かへる 東の国探訪記

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ウィーン軍事史博物館(47)

2016-01-11 14:00:14 | 旅行
重い展示が続いたが、隣の部屋は心なしか明るい感じがする。
建物の東側にあって日が当たるのと、展示物がそれほど多くなくゆったりとしているからだろう。
部屋に入ると、まずこのような制服が出迎えてくれる。


この展示室のテーマは『海軍国オーストリア』である。
14世紀には、ハプスブルク家はすでにアドリア海に面する地域を領有していたが、
国家として海運を積極的に利用していなかった。
17~18世紀にかけてオスマントルコとの戦争が起こったとき、ようやくドナウ艦隊が創設された。
つまり、この段階ではまだ海軍ではなかったのである。
(ヨーゼフ2世の治世時に海軍創設の動きがあったが、資金不足で少数の軍艦しか保有できなかったという
情けない話もチラシに書いてある)
その後、領土がヴェネチアやダルマチア(現在のクロアチア領)まで拡大したため、本格的に海軍の整備に取りかかることとなる。
海軍の制服は、いわゆるセーラー服である。
これに関しては、どこの国もあまりデザインに差違がないような気もする。


これは、ドナウ艦隊時代の艦船の模型である。
装備から察するに、1870~72年にかけて建造されたドナウ河モニター艦マロスとライタだと思われる。
モニター艦というのは、大型の艦砲を搭載した小型軍艦のことである(とチラシに書いてある)。
砲塔を備えた海軍配所の軍艦だったそうで、対セルビアおよびルーマニア戦争で活躍したとある。

ドナウ艦隊初期は木製の船だったが、のちに鉄製に変わっていった。
海に進出する前はドナウ川を遡ってやって来たトルコ軍と交戦したり、陸軍への援助物資を運ぶのが主な役目だったようで、
運行も軍ではなく民間業者が行っていた。
このあたりは、現在のドナウ川クルーズのようなものか(あれも民間業者2社による運行である)。
川の流れを遡って行くのは労力と費用がかさんだことが、より大型の艦船に取って代わられた理由だそうだ。

展示室の(入口から見て)左半分は、ヴェネチア領有から1866年までの海軍史をまとめてある。
帆船の模型の下には、実際に使われていた鎖や錨が展示してある。
19世紀初頭は、海軍の艦船とはいえども木製が主流だったことがわかる。
また、蒸気機関が船の動力に使われたのもこの後のモデルのようだ。
(余談ではあるが、その昔受験勉強に使っていた世界史の参考書には、年号を語呂合わせで覚えようというコラムがあり、
その中に「発明で いきな老後が ワッとくる」という腰の砕けそうな短文があった。
これは1765年にジェームス・ワットが蒸気機関を発明したことを言っているのだが、
『い』=1、『な』=7、『ろうご』=65とかけたものであるのはあえて説明するまでもない)

上記↑写真には、壁際にたくさんの絵が飾ってあるのが見える。
これらには、当時の海軍を中心とした戦闘や軍隊の様子が描かれている。