かへる 東の国探訪記

何かと話題のぐんうま県在住の『かへる』の某国中心の旅行記&趣味のフィギュアスケートの話題など

ウィーン軍事史博物館(46)

2016-01-10 12:16:08 | 旅行
この写真には、大きなものが写っている。
後ろにある大きな兵器は何であるかわからない。
その左には、何だか不気味な絵が飾ってある。
右下にあるサンゴのような物体は何だろうか。
チラシに書いてある球状トーチカかと思ったが、それにしては小さいような気もする。
左側にあるストライプの服は、おそらく収容所に送られた人たちが着ていた囚人服ではないだろうか。


わたしと同じ場所を見学しているお嬢さん(右端に少しだけ写りこんでいる)だが、
左袖に入っている紋章からすると、ドイツからの観光客だろうか。
わたし以上に真剣に展示に見入っているようだ。


これは、ソ連軍の軍服や装備品。
見切れてしまったが、上の方には『○○まで22km』という標識が掲げてある。
その下にある標識は、ドイツ語ではない(何語だか不明)。
ガラスケースの向こう、壁際にはドイツ軍のキャタピラ式トラクターや対戦車障害などが展示してある。


これは、墺国にとっての第二次世界大戦に関する展示である。
チラシによると、軍司祭による信仰相談、医療看護、墺国領内での戦争、戦争捕虜、ドイツの敗北、
そして国家としての復活がテーマである。
後ろのポスターに書いてある文字は、『戦争協力 ドイツ赤十字』と読める。
軍服や装備品は、同盟国(ドイツやイタリアなど)のもの。


上記写真の右にあるガラスケースも、同じ展示の続きである。
右側のケースには、うなだれている格好の兵士がいるので、戦争捕虜かと思ったら、
良く見るとその前にはチェス盤らしきものがある。
左側に飾ってあるのは、戦争中に使われた紙幣か債券のようだ。

兵士の像の横にさりげなく飾ってあるのは、イギリス、アメリカ、フランス、ソ連の国旗である。
これら4ヶ国は、第二次世界大戦終結後、一時墺国を占領統治していた国である。

戦争末期、1945年3~5月にかけて、墺国は戦場となり、多くの都市が爆撃された。
ウィーンの南にあるヴィーナーノイシュタットなどは、町のほとんどが破壊されたと言われる。
戦後、4ヶ国による統治を経て、1956年にようやく共和国として独立した。
(1945年5月にカール・レンナーによる新政権が成立し、独立を宣言したのだが、
国連加盟という形で国際的に独立が認められるまでに11年かかった。
それでも、2つの国に分かれたドイツよりはずっとましな扱いである)
独立の条件として、
1.永世中立国となること
2.ドイツとの合邦禁止
があげられた。
1については、墺国の位置が東西両陣営のちょうど中間に位置することから、
国の存続をかけて致し方ない選択だったのだろう。
また、2については、未だに『強いドイツ』を夢見て、合邦を呼びかける勢力があると言えばあるのだが、
今となっては両国国民のメンタリティにかなりの隔たりがあるように思う。

2つの大戦の反省から、戦勝国は敗戦国から賠償金をふんだくるだけではなく、
その立ち直りも助けること、が半ば義務となったようだ。
とはいえ、同盟国(特にドイツ)に協力的だった人たちが、戦後迫害された。
現在のバルト諸国やチェコなど、各地に散っていたドイツ系住民は、ドイツに戻るよう命じられ、
その過程で命を落とした人も相当いたという。
墺国は独立するためには『ドイツの侵略の最初の被害者』という立場をとってきたのだが、
戦時中ドイツに進んで協力した人たちもいて、それが後々尾を引くことになる。
1980年代、冷戦末期に大統領になったのは(元国連事務総長でもある)ワルトハイムという人物だが、
彼が戦時中にナチス突撃隊にいたことが問題視されたのもその表れである。
この時の政府の態度を見るに付け、つくづく戦争責任の取り方が上手くないと思う。
(そしてそれは、我が日本にも大いに言えることであるが)
墺国の人たちも、同じ過ちは二度と繰り返したくはないだろう。