになったか

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2012-11-04 00:10:50 | 朝顔 花

 退院して今年初めての朝顔である 
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