かへる 東の国探訪記

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ウィーン軍事史博物館(45)

2016-01-09 21:17:01 | 旅行
これは軍服を着たマネキンだが、ドイツ軍(や墺国軍)とは違うような気がする。
と思ったら、これはソ連軍砲兵将校の制服や装備品だ。
足下にある新聞の文字がラテン文字ではなく、キリル文字である。
また、帽子に付いている星形からも、共産圏のものであるということがわかる。
後ろに掲げてある絵は、戦場を描いた物だが、これはヘルメットの形からするとドイツ軍側のようだ。
一番下にあるヘルメットやブーツなどは、スターリングラード戦場の残骸だそうだ。

ドイツに併合された後、墺国人兵士はこのスターリングラードの前線に多数送られたのである。

これは残念なことに、写真がぼけぼけになっていて、画像がはっきりとしていない。
ガラスケースの配置場所からすると、強制労働や強制収容所、軍需産業に関する展示のようだ。

墺国人でもナチスに反対する人たちは、収容所に送られたり処刑されたり、
生き延びた人たちは亡命するか、地下に潜って攻勢の時を待っていたのだ。
前にも書いたが、『サウンド・オブ・ミュージック』のトラップ一家は、
トラップ少佐が前のファシスト政権の支持者であったために亡命したのである。
このあたりは、ミュージカルや映画で語られていることとかなり違う。
そのため、『サウンド~』の映画やミュージカルは、墺国やドイツではほとんど上映されることはなかった。
(ザルツブルクは、日本人を中心とした観光客向けに上映しているとか)
史実とは違うのが理由だろうが、史実通りに描写したらもっとまずいことになりそうだ。
なお、収容所に送られた有名人としては、前首相のシュシュニックの他に、
フランツ・フェルディナント大公の2人の息子がいる。
彼らも戦後まで生き延びたが、収容所での過酷な生活のせいで長くは生きられなかった。

この写真の左後ろには、大きなドイツの旗(鉄十字と鷲のマークの国章と鉤十字を組み合わせたもの)がある。
その近くにある軍服は、ドイツ軍のものだろう。
中央のポスターは、下に書いてある文言(ドイツ語ではない)からすると、ユーゴスラビアあたりのものだろうか。
ポスター下部には星条旗とソ連国旗が描かれている。
ユーゴスラビア国旗とソ連国旗が掲げてあるが、この戦争終結からおよそ45年後にどちらも使われなくなる
(国自体が崩壊した)とは、誰が想像しただろうか。
下にあるのは、戦車のキャタピラーや、通信機器など戦場で用いられたもののようだ。