鍼灸(東洋医学)の科学化とは如何なることなのか?それは世界観としての唯物論を創ると直接に、鍼灸を唯物論として体系的に説く、説ききることである、と思う。
鍼灸の科学化ということは、科学(技術)万能である現在においては当然のこと、当然にすでに成し遂げられていることと、外野の世界からは思われているかも知れない。
自身でも鍼灸の世界に関わる以前はそのように思っていた。
ところが現実は......である。
鍼灸の科学化については、現在のところ、自身の管見の範囲内では大きく二つの流れがある。
一つは、鍼灸と科学は相入れないとして鍼灸の科学化という作業を放棄してしまう流れ。もう一つは、西洋医学的、解剖生理的に鍼灸を解釈していこうとするものである。
しかしながら、前者が問題外であるのはもちろんであるが、後者の行きかたもまた......である。
肝心なことは、これまでの鍼灸(東洋医学)の文化遺産をまともに受け継ぐ作業、努力である。
それはとりもなおさず、鍼灸の世界を唯物論の立場から検討する、例えば、「気」を、如何なる事実を捉えて古代中国の人類は「気」としたのか?と考えてやることを、鍼灸のあらゆる事物に関して行なっていくことである、と思う。