かへる 東の国探訪記

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ウィーン軍事史博物館(43)

2016-01-07 18:58:36 | 旅行
ここから1938年のアンシュルス(独墺合邦と訳されているが、事実上の墺国併合である)の時代となる。
この写真には、書類や書物が写っている。
左端にはハーケンクロイツが見える。
また、国章が『双頭の鷲』ではなく、現在のドイツの国章に変わっている。
背後の大きな写真は、警察署の前に並ぶ人たちを撮したものだろう。
赤いポスターの下には、『ヴィンドボナ』と書いたものがあるが、これはウィーンの古名である。

ポスターの下に書いてある文言は、『1つの民族、1つの国家、1つの指導者』である。
Wikipedia大先生によると、「三十年戦争以来、ドイツ民族による統一国家は多くのドイツ人の悲願であった」。
政治や経済の混乱から、国民の多くがドイツとの合邦を望むようになっていった。
もちろん、ドイツ併合を望まない人もいて、そうした人たちは収容所に送られるか、
亡命を余儀なくされたという。
(トラップ一家がアメリカに亡命したのは、夫のトラップ少佐がナチス党に反対する勢力に属していたからである)

左側にあるものは石碑である(ドイツ語で一面に彫ってあるが、読めない)。
右下にある軍服は、ドイツ国防軍かヒトラーユーゲントのものだろう。
軍服の上の看板は、『国営放送局』と読める。


この有名な独裁者は、オーバーエステライヒ州生まれの墺国人である。
墺国が多民族国家だったため、異民族のいる軍隊に入るのが嫌で、第一次世界大戦時はドイツ軍に入隊したと言われている。
のちに、ドイツ国籍を取った。
そのため、墺国には「ベートーヴェンは我が国の人、ヒトラーはドイツ人」というジョークがあるという。

写真の下には『民族主義の目撃者』と書いてある。

上部にある大きな看板には『アドルフ・ヒトラー広場』と書いてある。
たぶん、どこかの地名がこのように変えられたのだろう。
このあたりにある展示は、すべてが総統崇拝に関するものである。


アンシュルスについては、併合前の国民投票では97%もの賛成があったと言われる。
しかし、実際に併合されてからの墺国国民は『二流国民』扱いを受け、失望が広がっていったとも言われる。
(ホロコーストやソ連軍との戦いの前線に送られるなど、嫌な仕事が回ってくることも多かった)
ただし、進んでナチスドイツへ協力した国民も少なからずいたというから、
ドイツによる侵略の最初の被害者というわけではなかったようだ。
このあたりの(戦争責任についての)議論が公に行われるようになったのは、冷戦終結後だそうだ。
70年以上も前のできごとが、未だに尾を引いているような気がしてならない。

この(ヒトラーやナチスドイツに関する)展示を見ていると、
墺国人の抱える複雑な心情がうかがえるような気がする。