人はなぜ、苦労自慢をしたがるのだろう。
「自分はこんなに大変な思いをした」「(他人の苦労話に反応して)そーんなの、たいしたことないって。(自分は)もっとひどかった」などと言う人がいる。
苦労自慢はあまり聞きたくないのである。苦労したならしたでよい。そんなこと、わざわざ人に聞かせる必要はない。たぶん、「それはそれは大変でしたね」という同情(お見舞い)の一言が欲しいだけなのだろう。それとも、「あの人はすごく苦労したから偉い人だ」とか「すごい人だ」とか思わせたいのだろうか。そこには、何らかの心理が働いている。
本人からではなく、第三者(または媒体)を通じてその人の苦労を知った場合の方が、効果は大きい。
ぼくも、苦労自慢をしないように気をつけたい。ていうか、今までの人生で、自慢できるほどのたいした苦労してないか(笑)。自慢したくなるほどの、本当の苦労はこれから訪れるのかもしれない。
「自分はこんなに大変な思いをした」「(他人の苦労話に反応して)そーんなの、たいしたことないって。(自分は)もっとひどかった」などと言う人がいる。
苦労自慢はあまり聞きたくないのである。苦労したならしたでよい。そんなこと、わざわざ人に聞かせる必要はない。たぶん、「それはそれは大変でしたね」という同情(お見舞い)の一言が欲しいだけなのだろう。それとも、「あの人はすごく苦労したから偉い人だ」とか「すごい人だ」とか思わせたいのだろうか。そこには、何らかの心理が働いている。
本人からではなく、第三者(または媒体)を通じてその人の苦労を知った場合の方が、効果は大きい。
ぼくも、苦労自慢をしないように気をつけたい。ていうか、今までの人生で、自慢できるほどのたいした苦労してないか(笑)。自慢したくなるほどの、本当の苦労はこれから訪れるのかもしれない。
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